本人尋問に向けて陳述書を証拠提出(原告三宅勝久) 「記者クラブいらない訴訟」

 来年(2025年)3月24日に東京地裁526号法廷で本人尋問を行うことがきまった「記者クラブいらない訴訟」第8回口頭弁論(11月18日)で、尋問に向けて原告2人と被告2人かからそれぞれ陳述書が証拠提出された。私(三宅)も下記の通り、陳述書を提出したのでご紹介する。なお陳述書の文中「甲1号証」は、事件当日の模様を収録した映像のことである。
https://youtu.be/LmQWlgv3NYI

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東京地方裁判所民事第42部 御中
2024年11月6日

陳 述 書
                        原告 三宅 勝久
1 経歴
 私は1965年生まれで現在59歳です。ジャーナリストを職業として30年以上になります。大阪外国語大学イスパニア語学科在籍中の1990年ごろから、フリーカメラマンとして中南米やアフリカの紛争地を取材して、現地の生活に密着したルポルタージュや報道写真を『週刊現代』(講談社)、『アサヒグラフ』(朝日新聞社)、『サンデー毎日』(毎日新聞社)、『週刊金曜日』(金曜日)などの雑誌や新聞などで発表しました。被告共同通信社のメキシコ支局員の助手をしたり、被告共同通信社から署名入りで写真特集面の写真と記事を配信したことが5度ほどあります。モザンビーク、アンゴラ、ハイチ、キューバ、ニカラグアの特集記事です。配信記事は、被告共同通信社に加盟する信濃毎日新聞、高知新聞、熊本日日新聞など多数の地方新聞に掲載されました。1997年に山陽新聞社(本社・岡山市)に入社し、岡山県や香川県で新聞記者の仕事をしました。岡山県の司法記者クラブ、香川県の司法記者クラブなどに所属したことがあります。2002年退職して現在にいたります。
 2002年以降は、雑誌やインターネットのニュースサイト、単行本などで、多重債務問題や自衛隊の虐待問題、冤罪事件、奨学金問題など多岐にわたるテーマの記事を発表してきました。これまでに単著で15冊ほどの著書を出版しています。

2 新聞記者として記者クラブを経験
(1)記者クラブを経験したのは新聞社にいた5年間です。諸外国の記者の仕事ぶりを見聞きした経験から、記者クラブについては入社当初から疑問を感じました。警察署や官庁のなかに一私企業である新聞社の専用の机や椅子があり、そこに出勤します。私物や会社の資料もそこに置いています。社屋として借りているも同然ですが、賃料や通信費、光熱費は官庁の負担です。そして職員と同様に庁舎内を自由に移動し、公務員と緊密に接触することで独占的に情報をもらい、取材するわけです。
 記者クラブというとあたかも公的な性格をもった団体のようですが、まったくちがいます。特定の新聞社やテレビ局、通信社だけでつくる排他的な業界団体です。
(2)私が山陽新聞社に入社して最初に担当したのが岡山東警察署でした。署内に記者クラブの部屋がありそこに直接出勤しました。寝台があり、ときどき泊まりこみました。電話はクラブ共有の黒電話があり、外線は極力それを使うよう上司に指示されました。他の警察署へは警察電話があり、会社へはハンドルを回して使用する専用の回線がありました。外線の黒電話は頻繁に使っていました。一度副署長に、電話料金はどうなっているのか尋ねたことがあります。副署長は「6万円くらいだ。俺のポケットマネーだ」と答えたのを覚えています。コピー機もあり大量のコピーをしていました。コピー機の所有や経費がどうなっていたのかはわかりません。
 その後香川県警の記者クラブ(司法記者クラブ)に配属され、岡山東署の記者クラブに出勤していたころと同様に県警本部内の記者クラブの部屋が勤務地となりました。
(3)平日の日中は警察署や県警本部の中の記者クラブの部屋で仕事をしていることが多かったです。記者クラブの部屋にいると警察職員が次々に事件や催し物などの発表文を持ってきます。それを記事にします。軽微な事件や交通事故も多く、その場合は、発表文をなぞる形で、所轄の副署長に電話で簡単に確認して記事にします。比較的大きな事故や事件の場合は現場に行って写真を撮ることもあります。また警察や外郭団体のPRの類の発表も多数ありました。記者クラブに担当の職員が来て説明を行い、その内容に沿って記事を作る場合もあれば、催し会場に行って現場を取材して記事にすることもあります。記事にするかどうかや、扱いの大きさはデスクが判断しますが、警察のPRモノが「ボツ」(記事にしない)になることは比較的少なかったと記憶しています。
 事件・事故であれ、PRであれ、警察の情報を基礎として記事をつくります。犯罪被疑者を逮捕したような場合、被疑者側の話を聞くことはまずありません。大筋は発表されるままに記事にするのが通常でした。大きな事件・事故の場合は、現場周辺の聞き込みや当事者に話を聞く取材もしますが、やはり取材の主軸は警察情報です。
 多くの逮捕事案を記事にしましたが、起訴の有無やその内容、公判の結果を丁寧に取材した例はごくわずかです。会社はそのような仕事を求めていませんでした。結局、公判開始前であるにもかかわらず逮捕時に警察が発表した話が事実であるかのように広く報道されることになります。
 私自身を含め、司法記者と呼ばれる記者の大半は刑法や刑事訴訟法をはじめとする法律を専門的に勉強した経験のない者でした。会社でも司法手続きに関する研修の類はありませんでした。警察幹部の確認をとることが「裏をとった」ことだという記者教育でした。
(4)警察など官庁の一室を自分の部屋か会社の社屋のように占有していることについて、入社直後こそ「こんなことをしていいのだろうか」ととまどいましたが、多忙な仕事に追われるうちに問題意識が麻痺してしまいました。記者クラブの問題を考えはじめたら毎日の仕事がたちまち止まってしまいます。流されるように仕事をしたほうが楽なのです。
 同僚や同業者の記者のなかには当然の権利だと思っている者が少なくありませんでした。「クラブ費」を払っているので経費は負担しており、正当な使用だ、そんな誤解をしている者もいました。官庁の側からは何も苦情の類がなく、厚遇されていたので、勘違いするのも無理はありません。
 クラブ費とは、記者クラブの加盟社が、クラブに所属する記者の数に応じて毎月払っている会費です。香川県警の記者クラブではたしか一人あたり月500円くらいで、県警の広報担当の職員が集金していました。使途を確かめたことはありませんが、家賃、光熱、通信費ではなかったことは確かです。
(5)こうした記者クラブの仕組みは不健全であり冤罪を生む温床になるなど社会に大きな不利益をもたらしていると、新聞社を辞めたいま、強く思います。新聞社を辞めてフリーランスになると、刑事事件の取材をしようとしても警察はほとんど応じないか、応じても短いコメントを出すくらいしかしなくなりました。そのため、起訴前の段階ではほとんど取材ができず、刑事公判開始後に公判の内容を中心に取材するようになりました。その結果、記者クラブを通じて流される警察情報の不正確さをしばしば目の当たりにするようになったのです。
(6)ところで、警察庁記者クラブの加盟社の記者が別件仮処分の証拠として提出した陳述書によれば、警察庁長官との「懇談」について次のように述べられています。

