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自分が分からない28歳。強くなりたいもんですね。

 「めちゃくちゃ優しいよね」
何回聞いたか分からない言葉。

優しいよね、か。

いつ聞いても「俺ってなんでこんなにやさしいといわれるのだろう。」と考えるようになってどれくらい経つのかも覚えてない。

とにかく友人、初めて会う人、職場の先輩、同僚、後輩、その他色々な方々から言われ続けてきた言葉。優しいことが良いことなのかどうなのかはわからないが。

これが今の俺。

 そもそもなんでこんな性格になってしまったのだろうか、と考えるのはこれまでその優しさが原因で損をしてきたからに他ならない。

俺が断れないのを分かっててやりたくもないボランティアの人員の確保をされたり、めんどくさい仕事や作業はいつも俺。

とにかく標的にされることが会社でも私生活でもよくある。
「断ればいいやん」と言われてしまえばそうなのだが、いかんせん、人に嫌われるのが怖い。

現代を生きる人たちにとっては「嫌われたっていい」が普通であると思うのだが、俺にまだその思考まで至れていない。

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 幼少期は南の島の端っこで育った。中学なんか全校生徒30人に満たないような学校だ。

その中で俺は俗に言う優等生枠。

幼馴染には多少グれたやつもいたが、母親は小さいころからの幼馴染がグれたいることを知り、あまり遊ばせなかった。

姉兄の出来が良かった分、お前もできるだろ、を親と姉兄を知っている教師たちから囲われて真面目街道まっしぐら。

一番しんどかったのが、部活の顧問だ。お前がキャプテンやれ、お前が引っ張れ、お前がへばってどうすんだ、声出せよ、などなど。

正直よく怒られた。結構殴られた。
周りは好きに遊んでいるのになんで俺ばっかり、とは思った。でも口に出したら親が悲しむ、先生に殴られるという気持ちが勝って何も言えなかった。

今思えばほんとにいいなりだった、マニュアル通りにやれば怒られる回数が減る、そんな思いで3年間中学生活を耐え抜いた。

自分で考えて答えを出しても否定される(殴られる)、バカにされる、だからルールに沿ってやればいいんだ。そんなことしか中学では学べなかったのかも知れない。

俺が母親に何も言えなかったのは、その頃、父親と母親の仲が良くなく、ちょうど別居を開始した時期だったから。

親父は好きなことをするために俺たちの養育費を払うこともなかった。引っ越し代ですら母親が借金をして用意した。

母親一人で3人を育てるのは厳しいことは分かっていたと思うが、父親があてにならない分昼夜問わず母親が働いていた。

そんな母親を悲しませたくなかった。田舎の中学生の俺にできたことといえば、ただ真面目に言いなりになることだけだった。

 そんな中学を卒業して高校へ入学したのだが、俺はいわゆる真面目キャラが中学で定着してしまい、他校出身の同級生達の冗談交じりの会話になんて正直ついていけなかった。

だから引き続きただの真面目ないいやつを続けざるを得なかった。学弁(学校で売られている弁当)を買いに行くとき、何人もの男女から「ついでに買ってきて」をよく言われて断れなかった。

それがカースト上位のやつらとつながれる唯一の機会だったから。

ある時、文化祭の出し物の打ち合わせで聞いてしまったことがある。それは学弁をいつも俺に頼む同級生がほかの友人と話しているときだった。近くにいた俺はその時に限って地獄耳を発揮してしまった。聞こえてきたのは

「あいつっていいやつだけどマジ詰まんねーよな、会話も併せてばかりだし。正直絡みたいと思わん」

だった。ショックだった。今更、面白いこと、芸人のようなことをして人を笑わせるようなそんな能力は持ち合わせていないし、すべる=失敗の脳内変換だけは早かった。

失敗したら恥ずかしい、そんな思いが頭を駆け巡った。結局「そんな奴とはかかわらないでおこう」が俺がとった選択肢だった。要するに逃げた。

そこから誰かと話すのが怖くなってしまった。友人を避け、学校では部活以外の時間、一匹狼だった。

併せて、この時期、母親との生活は姉兄がいる時より苦痛だった。ご飯がお米とオクラだけ、お米と具無しの味噌汁だけなんてざらだった。でももっと苦しい環境の人もいるんだと思って気にしなかった。そう言い聞かせるしかなかった。

バイトさせてくれと言ったが、反対された。黙って面接を受けに行ったこともあったが、「親の了承がないと働かせることはできない」で一蹴された。

結局俺にできたのは
「我慢して時間が過ぎるのを待つこと」
だけだった。

学校、家庭でのこともあり、内心しんどかったが平穏を装った。家族にも他人にも自分が出せなくなった。

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新卒で採用されたのはある地方自治体の職員だった。

公務員。
姉兄は地元を離れて都心に行ってやりたいことをしていた。母親は俺に対して

「なんとか公務員になってくれないかな〜」

といつも呟いていた。バカな俺はそれを真に受けて大学受験の頃より勉強した。元々上2人よりも頭の出来は宜しくない、どうにか認められたいと言う思いがあったのかも知れない。

採用通知を受けた時は、素直に努力が報われたと思って嬉しかった。母親も泣いて喜んでいた。

でも、採用されてからが苦痛だった。

「どんくさい」
「何してんねん」
「おまえ何ができんねん」
「お前どんな育ち方してきたん」
「脳みそどうなってるん」

など毎日毎日言われ続けた。苦痛だった。仕事に行きたくなかった。誰にも相談出来なかった結果円形型脱毛症になってしまったよ。笑

結局2年でその職を退職した。その時も当たり障りないように「やりたいことがあるんです」と言う理由を付けた。本当は人間が嫌だったからやめたのだが。

そこから一度サービス業を経験して、今はベンチャー企業の一員としてデスクワークをしている。

冒頭でも話したように、俺が断れないのを分かっててやりたくもない休日のボランティア人員に確保に駆り出されたりめんどくさい仕事や作業を振られているのが現状だ。

専門職の部署であるのに月〜金の内、業務外のことをする日が絶対に1日はある。月一で休日出勤があるのだが自部署の仕事ではなく他部署の業務のため、全くスキルアップも望めない仕事のために駆り出されている。

給料も上がらない、28にもなって月手取り20万程しかないなんてお先真っ暗、しかも奨学金の返済もある。正直、人生詰んでる。恋愛をしたくても俺の現状を知ったら去っていく。

彼女がいた経験は人並みにあるが、極端に続かない。長くても半年だ。基本相手側からアクションを起こされて付き合うのだが、結局相手から離れていくことが圧倒的に多い。笑

俺に原因がある。としか考えられない。
が、それも分からないうちはまだ恋愛しても続かないのだろうと思ってかれこれ2年ほど恋愛していない。

このまま一生独り身かな。笑

とかも考えるようになってきた。笑

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そんな自分を変えたくて、資格の勉強やら副業の計画やらを最近始めたり、このnoteも少しは自分を出せるかも知れないと思って始めてみました。転職してぇ笑

知り合いにこんなこと言える訳もなく、
知らない人が見るならえっか。
と思って書かせて貰いました。

結構ネガティブ思考な人間ですが、読んでいただけた方々の中で

・共感できると思った方
・てめぇそんな甘っちょろいこと言ってんじゃねぇよって思った方

なんでもええので思ったことをコメント残してくれたら少し励みになります。

長々と読んでいただきありがとうございます。

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