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社会活動におけるセクハラの問題
中居正広さんのセクハラ問題によって、色々な事が一変し始めましたね。
ここ最近の流れからいうと、松本人志さんの一件から一気にセクハラ問題が大きなうねりを起こし始めたように感じます。
これまでも、伊藤詩織さんのレイプ事件含めて色々な事が表面化されてきましたが、そういうことは活動をしている私達にしてみると日常茶飯事のように見聞きする話であり、もちろん経験もします。
私くらいの年齢と活動経験にもなると、次第にセクハラ対象から外されて行くようになりますし、特にこういう時の対応もできるようになるので、被害に合う場面も圧倒的に減ってきますが、この手の話は活動家の中でも本当に当たり前のように流れている話題であり、また特定の加害者の名前なども関係者の間ではよく流れてくる話だったりするのです。
思うに、このようなセクハラ問題は日常的に横行しており、ただ単に「もみ消せる力を持っているか否か」が大きな分かれ目であります。
また、そういう場面も嫌と言うほど見てきました。
一度、地元新聞の記者に「県内の会社で起きているセクハラやレイプ問題について、一度実態調査のようなものをして欲しい」とお願いしたことがありますが、瞬殺で断られたことがあります。
また、自身に起きたレイプ未遂事件について、あるメディアの関係者に相談をしたが、やんわりとはぐらかされた。
これくらい、セクハラ問題と言うのはデリケートで扱いづらい問題だという事です。
活動柄、全国の仲間達とこういったハラスメント問題について情報交換をする場は多くありますが、常に感じるモヤモヤや課題感について、今回の中居正広さんの一件で共感する事や気づいた部分も多かったので、まとめてみようと思う。
なお、こちらに書いているのは、私自身の事だけでなく相談を受けているケースや周囲で見聞きしている事の一般論をまとめています。
1.有名な人や憧れている人、社長などの権力者からの声かけについて葛藤が生じる
憧れている人や権力のある人から突然「ご飯でも食べに行きませんか?」とお誘いが来たら、まずは「嬉しい」という思いが起きます。多くの方を相手にしている凄い方が、まさか無名の自分に声をかけてくれるとは思いませんから。
数名の人と行こうという話であれば、少しは行こうという気にもなりますが、個別に誘いの連絡が来てしまうとそれは悩みが生じます。
「行きたいが、何かあったらどうしよう」「断ったら二度と縁が無くなるかもしれない」こういう感じで悩んでしまいます。
2.まさかという思いともしかしてという思いで揺れる
行くまでは、「純粋にお近づきになれる」「活動の相談に乗ってもらえる」と言う気持ちで会いに行く場合もあります。しかし、次第にその目的が明らかになると混乱をしてきます。
まずは、
「まさか、こんなにすごい方が、自分みたいな人をプライベートで誘うはずがない」と思い込もうとします。
また「この方の誘いを断ったら、二度と接点がなくなってしまうかも」という恐怖もあり、逃げる事ができません。
実際、お断りをした後そういう方と接点を持つケースはほぼありません。こういうことをする権力者は、自分になびかなかった人に対しどこまでも制裁を加えます。
3.ごく普通の男女の話
こういうタイプの方は、女性の扱いに慣れている方も多く、スルリとそういう関係にしようという人もいますし、逆に脅すようにそういう流れに持ってこうとする人もいます。
どんなに凄い方であっても、やはりそこは男女の人間関係と同じなんですね。
結構よくニュースでも出てくるセリフがあるのですが、
「同意のもとにしている」という加害者の声。
これを聞くとゾッとします。
言っておきますが、被害者は、相手の権力が怖くて何も言えないだけなんです。しかし、加害者は「自分の声かけに応じてくれた」と勘違いをしている事が多い。
周囲で起きている事件も大概がこれです。