「原則として毎週木曜日の午後、警察庁記者クラブ加盟社の記者と警察庁長官との間で、懇談がもたれています。
 (中略)
 この懇談は、記者の常駐する部屋とは離れた、庁内の別の部屋で行われます。室内には、大きなラウンドテーブルがあり、正面に長官が座り、各社の記者がテーブルを囲むように座って、各記者が質疑を行うという形で行われています。
 このような懇談について、紙面では「会見では」と書く場合もありますが、これは、読者にわかりやすく伝えるための方便にすぎません。」
(甲34の3・2頁)

 この「懇談」には私も思い当たることがあります。香川県の司法記者クラブに所属し、県警本部にある記者クラブの部屋に「出勤」していたころのことですが、本部長と司法記者クラブで、定期的に「記者会見」を行っていました。事前に質問を出すよう幹事社を通じて広報担当から要望があり、質問のとりまとめが行なわれていました。山陽新聞が幹事社だったときだったと記憶していますが、キャップ(記者クラブにおける各社のリーダー)だった私は、県警に対して「記者会見なのだから写真を撮らせてほしい」という要求を行いました。しかし県警広報課は「懇談だから」といって認めませんでした。写真を撮らせない口実だと思いました。懇談会と思っている記者はだれもおらず、全員「記者会見」と考え、記事にも「記者会見」と書いていました。
 私は警察庁記者クラブに所属した経験はありませんが、記者会見の体裁をとりながら「懇談」と位置づけているのは、記者クラブ加盟社だけに取材の便宜をはかっていることを正当化するための方便です。不健全な関係だと思います。
(7)警察幹部と記者クラブのメンバーで頻繁に宴会を開きました。記者も警察官も休みが少なく夜勤があり、突発で呼び出されるといった労働環境が似ていることもあり、双方に宴会を楽しみにする雰囲気がありました。記者クラブの部屋に広報担当の職員が果物やカニなど食べ物を差し入れることがたびたびありました。警察幹部や職員から「ちゃん」づけで呼ばれるほど親しくなります。
 長時間労働の相当部分を庁舎内の記者クラブの部屋に入り浸りになる生活を送っていると、警察の言うことはすべて正しいという感覚になっていきます。私も知らないうちにそうなっていたと思います。
 記者クラブ加盟社の記者は全員磁気カードの入館証をわたされ、24時間、地下駐車場や庁舎への出入りが自由にできました。
「共同通信社 捜査員名簿かっぱらい事件の真相」と題する記事(甲31)は、警視庁生活環境課長の官舎で開かれた送別会で、記者クラブの記者が捜査員名簿を盗んだ事件を伝えています。私が経験した警察幹部と記者クラブ加盟社の記者との馴れ合いのひどさから想像すれば、名簿を盗んだ記者は、犯罪に問われるおそれなど微塵も感じていなかったと思います。一方警視庁としては、名簿事件を不問にすることで事件を起こした共同通信社や記者クラブに「貸し」を作った可能性があります。記者クラブに加盟する新聞社と警察の間で貸し借りをするという話は山陽新聞のときに経験しました。たとえば岡山東署の記者クラブに通っていたときにこんなことがありました。
 ――あるとき私は、松茸づくりを得意とする農家の男性を取材し、土産に松茸を何本かもらった。上司に報告すると、「副署長のところに持っていけ」と指示され、そのとおりにした。それからしばらくして、私は別の取材中、社有車が駐車違反になり、車の前部にチェーンを掛けられた。私は取材を終えて社有車で東署に戻り、副署長と雑談する際、話題にこと欠いて特に意図もなくそのことを言ったところ、副署長は部下に命じてチェーンをカッターで切り、違反を取り消してしまった。上司に報告すると「借りをつくったじゃないか」と叱られた。――
 この経験を通じて私は、「松茸」には、警察との関係において貸しをつくる意図があったのだと知りました。
 新聞社と警察は、記者クラブというものを介して特殊な関係にあると言っても過言ではありません。もし、私のようなフリージャーナリストの立場で名簿を盗む行為をすれば窃盗罪などの犯罪に問われると思います。あるいは幹部の官舎を訪れただけで建造物侵入などの容疑で逮捕されるかもしれません。
(8)この特殊な関係は、山陽新聞社をやめてフリージャーナリストにもどったとたんに、警察の私に対する態度が一変したことからわかりました。記者クラブの部屋に行ってそこで行われている発表の類を取材したくても、庁舎に入ることすら認められません。広報担当者は決して面会に応じず、電話で取材依頼をしてもほとんどが拒否か、せいぜい内容の乏しい紋切り調のコメントを出す程度です。
 警察庁庁舎内にある記者クラブの部屋について、警察庁記者クラブ加盟社の記者は「これまでクラブ加盟者以外の者が記者室に立ち入ることを妨害したことはありませんし、今後も妨害する考えもありません」(甲34の7)、「他の者の入室を禁止しているということはありません」(甲34の3)などと述べていますが、違和感を覚える説明です。記者クラブ加盟社以外の記者は、記者クラブの部屋を使う目的で警察庁の庁舎に入ること自体ができません。実態として、記者クラブの部屋は記者クラブ加盟社が独占して使用しています。
