
子のためにしている、つもりが本当は
母と4歳になった娘と3人でのお出掛け中、母がこんなことを言い出した。
「あなたが小さい頃、クリスマスツリーの飾りつけ毎年楽しみにしてたよ。
出したら毎年大喜びでさぁ・・・」
私がどんなにクリスマスツリーを楽しみにしていたか、母は語る。
・・・なのに正直私はあまりクリスマスツリーに関する記憶がなかった。
それよりクリスマスと言えば、毎年恒例の大好きな不二家のチョコレートケーキに、母が作ったクリームシチュー、何よりサンタさんが持ってきてくれるプレゼントのイメージだ。
でも、そうか。小さい子はクリスマスツリーの飾りつけを楽しみにするもんなんだ。娘ももう4歳になったし、自分で飾りつけもできるだろうし、我が家にもそろそろお迎えしてもいいかな。我が家には卓上の小さなクリスマスツリーしかなく、飾りつけられるタイプではなかった。
早速次の休みに夫と娘とクリスマスツリーを買いに行った。
葉の部分がスカスカで少々安っぽいツリーだったけれど、娘の身長より大きい120cmのクリスマスツリーは飾りつけも何もしていなかった我が家にクリスマス感を出すには充分だった。
オーナメントも100均で揃えたけど、まだまだシンプルでちょっと寂しいクリスマスツリー。だけど娘は大喜びだった。
母の言った通りだ。子供って、こんなことで喜んでくれるんだ。なんか、私も嬉しいぞ。娘がうっとり眺めたり、自分でLEDのスイッチに気が付いてキラキラ輝くツリーにしてみたり・・・また別の日には、もう一度飾りつけがしたくてオーナメントを外し、また付ける・・・という可愛いこともしていた。
「よかったねぇ、サンタさん、来たらいいね」
何度も母が言っていた言葉を、私が娘に言う。
なんだか感慨深い。
クリスマスも早々に過ぎ、12/26が来た。
私「そろそろクリスマスツリー片づけなきゃね。」
娘「なんで?」
私「クリスマスが終わったからだよ。もうすぐお正月になるんだよ」
娘「えぇー・・・」
と言いながらまたクリスマスツリーを眺めて、少ないオーナメントを外してまた違う場所に付ける。
こんな調子だから、片づけなんてしたら泣くかもしれないな。あんなに喜んでたし、大きなツリーが来たクリスマスは初めてだもんね。もう少しこのままでもいいか・・・
そして12/29、ようやく娘が昼寝している間にクリスマスツリーを片づけた。泣くかもしれないけど、今度は可愛いお正月グッズでも見に行こうかな。
・・・なんて私の想いをよそに、昼寝から起きてきた娘はクリスマスツリーがないことに気が付きもしなかった。拍子抜けだ。
そこでハッとした。
そうか。私だったのか。大喜びしていたのは。
ツリーをいいことに、喜ぶ娘の顔ばっかり見ては大きな満足感を得ていた。
そうか。お母さんが語ってたクリスマスツリーの思い出は、お母さんのためのものでもあったんだ。
自分の子供の頃のクリスマスツリーの思い出がいまいちピンと来ない私と同じように、きっと4歳の娘は初めてクリスマスツリーが我が家に来た日のことを覚えていないだろう。
でも私は・・・
4歳のキラキラしていた目で
4歳のまだまだ幼い小さな手で一生懸命飾りつけをしたこと
まだ届かないツリーのてっぺんに、抱っこしてお星さまを乗せたこと
私は一生忘れないと思う。
親の方がウキウキしながら「サンタさんに何をお願いするの?」と聞いているなんて思いもしなかった。
サンタさんからプレゼントをもらった自分が幸せと思っていたのに、それ以上に喜ぶ顔をみる親が幸せな気持ちになっているなんて、子供がいなかったら一生わからなかった。
本当に与えてもらってばかりだな、と気づかされる毎日だよ。子育て。
目で見えるタイプの幸せがここにある。
子育ての厳しい部分ばかりネットで拡散されているように見えるけど、そんなものを超越した幸せがあるよ。
親にしてくれてありがとう、と改めて思えたクリスマスでした。