加害者が加害をしている自覚がなく、「お互い好意がある」と錯覚している。
そんなわけねーだろ!と毎度思います。
4.警察はハードルが高い。
そして、こういう事件が起きた時にまずすぐに警察に行くというのは、できません。ハードルが高すぎるんですね。
既にメディアや様々な情報で、警察での対応を見聞きしている人は、警察に行くことに躊躇をしてしまいます。
相談に行くだけでは済まない事が想像できるからです。
まずは、起きてしまった事を胸にしまう方が多いのではないかと思います。そして、関係者やそういうハラスメントに関するところへ相談に行く方が一般的かと思います。
どちらにしても、「自分に起きた事を他人に話す」という行動を起こせる人はとても少ないかと思います。
実際、起きた事を話すという事は当時の事を思い出すことにもなりますし、この時点ではショックを受けている状態でもあり、恐怖も感じていますのでひたすら考えないようにする。こういう精神的なダメージがあるという事を理解してもらえるといいのかなと思います。
5.一番の課題は加害者の所属する組織のハラスメントに対するガバナンス体制が取れていない
私は試しに、加害行為をした団体に相談をしたことがありますが、どちらも曖昧にされました。
反応としては、
「そんなはずはない」という感じです。信じたくないという事だと思います。
一つの団体は、団体内に目撃者もいましたが、見て見ぬふりをされました。
「どうして欲しいですか?」と聞かれるのですが、そうではなくて適切な対応をしてくださいとしか言えない。
加害者の団体が、そのテーマにおいて絶対的な権力を持つ場合、あからさまに被害の訴えを出すともう、そのテーマで活動をすることはできなくなります。
なので、被害者側もバレずに相談をするというとても苦しい状況の中で、前に進むしかないのです。
団体の代表(もしくはメンバー)が、加害をしたという相談を受け取ったら、まずはハラスメント対策の部署で何かしらの対応を取るべきだと思います。
なぜか相談をした人間が、ただのクレーマー扱いとなり、次第にそのフィールドから排除されることになってしまいます。
加害者は分かっているのです。被害者が自分の行為を訴えようとしても、自分の活動の場から次第にいなくなる自浄作用が働くという事を。
6.有名な人には「信者(ファン)」がいる
これも被害が表に出せない理由の一つです。
今回、中居さんや松本人志さんのニュースを見て、まさにこれが活動家の被害蔓延の理由だと感じました。
被害を訴えたことが表に出ると、被害者はなぜか「本人を貶める加害者」と言わんばかりの攻撃を受け始めます。
そして、被害者のこれまでの経歴からプライベートな情報まで色々な人間たちによってあぶりだされてしまいます。
今回渡邊渚さんのエッセイの中に「あの日の辛さに比べたら、顔の知らない誰かからの誹謗中傷なんて気にならない」と書かれているそうです。その辛さは容易でなかったことが想像できました。
一方で、誹謗中傷に慣れていない私達にとって、被害を訴えるメリットよりも黙ってしまう方が身を守れるという気にさせられてしまう報道やSNSの炎上に恐怖すら覚えます。
7.加害者の持つ、圧倒的な権力に立ち向かえるほどの力が被害者にはない
中居さん、松本さんの報道を見て絶望的に感じるのは、
「被害を表に出すというのは、本気で戦える覚悟があるとき」という一択しかないという事です。
周囲の関係者でも起きているのは、被害届が明るみになった時に、必ず「名誉棄損」で訴えられます。
セクハラ被害の難しいのは「同意であった」という結論になる場合も多く、それを覆すための労力と時間を取るだけの覚悟を持てないという事です。
相手は、己の加害を棚に上げて「同意のもとの行為だったのに、勝手に暴露して名誉棄損だ」という感じで徹底的に被害者を追い詰めます。
特にニュースに出てしまうケースは、その後の被害者の生活までも脅かしますので、それに立ち向かえるだけの覚悟を持てるのは少ないです。
自分は被害にあったことが言いたかっただけなのに、なぜ逆に苦しい思いをすることになるのか。