 香川県警本部の記者クラブの部屋は、加盟社ごとに机と仕切りがあり、机の上や引き出しや周辺に、ワープロ、スクラップ帳などの資料、脚立類を、不在時も含めて常時置いていました。私物や会社のカメラを置いたまま不在にすることもよくありました。整理整頓が苦手な同僚がいて、彼の机の周辺に大量の新聞や資料が山をなして見苦しい状態になり、当時キャップだった私は「もうちょっとなんとかならない?」と広報担当の県警職員に注意されたことがあります。会社の人事異動のときは記者クラブから大量の個人管理の資料を車で運び出さねばならず、ちょっとした労働でした。
 こうしたことが可能だったのは、記者クラブ加盟社にとって県警の記者クラブの部屋というものが社屋と同じで、加盟社の社員や警察職員以外に出入りが許されない保安上安全な場所だったからです。
(9)東京地裁・高裁がある霞が関庁舎の2階に「新聞記者室」と称する広さ約800平方メートルの部屋があります。記者クラブ加盟社ごとに仕切り壁で仕切られ、各ブースの中は会社や個々の備品類が山をなしています。奥の比較的広い部屋にはソファーが置かれ、記者クラブの記者たちがくつろいでいます。私のようなフリージャーナリストが使えるような共用のデスクはありません。県庁や警察にある記者クラブの部屋とよく似た光景です。
 裁判所についていえば、最高裁長官が交際費で記者クラブに暑中見舞いを贈ったり接待を行う一方で、裁判所の意向にそった報道をしているといった癒着関係が雑誌記事で報じられていますが、これも特定のメディア企業団体と官公庁が特殊な関係を構築し、それによる不健全な癒着がもたらした弊害だと思います。(甲16の1〜2、甲72)。このような記者クラブの問題については、従来から学者や識者によってたびたび批判をされています。(甲73〜74)

3 主催について
 被告らは、本件記者会見は記者クラブが「主催」しており、主催者なのだから誰を会見場に入れるかは自分たちの勝手だといった考えを持っているようですが、まさに前述した記者クラブに属する記者による勘違いです。庁舎の一室を根拠なくわが者顔で使用することが黙認され続けた結果、地方公共団体の首長が県民に説明責任を果たすために職務として記者会見を行い、そのために県の会議室を使用しているにもかかわらず、まるで記者会見が自分たちだけの独占物であり、会議室の使用方法も自分たちで自由にしてよい、といったはなはだしい勘違いしているのだと思います。記者会見開催に要する経費や会場提供等の負担をしているのは県ですから、主催という表現を使うなら県が主催者です。「地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」という地方自治法2条14項の定めに照らせば、知事の記者会見が青潮会の独占物であってはならず、フリーランスなど記者全般に広く開放されなければならないのは当然です。
 私は新聞記者時代に、香川県知事の記者会見には山陽新聞が加盟する県政記者クラブの応援として参加したことが何度かあります。私は普段は香川県警本部の記者クラブにいて、香川県庁内の一室に常駐している県政記者クラブには必要があるときに行っていました。知事の記者会見とは別に、県幹部や教育委員会が記者会見を開くこともよくあり、取材に行きました。また、香川県東讃地区の担当でもあったので、それらの町長の記者会見があるときは中心になって取材しました。正確には覚えていませんが、東讃記者クラブといった名称の記者クラブがありました。町長らの記者会見は、町から記者クラブの幹事社に連絡が入り、そこから他の加盟社に伝言される仕組みでした。
 これらの知事や首長の記者会見を記者クラブが主催したことはありません。県政を担当する同僚の記者やほかの県政担当の記者から主催という言葉を聞いたこともありません。記者会見には、知事が勤務中に庁舎内で開く「定例会見」などとよばれるものや、就任時や臨時に開くものがありますが、どちらも、経費や会場の提供をすべて県が負担して行われており、県の事業、県の主催以外の何ものでもありません。
 本件記者会見についてみると、新知事は記者会見を記者クラブ加盟社以外の記者にも開放する旨を公にしていますから、原告らの参加を県が容認していたことは明らかです。そもそも本件記者会見は就任記者会見であり、記者クラブの要請がなくても開かれたものです。現に青潮会は、本件記者会見について鹿児島県になにひとつ文書で要請を行っていません(「被告準備書面3」5頁)。それにもかかわらず、記者会見は青潮会の「主催」だから青潮会のルールに従わない者は参加を認めない、とする被告らの説明は強弁というほかありません。

