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1.子ども食堂の話~県内に子ども食堂の名前が広がるまで【その4】近藤さんとの出会い。コロナ。それから。

子ども食堂という名前が一気に広がり始め、全国でも県内でも話題になる一方で、各地域では混乱がゴタゴタも続きました。

各地で主導権争いが起き、付け焼刃的な事業予算が世に出て、美味しい思いをする中間支援も各地で増え始めました。

虐待を受けてしまう子どもたちに十分な食事を提供したいという思いで関わったはずの「子ども食堂のプロジェクト」は、次第に混とんとし始めます。

その頃、子ども食堂だんだんの近藤博子さんに出会いました。

私の人生の師匠でもあり、お母さんみたいな存在です。

実は立ち上げ当初のメンバー達は、この十年近くの子ども食堂を取り巻く動きに嫌気が指してフェイドアウトした仲間も多くいます。

私もその一人でした。

本来は子どもたちの支援だったはずなのに、どこかこの名称は、お金と権力を持ちたい人にとっての都合のいいキーワードとなっている事に、凄く違和感を覚えたんですね。

この時期は色々な論争が巻き起こります。

子ども食堂という名を使った活動を辞めた人も多くいます。

でも、私は子ども食堂という名称を使いながら活動を続けていました。

それは、近藤さんの存在があったからなんです。

近藤さんといえば、「子ども食堂の産みの親」と言われています。

実際、近藤さんの持つ考えや活動のスタイルって本当に素敵で、私は近藤さんと話すことで常に原点に返ることができます。

悩んだ時はずっと話を聞いてくれ、共鳴し、そしてこれからの未来を考える。

そういう数年間の繰り返しでした。

私は何の為に子ども食堂をやっているのだろう。そういう疑問が生じた時、必ず近藤さんが傍にいてくれます。

この絶対的な安心感は、活動をする私にとってはとても大事なものです。

そして、近藤さんを中心に県内各地に、素敵な仲間たちが集まり時々オンラインで意見交換をしたりしています。
この時間がまた、たまらなくいい。

同じビジョンを持ちながら各地で切磋琢磨できる仲間がいるのは、本当にありがたいことだと思うのです。


近藤さんと


◇◇◇◇◇

私は、今年度を目途に社会活動の最前線からフェイドアウトをする予定で、様々なまとめの作業に入っています。

私は息子が生まれてから約20数年、NPOの立ち上げや様々なプロジェクトのスタートアップ等をしてきたのですが、来年度より新しいステージにいくため、少しずつ活動の整理を始めています。

こちらの記事は、自分の社会活動人生の【第2章】として、私の社会起業人生の振り返りをしています。経緯については、以下をお読みください。

第1章については、社会起業人生の初期の段階の話になるのですが、既にアメブロにて書いています。

他のテーマとごちゃまぜになっていて分かりにくいので、【第2章】の記事が書き終わったらNOTEに書き直します。

興味がありましたらお読みください。


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