![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152614082/rectangle_large_type_2_342c3a76963592963a0832f7ad0ea89a.jpeg?width=1200)
大人が学べる場と時間をつくる
毎日食事を作ってもらえる生活を続けていると、それが当たり前になってしまう。進学や就職などで独り暮らしになってはじめてその有り難さに気が付いたというのはよくある話だ。「あたりまえ」はそれを失うことによってはじめてそれが「あたりまえ」でなかったことに気が付くようだ。
「学び」も同じだと思う。
子どもの頃に勉強が嫌いだった人も、大人になると強烈に「学びたい」と思うようになることが多い。勉強できる環境があたりまえだったのが、そうではなくなるからだ。
「学生の頃もっと勉強しておけばよかった」という声もよく聞く。そして、「勉強方法がわからない」という相談を大人から受けることも少なくない。
「喉の渇いていないロバに水は飲ませられない」という有名なフランスの諺がある。実は私が大学の授業で最も時間と労力をかけているのは「いかにして水が飲みたいと思わせるか」である。つまり、授業の内容そのものよりも「いかに興味を持たせるか」「学ぶ楽しさをいかに伝えるか」の方に力を注いでいるのだ。社会人向けの講演はそういう意味では楽である。興味をもっている人しか来ないからだ。
そういうこともあって4年前に大人が学べる場と時間をつくるための団体を立ち上げた。基本理念は「学び合い」である。「教えに来た人がいちばん学べる」というのが特徴。様々な職業や立場の人が学びに来ているので、講師も質疑応答や懇親会で学べるからだ。
同時に考古学を専門としている若い相棒と一緒に沖縄のグスクツアーも行っている。観光ガイドではなく「一緒に考古学をやりましょう」というのが基本。これまで発掘されたものや文献から一緒に推理するのである。
これらは意外とすごく評判がいい。やはり学びたい大人は多いのだ。学びを始めるのに「遅い」はない。子どもたちに「どうして勉強しなくちゃいけないの?」と聞かれたら多くの大人たちが「楽しいから」と応える日が来るといいなと思う。