4 鹿児島へ行くことにした経緯
 私が本件記者会見に参加するに至った経緯について、以下順を追って述べます。
(1)2020年7月19日、原告寺澤有からのメールで本件記者会見のことを知りました。内容は次の通りです。
・塩田康一新知事が当選し、28日に就任記者会見が開かれる
・塩田新知事は、県政記者クラブ「青潮会」に加盟しないフリーランスの記者でも記者会見に参加できる旨を公言している
・しかし、青潮会は、フリーランス記者の参加を制限し、質問を禁止すると言っている
・この青潮会の対応は大問題だと考えており、27日18時から鹿児島中央公民館で「鹿児島県知事の記者会見を考える」という市民集会を開く。ぜひ参加して発言してほしい

 記者会見を記者クラブ加盟社の記者以外の記者に開放する旨知事が言っているのに、記者クラブが参加を制限したり質問を禁止するのは筋違いであり、問題だと思いました。日頃から私は、記者クラブのあり方は日本の言論の自由や報道のあり方にとってきわめて重大な問題であるという問題意識を持っており、長期的な取材テーマでもあったことから、私は鹿児島に行き、集会に参加し、知事就任記者会見への参加を試みることにしました。同日、原告寺澤にその旨を返信しました。旅行の方法については、私は当時、岡山の実家にいましたので、飛行機よりも経済的な新幹線を使うことにしました。
 事前申し込みが必要なことやその要領、青潮会の規約の存在や内容は知りませんでした。
 また私は訴外有村眞由美氏とは面識がなく、メールや電話でのやりとりもしていません。有村氏の発表した記事等を見たことはなく、有村氏と青潮会や鹿児島県との間で、過去においてどんな協議等がなされたかも知りませんでした。
(2)7月25日午前1時すぎ、原告寺澤から次の文面のメールが届きました。

 青潮会が有村眞由美さんに「フリーランスの質問を認めた新規約を、希望するフリーランスへメールする」と連絡してきたそうなので、三宅さんと私にも送るよう伝えてもらいました。
 メールで届くと思います。

 このメールを読んだ私は、参加の制限や参加できても質問ができないという問題は解決し、私を含め、フリーランス記者が記者会見に参加して質問ができるものと考えました。そして青潮会から私に宛てて、「フリーランスの質問を認めた新規約」が直接送られてくるということだと理解して、連絡を待っていました。しかし青潮会からはなんの連絡もありませんでした。
 この段階でも、私は事前申請が必要だとは知りませんでした。青潮会の連絡先自体がわかりませんでした。有村氏とは引き続き面識がなく、メールや電話等、いかなる方法でも通信はしていません。
(3)鹿児島に出発する前夜の7月26日午後9時50分ごろ、原告寺澤から次の文面のメールが届きました。

鹿児島県政記者クラブ(青潮会)が本性をむき出しにし、28日(火)の塩田康一新知事の就任記者会見から我々は排除されそうです。
以下の有村眞由美さんのツイートを見てください。
https://twitter.com/arimumay/status/1287363285126279168?s=20

 引用されていた有村氏の上記ツイートを見ると、記者会見に参加できなくなった旨が書かれていました。

「【速報】本日「塩田康一新知事の就任会見について」という書面(画像)が鹿児島県政記者クラブ(青潮会)幹事社 共同通信の久納宏之氏から届きました。私は28日(火)に開催される塩田新知事就任会見に参加も質問もできないとのことです。

 添付された書面は、被告久納から有村氏に宛てた手紙で、次のような記載内容が読み取れました。

・・・有村様におかれましては、以下に挙げる理由によりご参加をお断りさせていただきたく、下記の通り、ご連絡申し上げます。
 記者会見室への入室はできませんので、庁舎管理の観点からも、配慮ある対応を賜りますよう、ご理解のほど、宜しくお願い申し上げます。
 なお、8月以降に開催される定例記者会見への参加につきましては、記者クラブの規約を尊重するとの考えをお持ちいただける場合には、所定の要件を満たす事前申請の提出があれば、青潮会にて参加の可否を再度判断させていただきます。

① 記者クラブの規約に法的根拠がないとの主張の下、規約に従う考えはないとの意思表明をされ、県庁舎や会見場の秩序を維持する信頼関係を構築できなかったこと
② 記者クラブ非加盟社の方の参加要件として規約が定める、報道目的での会見参加を証明するための「半年以内に2回の署名記事」を事前に提出いただけなかったこと
(乙6の2)

 有村氏と青潮会の間でどういうやり取りがあったのかはわかりませんでしたが、原告寺澤のメール内容とあわせみて、記者会見への参加はすんなりといかないかもしれないと思いました。記者会見の当事者である知事がフリーランスも参加できると言っているのに取材する側の記者クラブがそれを拒むというのは、本末転倒というか、筋違いですから、鹿児島ではおもしろいことが起きていると思いました。
 この時点でも青潮会から私への連絡はなく、有村氏との通信はありませんでした。本件記者会見に私が参加する上で、青潮会への事前申請手続きの具体的な内容や、それをすれば参加可能であるといったことは知りませんでした。

