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続く。

「10年前から毎日」とか「30年続く」とか「創業120年」とかが好きだ。

続いているものには価値があると思う。

「続いている」と言われるなら、観測した人や観測してる人がいるはずだ。


自分1人じゃ「続いている」は成立せず、それじゃあ「続けている」になっちゃう気がする。

続けることなら、なんとなくできる。あとはハードルの高低を調整するだけだし、そのハードルとて「越えてから初めてカウントする」というハードルはさじ加減だ。

創業120年の老舗も定休日や店休日は織り込んでいるはずで、120年間のノンストップ営業と同義ではなく、同義じゃなくていい。

要は「あの時もあった」や「そう言えばその時もやっていた」という観測が成り立てばいいのかな、とも思う。そしてそれが記録として今時点で観測できるようになってれば成立するんじゃないかなあ、と。

おじい達の昔話は面白い。

盛っていることもあるだろうし、丸ごと作り話かもしれない。感情が薄まって美化された部分もあるからフラットに届くから、かもしれない。

その面白味を解析するのは野暮かもしれないけど、僕の好きな人は今「いかに野暮を避けないか」をテーマにしているという。

そうだ。コーヒーに砂糖を入れないのってなんだかスタイリッシュな感じがするけど、砂糖入りのコーヒーって美味しいじゃん。

だから、辿ってきたものを観測できる状態でセーブしておくことは許容しようと思う。特に自分ごとくらいは。

昔話は自分と自分でも楽しめるかもしれない。

2024/06/10

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