子どもの人権を考えるという事。子どもに向きあうということ。
いよいよ明日から子ども家庭庁が創設されますね。
同時に「子ども基本法」が施行されます。
最近、色々な場面で常に出てくるキーワードが「子どもの人権」です。
支援者って時々、忘れがちになるかと思いますが(そもそも、意識していない場合もある)、つい目の前の支援やその場の大人の関係性に目が行き子どもを置いてけぼりにしてしまう。
いう事を聞かない子どもたちに対して、躾とか教育と言う名の元にコントロールしようとする。
支援の名目で体に触ったり、嫌がる行為をする。
等、一見見落としがちなところに子どもたちの人権や命が絡んでいることがあります。
おりこうさんで従順な子ばかりが利用するわけでもなくて、いつも我儘いっぱい、反抗的な子だってたくさんいて、そういう子に対して支援者はどう向き合うのか。とか常に自問自答しながら子どもたちと関わっています。
私自身は、実践家なので理論はその次でまず走りながら理論を組み立てていくという感じなのですが、時折研究者や専門家のお話を聞くことで感覚として得ていた理論が、更に明確に体系化されていきます。
ここ数年間の活動を通して、ハラスメントや人権意識について学びが見れたので書き留めておきたいと思います。
貧困支援の場面ではよく見られがちな場面なのですが、
「あいつは何もしない」「支援をしているのに感謝をしない」という言葉。
確かに、私が関わるケースでもよくあります。支援をした後にその当事者から「お前は裏切り者だ」という手紙をくれる人もいます。
こういう時に、私たちはどう向き合うのか。
最近、自分のスタンスとしては「人をジャッジしない」を心掛けています。
そのまま、相手の「今」や「感情」を受け止める。
そうすると、相手に対して感じていた感情が少し違って見えてきます。
この人は今、どういう事に困っているのかな。とか、本当はもっと訴えたいことがあるのかもしれないな。っていう風に冷静に感じ取ることができます。
子どもたちは特にそうです。
多くの集団の中で支援をしようとすると、ルールを外れてしまう事に怒りを覚える支援者もいます。そして、説教や指導というツールで子どもたちを威嚇しコントロールする。
それって支援になるのでしょうか。
色々な悩みや困りごとを胸に秘めてやってくる子たちは、精いっぱいのSOSを体から発信して訴える事も多くあります。
これを、
「この子は困った事ばかりする子だな」って思うのか。
「ああ、この場だからこそこうして気持ちを表現できるのだな」って思うのか。
これだけで子どもたちへの向き合い方は変わります。
最近の私自身のテーマが「子どもの人権」「子どもを主役に」です。
ひとり親支援を始めてからつい、ママ達に気持ちが向きがちで、相談をじっくりと聞いているうちに、つい子どもたちへの意識が少し薄れがちになってしまうことは否めなくて、こういうことは本当に意識的にしないといけないなあと思うのでした。
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