5 市民集会
 7月27日の昼ごろに私は岡山を新幹線で出発して夕方鹿児島に到着し、午後6時開始の集会に参加しました。会場で私は有村氏とはじめて面識を持ちました。有村氏の集会での発言を聞き、有村氏と青潮会との間で、知事記者会見をめぐって長年にわたる協議があったことを知りました。集会で有村氏はおよそ次の話をしました。
(1)2011年から、フリーランスとして取材を始めている。東日本大震災があった時に鹿児島に避難した。しかし鹿児島にも川内原発がある。むしろ原発に近づいている。したがって、川内原発の立地がどれぐらいの高さなのかとかそういう情報がすごく知りたかった。そういう情報をなかなか見かけることが当時なかった。それで、直接聞いた方がいいと思い、自分で九州電力に電話するといったことを始めた。
(2)最初は、県庁の記者クラブのことは全く考えていなかったが、現場に行くと、壁として立ちはだかってくることがとても多く、仕方なく、「知事の記者会見をオープンにしていただけませんか」ということを始めた。
(3)知事の記者会見に出たいと思い、広報課に行った。すると「青潮会っていうのがあってそちらが・・・」という話になった。そこで青潮会(県政記者クラブ)に行ったが物理的に部屋に入らせてもらえなかった。広報課と同じフロアに県政記者クラブ青潮会の部屋がある。入り口は別で、広報課から5メートルほど離れている。しかしドアが閉められていて中に入れない。広報課の人が「私が中に入って聞いてきます」と入ってくれたが、出てくると「今ちょっと出られないみたいです」と言った。伝書鳩のようなやり取りだった。
(4)せっかく来たので帰るわけにはいかないと思い、県庁の展望室で待ったこともある。「上で待ってるのであのほんのちょっとでもいいので、あのご挨拶させていただけませんか」という話をして、ようやく幹事社と話をすることができた。
(5)しかし、記者クラブに加盟している社の記者しか知事記者会見には参加できないとの回答だった。理由をたずねると、「そういうふうにずっとしてきて特に困っていない」とのことであった。参加に関する規約はないとのことだったので、参加させてほしいと申し入れたが、認められなかった。
(6)粘りづよく交渉を続けて、ようやく参加してよいという話になった。規約が作られ、そこには参加要件として、青潮会が指定した媒体に掲載された署名記事を出すようにとあった。指示どおりに署名記事を出した。
(7)すると、青潮会は、出版社などとの契約書か源泉徴収票を出すよう求めてきた。源泉徴収票を出すと、源泉徴収票に印鑑が押されていないから本物ではないと言われた。本物だと説明したがダメと言われ、確定申告をした書類を提出した。それでようやく参加を認めてもらえた。
(8)記者会見への参加は認められたが、質問はダメということだった。規約に、非加盟社はオブザーバー参加(質問不可)となっているのが理由だった。
(9)塩田康一新知事が当選し、就任記者会見を2020年7月28日に開くことになった。参加する予定でいたところ、記者会見2日前の26日になって、青潮会幹事社の共同通信社から、質問を認めないだけでなく参加自体を認めないとの回答が文書がきた。申請の提出期限内に申請していない、「規約に従う考えはないとの意思表明をされ、県庁舎や会見場の秩序を維持する信頼関係を構築できなかった」というのが理由だった。

 有村氏の上記発言を聞いた私は、何よりも青潮会が源泉徴収票の提出を求めたことに驚きました、常軌を逸していると思いました。
 集会で私は、記者クラブに関する持論を発表しました。すなわち、記者クラブ制度というものは、知事や公務員が気に入らない記者を排除して情報操作することを可能にし、記者クラブ加盟社の記者と官公庁との癒着をもたらすものであり、社会に不利益をもたらすものであるから改められるべきであるといった考えを、新聞記者時代の経験を交えてお話ししました。集会に被告前田晋吾が参加していることは知りませんでした。
 なお、集会が終了した後、翌28日の本件取材妨害が行われるまでの時点における私の事実認識ですが、有村氏がオブザーバーとして参加することが可能になった時期や、本件記者会見に参加を申し込んだ時期、新旧規約の作成時期といった詳細については理解していませんでした。また、青潮会の旧規約(フリーランスは参加可能だが質問はできないと定めたもの)と、新規約(フリーランスは参加可能で質問もできると定めたもの)のどちらも見ておらず、その具体的な内容は知りません。青潮会から私に連絡はなく、事前申請の方法や青潮会の連絡先も知りませんでした。

