2020年〜明らかに時間の流れ方、使い方が変わった気がする
ミヤケです!
「本当のこと」を今までどれくらい教えられてきただろう。
申し訳ないけど、学校教育の中で教えられてきたことの中に「本当のこと」は相当少なかった気がする。
絶対数が多いので、教えられたことも多いけど、割合は少ない。
家庭や地域、サードプレイスなどで教えてもらったことの中に「本当のこと」はどれくらいあっただろう?
多かったと思う。
でも、それも学校と比べて・・の話であって、相対の範疇からは抜け出せないくらいだ。
*
あまりにも本当のことが少なかった
僕たちの社会にはどれだけの本当のことがあるんでしょうか。
建前や裏腹はもちろん、日本人の得意な”空気”、そしてテレビ文化。
僕たちの周りにある装置からは、あまりにも本当のことが少なかった。
だから、大きくなって、あるいは大人になって、「なんで自分はこんな・・・」と落胆する人が多くなります。
落胆すると一定数は、社会に何らかの不満を持ったり、無関心を装ったりして、どんどん分断が生まれてきます。
少し話を戻すと、
僕たちの周りにある環境は、どんなものだったのか考えてみると。
学校でお金のことを教えてくれない。
偏差値を上げる=いい就職、いい収入、にならない。
人と違うことはダメなこと。
長話はダメ。話は派手で短くてオチればいい。
学校教育、テレビ文化、中流主義はひと繋がりになっていて、そこには本当のことは何もなく、空虚な人間しか作られないような環境だったように思います。
(言いすぎました)
コロナ以降何が起きたのか
少し話が変わりますが、
コロナが起きてから、「本当のこと」の価値が急激に上がったように思います。
まず、背景には、
・情報の速報性と正確性を求める人が増えた
・テレビだけでなく、YoutubeやSNSに情報を求める人が増えた
・圧倒的個人から出る情報の濃度が濃くなった
・情報が生活に直結するようになった
そして、起きた現象としては、
「本当のことを言っているぽい発信元に集まる人が増えた」
本当のことを発信する個人
まず最初にあった現象は、個人で情報を発信する人でしょう。
コロナを語る上で、一番最初の個人は、神戸大学の岩田教授。
賛否はあるものの、岩田教授のYoutubeやTwitterに日本国民の関心が集中しました。
岩田教授の場合はある種テレビ的な注目だったが、
その後ネットメディアで発信力のある人の動きが目立ちました。
メンタリストDaiGo、中田敦彦、橋下徹、西野亮廣、ひろゆき・・・
個人が長尺でしっかりと情報発信するものに関心が集まりました。
情報の内容が真実かどうかは今の段階では分かりませんが、
確かにこういった人たちの発信・情報を求める人が急激に増えました。
本当のことを発信する集団
個人の次に増えたのは、集団でした。
例えば、2人・3人・4人くらいのグループ単位での発信が増えてきました。
Youtubeのコラボ動画なんかは典型で、ライブ配信でのコラボもこの頃から増えてきました。
コロナに関わらず、自身の人生観やビジネス・家族について、長い時間、30分や1時間以上の時間を使って発信するケースが目立つようになりました。
*
これまで書いてきたことに確信を持てたのは、あるテレビ番組を観て驚愕したことがきっかけです。
YoutubeやSNSはどちらかというと、情報感度の高い人やアーリーアダプターが多かった印象でしたが、テレビの、それもゴールデンタイムにあるコンテンツが出てきました。
TBS系列の「日曜日の初耳学」の中にあるインタビュー形式のコンテンツです。
人気俳優だけでなく、まだまだ一般的には知名度の低い方も出演されています。
これまでのテレビコンテンツは、人数も多く、派手な演出で、ぶつ切りの会話とコンテンツを突き進んできたところから、
林修とゲストが1対1あるいは1対2で、長時間、長いと1時間近くのコンテンツをテレビや公式Youtubeで観られる内容になっています。
僕は仰天しました。
しかも、インタビュアーが、林修ということで質問内容も充実すぎる内容で、かなり勉強になります。
指数関数的成長をする子どもに迷惑をかけないようにしよう
タイトル回収をしますが。
今までのコンテンツは短い時間でサクッと満足感を得られるものに関心が集まっていました。
それらは、忙しい現代人にとって都合よく欲求を満たせるものだったのかもしれません。
しかし、コロナになり、リモートワークや移動の制限、生活面での変があり、多くの人は時間を持て余すようになったのではないでしょうか。
今まで忙しかったのに、急に時間が増えると、人間は不安に駆られます。
これからの自分を創造し、いてもたってもいられなくなります。
だからこそ、前段までで述べたようなコンテンツに関心が高まったように思います。
時間がある、不安、そんな中で、じっくりと動画や音声で情報を得られることができるようになってきました。
政治経済が自身の生活に直結しやすくなった現時点において、乗り遅れないように、あるいは生き残れるように、濃度のある情報を求めたくなります。
しかし、それらの現象は、今、この時点での大人の行動です。
今後、これよりももっともっと大きな波がやってきます。
それが、子どもたちです。
今まで僕たちは、本当のことにあまりにも触れることなく育ってきました。
だからこそ今になって、本当のことに熱狂し始めています。
でも子どもたちはどうでしょう?
子どもたちの手の中にあるスマホやタブレットには、本当のことが詰まっています。
スマホやゲームじゃなく、外で遊べ
勉強は鉛筆で書いてナンボ
スマホは頭が悪くなる
そんな馬鹿げた大人の勝手な思い込みを、子どもたちは嘲笑していますよ。
なんて大人は馬鹿なんだ。
正しさに溺れているんだ。
僕は、次の世界を変えるのは、おそらく10歳〜17歳くらいの子どもではないかと思っています。
SFではなく、それは現実に起こっています。
例えば、
この事例なんかはまさに世の中が変わる先端だと思います。
大人の論理じゃこんなものは作れません。
でも僕には、この子が特別で、世界一の才能を持っているからだとは思えないんです。
知人の息子は二歳半くらいの時からiPadで自ら検索し、電車の動画を観ていました。
自分の名前も書けなのに、「そうぶせん(JR総武線)」と音声検索をしていました。
自戒の念も込めて言います。
大人たちよ。
子どもに迷惑だけはかけるな。
手助けをしろとは言わない。(したくても能力の劣る我々大人は無力だけど)
でも、迷惑はかけるな。
邪魔はするな。
*
<終わり>