感性の鈍化を防ぐために
言葉あそびって何気に好きだったりします。
ダジャレやなぞかけ、大喜利などのように、そこに「笑い」の要素が入っているものは特に。
大喜利は難しいですね。考えすぎたりひねりすぎたりすると面白くないし。
トレーニングで上達するものなのでしょうか。
ずいぶん前ですが、落書き程度のイラストを描いたりして楽しんでいました。
四コマ漫画や一コマ漫画なども趣味レベルで描いていた時期もありましたが、最近は描くこと自体がめっきり減りました。
所詮素人レベルのプアーなイラストや四コマ漫画だったりするのですが、描いていると何より自分が楽しいというか。
面白いフレーズやセリフ、ツッコミ、説明書きを考えてキャラにしゃべらせては「うん、我ながら面白く出来た」「ムフフ♪ ウケる~」などと自己満足に浸ったりストレス解消してたりしました。
ブログもそうですが、昔書いたものを見て、
「わたし、こんな面白いこと書いてたんだ」「絵は上手くないけどなんかノリがいい」「文章力は人並みだけどなんかテンポのいいエッセー書けてるんじゃない?」と自分で自分の過去のエネルギッシュさに感心したりすることも。
(あくまでも今の私から見た自己評価ですよ)
それが今では、ほとんど描かなくなったからなのか、感性が鈍ってきたような気がします。
というか、描かないからユーモアに繋ぐアンテナが鈍くなったのか、単に物事への感性が鈍くなったから面白いネタが浮かばず描かなくなったのか、どちらが先かは自分でも分かりません。
もしかして歳のせいか?
そう、歳のせいでしょ。
いや、でもそれだけじゃないはず。
なんだかいつの間にかナマケモノになっていたんですかね。
いつの間にか面白さを見つけようとしなくなってクソ真面目人間になっちゃったんでしょうかね。
嫌だと思うことの方が増えすぎて、気がかりなことが多くて景色が見えなくなっているのでしょうかね。
時が経ったとしても、面白いと思う感覚や感受性は衰えさせたくありません。
なので、やはり「言葉あそび」もそのとっかかりとして大事にしたい。
心に余裕がないと「あそび」もない。「あそび」がなければ無感動・無関心な人間になり、笑うことすら忘れてしまう。
(ただでさえ忘れっぽくなっているのに)
原因や理由を見つけたところで自分への言い訳でしかないのも知ってます。
あの頃の感覚に戻らなくても、日常にある風景や出来事から「何を思ったか」「何を感じたか」をひねり出す努力はちょっとしていきたいかな。
今年の抱負は毎年掲げるほうではないですが、記事を書きながら、とってつけたように今思いつきました。
「面白いことを見つけて 少しでも多く笑う」
すすけてしまった感性を、曇ってしまって写りが悪くなってしまった感覚を、今さらながら少しづつ磨いて、日常の景色が色鮮やかに写るようにしていきたいと思った今日なのでした。
あまり大した抱負じゃないな…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?