6 当日(受付付近)
(1)2020年7月28日は、朝から原告寺澤、訴外有村眞由美、同畠山理仁らとともに、新知事就任に伴う一連の行事を取材するために鹿児島県庁を訪れました。報道記者であることが外見からわかるように「報道」と印刷された札を首から下げました。取材に先立ち、水溜義仁報道企画係長を訪ね、新知事の就任記者会見からフリーランスを排除する意思がないことを確認しました。
(甲1「カメラを止めるな! 7月28日(前編)」、0:04:35〜0:06:15)
 新知事の登庁や訓示、知事室に入る様子など、青潮会加盟社の記者らとともに取材を行いました。この間、被告らや県職員らから、知事会見の取材に関してなんらかの注意や質問、助言を受けたり、参加ができないことや、参加するには手続きが必要であること、手続きの具体的な要領等を伝えられたことは一度もありません。こうした様子から、私は知事会見にも問題なく参加できるのではないかと思いました。
(2)一連の知事就任に関するイベントが記者会見を残してすべて終わり、原告らは記者会見の会場である会議室に向かいました。廊下に長机が置かれ、女性の県職員(以下「女性職員」という)が受付作業をしていました。「ジャーナリストの三宅といいますけども」と私が話しかけると、女性職員は「本日はご参加できないんですけれども」と答えました。私は「なんでですか。先程、知事が開かれた知事室とおっしゃったので。ここはぜひ参加させていただきたい」と言い、名刺を差し出しました
 このとき被告久納が女性職員の脇から「幹事社の・・・です。ちょっとお話よろしいですか」と言って話に割り込んできました。私は被告久納と面識がなく、また女性との会話が終わっていなかったので、被告久納を無視して、女性職員に「この受付は県がされているのですか、それとも・・・」と尋ねようとしました。すると被告久納は再び会話をさえぎり、「青潮会がしています」と言いました。
(甲1、1:56:00〜1:56:31)

 私は「ちょっと待ってください」と被告久納を制し、女性職員との会話を続けました。
原告三宅 あなたはどちらの方?
女性 県の・・・。
原告三宅 職員でしょう。ここの庁舎管理権者ってどなた?
女性職員 庁舎の管理は県が行っています。
原告三宅 お名前は?
女性職員 とうやと申します。
原告三宅 とうやさんですね。所属の部署はどちら?
女性職員 所属は広報課になっております。
原告三宅 広報課のとうやさんでしょう。
女性職員 (無言でうなづく)
(甲1、1:56:04〜1:56:53)

 ここにきて、被告久納は、相撲の行司のように私と女性職員の眼前にノートをかざして会話をさえぎり、強引に会話に割り込みました。私は、被告久納のぶしつけな態度に驚き、「あなたは誰なんですか」と尋ねると、被告久納は「幹事社です」と答えました。私は「幹事社の誰なんですか」と尋ね、被告久納は「共同通信の久納といいます」と答えました。私は、会話を妨害する行為をたしなめる意図で、「ここは共同通信ですか? ここは県の庁舎でしょう。受付をしているのは県の職員でしょう? 私はこの方(女性職員)とお話しているんですが」などと被告久納に言い、女性職員との会話を続けようとしました。被告久納は、左隣の訴外KTS鹿児島テレビ記者(以下「KTS記者」という)とともに、「青潮会がお願いしているんです」「代わりに受付をしてもらっている」などと一方的な発言を続けました。私は「話をさえぎらないでください」と抗議しましたが、付近にいた青潮会所属の訴外日経新聞記者(以下「日経記者」という)が女性職員を受付場所から退去させ、私と女性職員の会話を強引に終わらせました。このとき私は「青潮会」という団体の内容を正確に理解していませんでしたが、被告久納から青潮会に関する説明はありませんでした。
(甲1、1:56:54〜01:57:37)
(3)以後被告久納および青潮会関係者(以後「被告久納ら」ということもある)と原告らの間で、長時間にわたる話し合いがはじまりました。被告久納は私が求めるまで名刺を出しませんでした。また話し合いの中においても、青潮会が具体的にどのような団体であるかについての説明は「県政記者クラブ」という以外になく、加盟社の数や社名、規約の提示はなされませんでした。なお、被告前田がその場にいたかどうかはわかりませんでした。
 被告久納らの言い分は、青潮会が本件知事記者会見の主催者であるから、青潮会の「ルール」に従い、事前申請していない者は参加できない、といった趣旨でした。私は、事前申請などの手続きや規約のことは知らないと答えましたが、
「きのうの時点で申し込むことが必要だということはご存知でしたよね」
「きのうの夜の会合の時点ではご存知だった」
(日経記者の発言)
(甲1、02:03:34〜)
 ――などと私が規約を知っているものと決めつける発言を行いました。「きのうの夜の会合の時点ではご存知だった」という発言に対して、私は「きのうの夜からどうやって手続きするんですか」と問い返しました。日経記者は「6時ですね。十分です」と答えました。規約を送らず、事前申請の方法の説明はおろか、青潮会がどのような団体であるか、またどうやって連絡すればいいのかすら伝えないでおいてなぜこうした発言をするのか、被告久納らの意図を測りかねました。また、規約や手続きは知らないと私が説明しているにもかかわらず、なおも規約を見せることもなく、知っていたはずだと繰り返すばかりで頑なに記者会見参加を認めない姿勢に違和感を覚えました。
(4)被告久納らと原告の話し合いは、
(青潮会)記者会見は青潮会の主催である。事前申請という規約が定めたルールに従え(取材をあきらめて帰れ)。
(原告三宅)主催者は県である。庁舎管理権者は県であり、誰を入れるかを判断する権限は県にある。そもそも規約自体を知らないので手続きのしようがない。
(青潮会)誰を入れるかは我々が判断する。三宅が規約を知らないはずがない。手続きをしなかったのだから入れるわけにはいかない。
――といった平行線になりました。こうしたやりとりの中で私は「知事の会見そんなに興味はない」と発言しましたが、言わんとした趣旨は次のとおりです。
 記者クラブ非加盟のフリーランス記者を記者会見から排除しない旨、会見を行う知事自身が公言していにもかかわらず、同じ取材をする立場にいる記者クラブが妨害している。この状況を目の当たりにし、知事の会見そのものよりも取材妨害のほうに大きな興味を持った。
 すなわち、私は青潮会が記者としていかにひどいことをしているかを端的に伝えるため「(今あなたたちがしていることに比べれば)興味がない」と表現したのです。
(5)庁舎管理権と「主催」について
 本件記者会見と庁舎管理権、「主催」をめぐっては、日経記者と原告らの間で次のようなやりとりがなされました。