そういう話を聞くと胸が苦しくなります。
8.被害者の2次的な加害者は同性である
これはつくづく思います。
被害女性の性や価値観について攻撃をすることが増えます。
今回渡邊渚さんが、中居さん問題と同時に写真付きのエッセイを出したことに対して、一瞬「え?」と私自身も思ったのですが、直ぐに考えを改めなければと反省しました。
ハラスメントやレイプというのは事件ですので、それだけに焦点を当てたら加害者が悪いはずなのに、
どうしても本人に対しての「性」や表現について、目が行きがちになるということ。
私自身も経験があるのですが、どうしても人(男性)から注目をされがちな人の場合、それは同性からの反感を買いやすい。
活動家にとって、自分をアピールすることは活動の一環であるし、人との接触を試みようとするのは、男性だけでなく女性にもしているにも関わらず、それを「男性に媚びを打っている」というやっかみが起きがちです。
実際、「性を売って今のポジションを得ている」という情報を流している人もいましたし、怪文書も流れた時期もあります。
自分の生き方や活動と被害は決してリンクするものではありません。
そういう事を、まず線引きする必要があると思います。
9.被害者は「被害にあった純潔な弱い人間」という一方的なイメージを持たれ、そうではない行動を取った場合の誹謗中傷がひどくなる
「7.被害者の2次的な加害者は同性である」と類似した内容にもなるのですが、被害者に対しての一般的なイメージと言うのがあって、
被害者というのはどこか、「純潔で真面目な人がひどい人によって被害にあった」というイメージが潜在的にあるようで、その人物像に合わない部分はとことん誹謗中傷のネタになります。
伊藤詩織さんやその他被害を訴えた方に対して、私達が知る必要のない様々な情報が表面化しました。
・体の露出をしていた
・モデルだった
・男性遍歴
等など。
実際、こういった被害者の持つ考えや価値観が、被害に繋がったと思いますか? それはNOです。被害は誰にでも起きます。そして、被害に合っても言えない人が多い。
思うに、報道の場に出してくれた被害者は、声に出せない被害者の代弁者でもあり、彼女たちを攻撃するという事は、加害者たちが何の制裁も受けずにこれからも被害者を増やすことを受け入れているようなものです。
10.守秘義務と言う理由(言い訳)で、対応を曖昧にされる
世の中には、色々と相談対応をしてくれる機関もありますし、会社においては、ハラスメント機関という部署も設置されている場合が多いですが、共通しているのは、
「守秘義務」を理由に問題が曖昧にされがちだということ。
相談を受けたらまず、マニュアルに沿って行動を起こす。
これにつきると思います。
私にしてみたら、「守秘義務」を言い訳に、その問題から逃げているようにしか見えません。
被害者にとってみたら、加害者が今もなお、偽善者のフリをしてメディアに出たり活動に関する発信をする事は耐えがたいものがあります。
また、加害者の存在はどんな場においてもフラッシュバックします。
同じ会社内等の場合は、被害のトラウマと戦いながら加害者と同じ空間で過ごすことになります。
少なくとも相談機能のあるところが、被害者を守れなくてどうするんだという憤りはあります。
11.願い、これから
松本人志さんや中居正広さんの報道、伊藤詩織さんのアカデミー賞ノミネートの報道を機に、日本でも「#MeToo」運動が再燃するといいなと思っています。そして、これを機に、もっとオフィシャルの「被害者のための救済機関」ができるといいなあと願っています。
被害者というのは、昨今のようにメディアで公表した人ばかりではなく、声を挙げれず黙るしかない人の方が圧倒的に多い。
被害にあった人たちが、加害者の存在に恐怖を覚えながら生活をする事のないように、また、私達活動家が、加害者による社会活動参加の妨害をされないように、もっとこの「#MeToo」問題が一般していく社会を望んでいます。