2019年、キャシャーン Sins
ここプラスティックシティ東京では誰もが皆、孤独な魂を抱えて眠れない夜を過ごしている。そして夜が明けると、眠いまなこを擦りながら満員電車にその身体を押し込み、生まれたての雛鳥のように互いに身を寄せあって吐き出され、無機質なガラス張りのオフィスビルディングに吸い込まれていく。
なあ、これが21世紀の人類の姿なのか?
昨年2019年のトピックと言えば、もう何年も見終えることのできなかった『キャシャーン Sins』をdアニメストアで最終話まで見たことだろう。当世流行のビンジウォッチング(一気見)ではなく、Hulu、バンダイチャンネル、dアニメストアとサブスクサービスを渡り歩いて一話一話を丁寧に再生してきたその過程は、ちょうどこの作品の中でキャシャーンがルナという少女を探し求める長い旅路と符合する。
なぜそんなに時間がかかったのだろうか。仕事で疲れ果てた夜中に消化するには各話のエピソードが重く暗過ぎたのだろうか。あるいは画面に果てなく広がる人類の死滅した世界に、「次を再生する」ボタンを押す指がためらいがちに震えていたからだろうか。
そうかもしれない。それもあるだろう。しかし何よりもこの作品に流れる魂のリズムが、安易に流し見ることを許さなかったからではないか。魂のリズムとは、昨今話題になる映像作品ありがちな視聴者の感情にピタッと寄り添う(めちゃエモ〜🥳な)リズムではない。
たとえば『おジャ魔女どれみ』の瀬川おんぷ、『ハピネスチャージプリキュア』の氷川いおな、『君のいる町』の枝葉懍、『輪るピングドラム』の多蕗桂樹、あるいは…。なぜか不意に口をついて出てくる彼女ら彼らは、ある時、どこか人間としての感情を探していなかっただろうか。誰もが疑いなく宿しているつもりの感情。しかし、それを持ちあわせていない、あるいは欠かした人間が、それを求める時、その不器用な手つき、その不規則な足取りが刻むリズムこそが魂のリズムになる。
彼女ら彼らはそこで何を見つけたのか?
21世紀の人類はそこに何を見出すのか?
長い魂の旅路の果てにあたしたちは…。
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