日経記者 県庁の職員の方がここ(受付)に座っているのがおかしいとおっしゃったから。
原告三宅 私が(所属部署や庁舎管理権について女性職員に)お聞きしたのは、県の庁舎であり、庁舎管理責任者は県にあり、県の職員が記者会見の受付をしている。そこで記者会見をするのは県の職員である県知事である。そうすると、受付しているのは、当然県の仕事として記者会見やっていますね。あなたがたが主催していると言っても、その中でね、どういう記者会見の運営をするか、そこはあなたがた排他的任意団体たる青潮会に任せます、というのならまだわかります。ただ、この庁舎をどう使うか、何の目的で使うかという責任は100%県にあるんじゃないですか。私はそう理解しているから、受付は県の職員ですね、つまり、この会見場にどういう方が入るかどうか、取材目的の記者ですねということを、庁舎を管理する上で確認する必要がある。それは理解できる。だからうかがったわけです。
日経記者 ですから、中に入るかどうかについては県じゃなくて我々が判断するんで受付を代わった。
原告寺澤 いやそれは無理でしょう。だってあながたが庁舎管理権ないもの。
日経記者 庁舎の管理は県です。おっしゃるとおり。
原告寺澤 はい。
日経記者 そこの記者会見場をつかって記者会見を主催しているのは我々。
原告寺澤 いやいや何言ってんの。庁舎管理権がない人が排除できないでしょう。
日経記者 ひとつは。これ、ご理解いただけたらほんとにありがたい。
原告寺澤 はい。
日経記者 前職の知事というのが記者会見を基本的に避けている方で、本来的にやりたくないのを我々が主催しているってことで、ある意味いやいやながらも出てきたってのが実態としてあるわけです。やっぱり記者クラブが主催するということによって、知事が自由に記者会見をやったりやらなかったりということができないようにするって部分が、我々のこの仕組みの中であるってことは間違いなく事実としてある。
(甲1、02:09:18〜02:11:12)

 日経記者の上記発言を聞いた私は、やはり青潮会の言う「主催」とは、せいぜい、定期的に記者会見を開いてほしいと青潮会が県に要請したことがあるといった意味にすぎず、県の主催事業である就任記者会見を、あたかも自分たちが主催しているかのように勘違いをしていると思いました。
 なお本件訴訟を提起した後、私は有村氏が書いた2012年4月5日付の記事「フリラーンスの記者会見参加について、記者クラブととことん話した」を読みました。そして、青潮会が2012年当時、有村氏に対して、「緊急記者会見の主催は県。青潮会から口を出すことはない」と説明していることを知りました(甲10、15枚目の下段付近)。青潮会からの要請がなくても県が自主的に実施する点では、就任記者会見は緊急記者会見と同じです。それなのに前者は青潮会主催であり、後者は県の主催だというのです。つまり、記者会見に参加する記者を恣意的に選別する口実として、あるときは「県主催」、あるときは「青潮会主催」と使い分けているにすぎず、被告らが使う「主催」という言葉は無意味であり、本件記者会見の主催者は県であるとあらためて思いました。
(5)私は、自分が記者であることが客観的に説明できればこと足りると考え、前日の市民集会の会場で販売する目的で持参していた著書(『「大東建託商法」の研究』)を被告久納らに出しました。同書の奥付に私の経歴が記載されており、それを確認してほしいと思いました。しかし、被告久納らのうちのだれも著書に手を触れませんでした。日経記者が「三宅さん、これ俺買って持ってる」と言ったので、私は自分がジャーナリストであることを青潮会はすでに知っていると思いました。
(甲1、02:20:15〜)
(6) 私は青潮会の規約を知りませんでしたが、特定の媒体に過去半年で2本以上の署名記事を示して事前申請するといったことが参加要件として記載されていることは、他の者の話から理解できました。そこで、話し合いに同席していた青潮会会員の南日本新聞記者に向かって次のように述べました。
「記者であることが証明できたら十分じゃないですか。どういう頻度でどういう記事をどういうふうに書くかは、会見に出るかどうかとは関係のない話ですよ」
 これに対して南日本新聞記者は「いやいや、証明ができてないじゃない」と答えました。私が「証明って、あなた自分で読もうともしないだけじゃない」と言うと、南日本新聞記者は「これ作家じゃん」と答えました。私は、青潮会はいったい私たちに何を証明させたいのか理解することができませんでした。
(甲1、02:28:19〜)

7 当日(会議室付近)
 知事記者会見の開始時間が近づいたので、私は会場の会議室に入るために原告寺澤とともに入口に向かいました。県職員で原告らの行動を制止する者はいませんでしたが、被告らを含む10人以上の青潮会関係者と思われる記者らが前方に立ちはだかって入室を物理的に妨害しました。30年以上の記者経験で見たことのない光景でした。被告前田もいました。
 原告らと被告久納および被告前田、日経記者らの間で次のやりとりがありました。

