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思うようにこの命を燃やしたい

妊婦になって変わったことは大小さまざまあるのだけども、驚いたのは顔が変わったことだった。つわりがおさまり、やっと多少の余裕が出てきて鏡をきちんと見たところ、これまでと同じ化粧をしていてもなんとなく違和感が拭えない。(自分比)という注意書きを添付してもらえるなら、ありていに言うと「かわいくなくなった(自分比)」のである。これは性別ジンクス(「おなかが前に出てきたら男の子・横に広がってきたら女の子」というような、科学的な根拠はない迷信)で言うところの、「子供が男の子だと顔付きがキツくなり、女の子だとやわらかくなる」というやつか?と考えてひとりでにやついている。ぶっちゃけ、わたしは子供が男でも女でもいい。強いて言えば男・女の順で生まれるか、女・女がいいけども、元気で生まれてこればそれで。

メンタル的な面でも徐々に変化を感じる。直近では先日の地震を受け、南海トラフ圏内に居住している身ゆえ多少の食糧を買い足しに薬局へ行ったのだけども、そのときに、「馬鹿野郎!こんなところで死ぬわけにいかねえんだ!」という怒りに似た気持ちが湧いてきて驚いた。これまで災害には怯える気持ちのほうが強かったのだけども、わたしが死んだら子供も死ぬと考えたら、絶対死んでたまるかというマグマのような激しい気合いが突如噴き上がってきた。これまでの人生で感じたことのない感情だった。

そしてわたしは小4から荒川弘先生のファンなのだが、先生を知れば知るほど、作品を読めば読むほど、自分の年齢が上がれば上がるほど、魅力が増す。3人の子持ちながら妊娠出産育児中も休載をしなかったという体力オバケエピソードは、かえすがえすも痛快だった。実家での農家時代を題材にしたエッセイ、『百姓貴族』は最高の極みで、ここまでの凄い人にはなれないにしろ、わたしもまだまだやれるな、と希望を持った。まだわたしは30前半で、しかも幸いなことに健康だし、いくらでも行けるっしょ!という。

というわけで、張り切って断捨離と部屋の片付けと掃除に精を出している。てめえの限界はてめえで決める。わたし以外の誰がどのように生きようと、本質的にはどうでもいい。わたしはわたしの思うように、この命を燃やしたい。

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