亡きトウメイを追いかけて(1)
初めての馬券
2024年11月10日
今から半世紀も前の話。
私の両親は競馬をしなかった。
ところがある時から茶の間で毎週日曜日の昼間、テレビで競馬中継を観るようになった。
当時私はまだ子どもだったけれど、歳の離れた兄がいて、彼がバイト先で覚えた競馬を家に持ち込んだのだ。両親は競馬という賭けごとに難色を示すことなく、すんなり受け入れ、兄と一緒に楽しみだした。
私も日曜日には両親、兄と一緒に競馬中継を観ていた。タニノムーティエは母のお気に入り。父はアカネテンリュウ。兄はいろいろ。他にもメジロムサシ、ダイシンボルガードとか、リキエイカンとか、むかしのお馬さんの名前が次々と浮かんでくる。
ちなみに私は、アメリカの歌手のスティービーワンダーは、競走馬のスピーデーワンダーの名前をパクったのだと、長い間思いこんでいた。
両親と兄は毎週馬券を買って、テレビの前で勝った負けたと、盛り上がっていた。
私は3人の様子を傍観するばかりで、その輪に入れず、ちょっと寂しい思いをしていた。でも仕方がない。まだ子どもなのだから。
ところがある時、兄が「花子も馬券買ってみる?」と言ってきた。
未成年が馬券を買うのは法律で禁止されているのだけれど、馬券売り場の窓口に行くのは兄。だからバレないからいいだろうということで、両親公認のもと、私もお小遣いから200円の馬券を1枚だけ買うことにした。コレ、時効やんね?
私の当時のお小遣いは月1,000円にも満たなかっただろう。だから200円はけっこうな出費である。でも私も3人の盛り上がりの仲間入りがしたかったので、馬券購入に踏み切ったのだ。
兄が競馬新聞を見せてくれて、◎がたくさんついている馬が強い。強いけれど、その馬が勝っても払戻金は少ないということを教えられた。
出走する馬の中で、「トウメイ」という名前が気に入った。しかもその馬に◎とか〇のしるしがついていた。
「小さな馬やけど、すごく強いよ」
兄の言葉で、私はトウメイに決めた。
前もって兄が馬券を買ってきて、日曜日の昼間、家族4人はテレビの真ん前に並んでちんと座った。
私が買った200円の馬券は、1着にならないとダメだという、単勝式ていうのかな、そういうものだった。
レースが始まると、トウメイはずっと後ろのほうにいた。そして直線になって、先頭争いの馬たちだけがアップになると、トウメイの姿はテレビ画面からはみ出してしまった。
「あかんわ」
私がそう言うと、
「いやいや。まだ分からんよ」と父。
果たして父の言葉通りだった。残り少しのところで実況の人が、
「トウメイがおおそとから来た」
と言い、ズームアウトされた。けれど当時のテレビは画面が小さい上、今どきの4Kとか8Kでなく、画像が鮮明じゃないので、私はどの馬がトウメイなのか分からなかった。
「どれや、どれや。分からん」
すると兄がテレビ画面上のトウメイに人差し指を押し当てて教えてくれた。
「これや」
次の瞬間、兄の指先はずずずー、って右に動き、あっという間にトウメイは1番でゴールした。50年以上前の出来事なのに、私はそのときのことを今でも覚えている。
最近YouTubeで知ったんだけど、あれは「牝馬東タイ杯」というレースだったようだ。
子ども心ながらびっくりしすぎて、嬉しすぎてドキドキした。
両親と兄は何通りもの複雑な馬券の買い方をしていたので、彼らの勝ち負けがどうなったかは知らないけれど、私は500円だかの払戻金をもらった。
おカネのことよりも、その日以来小さくて強いトウメイに心を奪われてしまった。
これからはトウメイがレースに出るときだけ、トウメイの馬券だけを買うんだと家族に宣言して、次の天皇賞も200円で単勝式を1枚、兄に買ってきてもらった。
そして並みいるオス馬たちを抜き去って、トウメイは勝った。
次の出走は有馬記念。
「有馬記念は大物ぞろいやから、トウメイは負けるかもしれんよ」と父が言った。
そのレースは馬インフルエンザでいろんな強いお馬さんたちは棄権したけれど、トウメイは無事出走した。そしてものすごい霧の中またもや勝った。
嬉しすぎて、翌日、学校の休み時間、クラスメイトたちにトウメイの活躍ぶりを語ったら、みんなにドン引きされた。そりゃまあ、競馬の話なんて通じないし、小学生の分際で馬券を買うこと自体、ヤバいやつや。仕方ない。もし誰かが担任に告げ口していたら、間違いなく親は呼び出されていたところだ。でもそれはなかった。
そしてトウメイは有馬記念を最後に、引退してしまった。
大好きなトウメイの姿をもう見られない。
これからは北海道の牧場で子孫を残すお仕事をするんだと、兄から聞かされた。それで牧場に会いに行きたいと親にせがんだけれど、完全にスルーされた。・・・・というか、怒られた。
まあ、寂しくはあったけれど、もうあの激しくて危険なレースに出なくてすむんだということで、ほっとしたことも確かだ。繁殖もまた命がけの大変なお仕事だということを、私は知らなかったから。
私が馬券を買ったのは、後にも先にも人生でその3回だけ。そして勝率は10割。
その後、私は学校の部活などで忙しくなって、日曜日に家族と一緒にゆっくり競馬中継を観る機会は殆んどなくなった。それでも茶の間に置かれている競馬新聞とか競馬の雑誌が目に入るたびに、トウメイを思い出していた。
どうしてるんだろう。牧場でゆっくりしてるのかなあ。
やがて大人になり、結婚をし、競馬を観なくなってからも、時折トウメイを思い出しながら長い長い歳月が流れた。
[余談]
リキエイカンという名前を思い出したついでに引退後のことを調べてみた。
1966年生まれだから、トウメイと同い年でけっこう強いお馬さんだった。
1972年に引退し、そのあと種牡馬になったけれど、強い子どもを作れなかったので、もう要らない、ということで、1980年に殺されそうになったんだ。その時のリキエイカンは満14歳。
リキエイカンが生まれた鮫川牧場の鮫川さんが、そんなのいやだ、と思ってリキエイカンを引き取った。
「おかえんなさい。もう心配いらないよ。これからはふるさとでのんびり過ごせばいいからね」て感じかな。
リキエイカンはそこで大切にされ、2001年に老衰で死んだ。35歳だった。
こういう話を知ると、胸が熱くなる。
リキエイカンくん、きみはいい人に巡り会えたね。本当によかった。
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