私が鹿児島県の「記者クラブ」を訴えたワケ
去る7月27日、私は共同通信社と同社社員2人を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を、ジャーナリストの寺澤有氏とともに東京地裁に起こした(民事42部=大須賀寛之裁判長。原美湖、東郷将也・各陪席裁判官。令和5年ワ19066号)。
2020年7月28日、鹿児島県庁で塩田康一・新知事の就任記者会見があり、私と寺澤氏が取材をする目的で会場の会議室に入ろうとしたところ、「青潮会」なる鹿児島県庁を主な取材拠点にしている地元新聞・テレビ・通信社の任意団体、いわゆる記者クラブのメンバーら多数が部屋の入口に立ちはだかって入室を実力で妨害し、取材させなかった。
青潮会の当時の幹事社は共同通信で、管理職を含む2人の共同通信社社員も、知事会見の取材をせずに入室妨害に加担した。同社および社員らから不当な取材妨害を受け、精神的苦痛を受けたというのが訴えの趣旨である。被告は会社と社員だが、実質的には記者クラブ「青潮会」を相手どった訴訟である。
青潮会が決めた取材申し込み手続きをしていない――それが幹事社共同通信社社員らの説明する入室妨害の理由である。だが私たちはあらかじめ県広報課に問い合わせて取材可能であるとの返事を得ていた。なぜ特定の報道産業でつくる任意団体にすぎない連中にお伺いを立てなければならないのか。理由がわからないので、申し込みをしなかった。
青潮会の「ルール」を無視したのは、申し込みの要領自体にも疑問があったからだ。過去半年に2本以上の署名記事を特定の出版団体に加盟する媒体に発表していることを示した上で青潮会が認めるのだという。まるで占領軍の検閲である。そして申し込みは1週間前までにするらしい。私がその妙な「ルール」の存在を知ったのは会見前日だった。青潮会の「ルール」に従えば、もはや知事会見の取材はどうやっても不可能だ。申し込んでも意味がない。
しかも、朝から新知事就任にともなう諸々の行事があり、それらは県職員の協力で問題なく取材できたという事情がある。知事会見だけについて「青潮会」が難癖をつけた。県が取材を認めているのに、地元の記者らが束になって「取材せずに東京に戻れ」と言い出した。黙って引き下がれるはずがなかろう。
記者であることが証明できたらそれで十分ではないか。そう考えた筆者は、刊行したばかりの自著『「大東建託」商法の研究』(2020年3月、同時代社)をわたしてみた。だが、共同通信の彼らは手を触れることすらしなかった。そして、知事会見の取材を認めるわけにはいかないと繰り返した。業をにやした私たちは、連中を無視して入室しようとした。すると戸口の前に立ちはだかった。10人ちかい青潮会の構成員(同会以外の人間もいたとの情報もある)らが加勢し人間バリケードを築いた。
県職員は誰ひとりとして、私たちが会議室に入ろうとするのを咎めなかった。
記者であることが証明できようができまいが青潮会にとっては関係ないことが、これではっきりした。自分たちの「ルール」を無視したことが気に入らないのだ。縄張りを荒らされるとでも思っているのだろう。
行政機関が特定の新聞やテレビ、通信社産業のみを優遇し、巧妙に情報操作を行うのが「記者クラブ」の本質である。警察の記者クラブ(つまり「社会部」)を中心にして日本列島の隅々に広がったこの情報操作システムは、日本の権力構造の要であり、真の民主化を阻み社会を腐敗させている元凶のひとつといってよい。私はかつて新聞社で記者クラブに属していた経験から、そう考えている。
この後進的な報道状況を少しでも前進させたい、それが今回の裁判の動機である。
ところで、担当裁判官の経歴が興味ぶかい。担当部は42部の合議係。大須賀寛之裁判長。元最高裁広報課長・秘書課長のエリート裁判官である。記者クラブの記者連中と親密な関係にあったことは想像にかたくない。この裁判体の担当になったのは偶然か、あるいは意図的か。大須賀裁判長の訴訟指揮が見ものである。
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