原告寺澤 取材をさせなさい・・・って言ってんの。
原告三宅 庁舎管理権があなたちにあるのか?
被告久納 管理権は持ってない。
原告三宅 持ってないのになぜこうやって立ちはだかるのか?
被告久納 ・・・
原告三宅 青潮会がこの場所を借りているのか?
被告久納 借りている。借りてます。
原告三宅 じゃ、県の職員呼んできてください。に確認するので呼んでほしい。
日経記者 自分で呼んできてくださいよ。
原告三宅 いや待ってください。この方が借りているとおっしゃったから。説明すべきはあなた方でしょう ?
被告久納 ・・・
    (中略)
被告前田 使わせてくださいと。
原告三宅(被告前田にむかって)青潮会がここを占有的に使っていいということを確認したい。
被告前田 占有的という言葉がどうか・・・。
原告寺澤 いや、占有してるでしょう。とにかくこのバリケード、バリケードを解除しなさい。
(甲1、02:31:11〜02:32:13)

 記者会見会場である県庁の会議室を青潮会が借りているとする被告久納の説明は、明らかに嘘だと思いました。念のため、後日、鹿児島県に対して情報公開請求を行いましたが、青潮会が借りたことを示す文書は存在しませんでした。
 被告らとともに妨害行為をしていた記者のひとりは、混乱を起こすことが目的で来たのだろう、という趣旨のことを言いました。そもそも、混乱を起こしているのは青潮会のほうではないのかと違和感を覚えました。被告らが記者会見場への入室を妨害しなければ、騒ぎにはならず平穏に記者会見と取材がなされたことは明白だったからです。
 結局、原告らは会議室の入口から約1メートル離れた位置から先に進むことができず、知事就任記者会見の取材はできませんでした。

 8 まとめ
 榊原英資・慶応大学教授は、「日本のマスメディア カルテル体質改革を」と題する毎日新聞への寄稿(甲74)で、次のように記者クラブの問題点を指摘しています。

 より重要なのは、記者クラブの古いカルテル体質が、日本の公的セクター(程度の差こそあれ民間セクターも同様であろう)に近代的広報システムを採ることを妨げていることである。例えば、総理、あるいは大臣は、特定の社の特定の記者を通じて国民に直接話しかけることが極めて困難である。記者クラブというカルテルを通じてしか、原則として、広報活動が出来ないのである。このインターネットの時代、こうしたカルテル・システムがいかに時代遅れかは自明であろう。
 記者クラブ等によるマスメディアのカルテル体質は、他方で優秀かつ専門的ジャーナリストを育てることへの障害になっている。クラブに社から送られてきた記者には、社を背負った一種の公人としてのステータスが与えられ、総理や大臣といえども、彼らを公式に差別することは出来ない。つまり、記者の間の能力による競争が著しく制限されているのだ。どの世界でも、プロはプロとしての能力を磨き、それを基本に競争することによって自らを律していく。
 もちろん、中には優秀なプロのジャーナリストも少なくないが、最近、特に記者クラブには素人が多くなった。筆者も、大蔵省の財務官、局長の時代、「全く素人ですので、事前レクをして下さい」と堂々と言ってくる記者クラブの人たちの多いのには驚かされた。甘えるんじゃないよ、と言ってやりたかったが、そんなことを言って変な記事を書かれても困る。多くの人が長いものにはまかれろということで、メディアの人とつきあっているという事実を、もっとメディア側も知るべきであろう。
(甲74)

 2000年当時の論考ですが、いまに通じる正鵠を射た指摘です。地方公共団体の首長の記者会見という公的な取材の場を、特定の新聞社やテレビ局、通信社に属する比較的経験の浅い記者で独占し、経験のあるフリーランスの記者を実力で排除するという本件妨害行為は、記者クラブのカルテル体質によって記者の資質低下をもたらしているという榊原教授の指摘が先鋭的に露呈した出来事です。
 原告らの職業がジャーナリストであり、原告らが会場に入ることで、記者会見に支障が生じたり、県や青潮会が不利益を被るおそれはありませんでした。県知事の就任会見が県の事業であり、その県がフリージャーナリストの参加を広く認めているにもかかわらず、被告らはなんら権限のないまま、同業者たる原告らの取材を実力で妨害しました。このことに私は言葉に尽くせない落胆と苦痛を感じています。
 有村氏は、県知事の記者会見で質問をするということを実現するため、およそ10年にわたる努力を続け、その結果、新知事がフリーランス記者を排除しない(参加と質問ができる)旨公言するに至ったにもかかわらず、被告らによって不合理きわまりない形で取材を妨害されました。有村氏が記者であることは被告らがもっともよく知るところであり、難癖をつけて参加を妨害したのです。個人攻撃、人格攻撃といっても過言ではありません。そして、原告らに対する本件取材妨害も、この有村氏に対する個人攻撃、人格攻撃と無関係ではないと思います。有村氏を記者会見から排除するという目的がまずあり、それを正当化するために原告らを排除したのだと思います。青潮会が「主催」したというのは排除を正当化するための口実、方便です。被告らの常軌を逸した取材妨害は、そうでも考えるほか理解できません。
 青潮会や被告らの行為は、県知事の記者会見を私物化し、気に食わない記者に対しては実力を行使してでも取材をさせないという理不尽きわまりないものであり、この国の報道の自由や言論の自由の観点から看過してはならない重大な問題だと思います。
以上

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