宮城能彦(みやぎよしひこ)

いろんなことを自由に楽しく語り学び合いたいと思っています。自己主張を目的とするのではな…

宮城能彦(みやぎよしひこ)

いろんなことを自由に楽しく語り学び合いたいと思っています。自己主張を目的とするのではなく、お互いに刺激し合いお互いに尊敬しあってお互いに学びお互いに成長していく。 本音を書くので、時々自分の事をたなあげしたり少し過激になったりヘタレになることもあるのでゴメンナサイ。

最近の記事

台風の思い出

 奄美・沖縄の人なら誰でも「台風の思い出」というのがあると思う。  子どもの頃は不謹慎にも「学校が休みになる」というそれだけのことで台風が来るとワクワクしたという人も多いだろう。私もその中の一人だ。  40年前の大学生の時に私は週末に小学校の警備のバイトをしていた。現在と違って当時は市町村の非常勤職員としての採用である。  勤務中の日曜日に暴風圏に入ったまま、月曜の朝になったことがあった。 朝5時頃に職員室の電話が鳴る。「今日は学校の授業はありますか?」という保護者からの

    • 生活とプライドを守ることができる観光

       旅行シーズン。全国旅行支援もあって日本中旅行客であふれているようだ。  沖縄にも多くの観光客が訪れ、飛行機も多くが満席。すっかりコロナの頃を忘れたような感じだ。先日週末の京都も歩けないくらいの人集りだとSNSで話題になっていた。  最近目立ってきたのは、やはり外国人観光客である。今後減ることはないだろう。  コロナ禍の2年あまりは、飛行機も空席が目立ち、ホテルはどこも空室があり簡単に予約が取れた。日常生活においても交通渋滞がほぼなくなった時期もあった。そんな状況に私は慣れ

      • 国境から2番目の地域

         学生の頃受けた授業の中で「資本主義国家は中央と国境には金を使うがその他には使わない。特に使わないのは国境から二番目にあるところだ」という話を聞いたことを今でもはっきりと覚えている。  琉球王国が形式的にも実質的にも日本に編入されるのが1879(明治12)年の廃藩置県である。その後日本は、1895年(明治28)年に台湾を、1910(明治43)年韓国を併合している。沖縄は1879年から16年間国境であったが、台湾併合の後は国境から二番目の地域となる。  日本は植民地化した台

        • 全国送料無料ただし沖縄と離島をのぞく

           仕事(研究)で離島に行くことが多い。コロナ前は沖縄の宮古島や石垣島は年2回以上、奄美大島や西表島や多良間島などはほぼ毎年通っていた。その他の島もできるだけ5年に1回以上は訪ねるようにしていた。いわゆる「定点観測」的な目的もある。  若い人たちにも沖縄や奄美の島々を旅することを勧めているが、問題はやはり旅費、特に飛行機や船の運賃である。  島で暮らす者にとって、その「運賃」は人だけでなく物に関しても大きな問題であることは昔から言われ続けていることだが、コロナ禍中にそれをさ

          1999年沖縄人(うちなーんちゅ)の自己認識に革命が起きた?

          1999年に初公開された映画『ナビィの恋』は衝撃的だった。  沖縄の島に里帰りした主人公の女の子から見た島の生活と、島の慣習によって昔大失恋したナビィおばあの心情を描いた作品である。  ナビィが若い頃、島の親族とユタによって恋人と別れさせられ、主人公のお爺さんと結婚した。それから何十年後にその恋人が訪ねて来たことで事件は起きる。結婚後、孫も出来て幸せに暮らしているナビィおばあは果たしてかつての恋人と一緒に島をでるのか、それとも残るのか。  物語的には沖縄の島でたまに聞く

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          北大東島で考える沖縄・奄美

          先日北大東島に行ってきた。  北大東島の面積は11.94km²、瀬戸内町の請島(13.34km²)より少し小さな島である。喜界島(56.76km²)の約五分の一しかない。人口は547人、沖縄県で2番目に人口が少ない自治体である。  琉球弧の島々とは全く異なった特徴をもっている。  まず、遠浅のラグーンがほとんどない。多くの奄美・沖縄の人たちにとって海とは、遠くにリーフが広がっていて白い波を立て、その内側は浅くて貝を採るなどの海遊びができるというイメージであろう。ところが南北

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          大人が学べる場と時間をつくる

           毎日食事を作ってもらえる生活を続けていると、それが当たり前になってしまう。進学や就職などで独り暮らしになってはじめてその有り難さに気が付いたというのはよくある話だ。「あたりまえ」はそれを失うことによってはじめてそれが「あたりまえ」でなかったことに気が付くようだ。  「学び」も同じだと思う。  子どもの頃に勉強が嫌いだった人も、大人になると強烈に「学びたい」と思うようになることが多い。勉強できる環境があたりまえだったのが、そうではなくなるからだ。  「学生の頃もっと勉強

          大人が学べる場と時間をつくる

          アメリカ世生まれの食生活

           私は1960(昭和35)年那覇市生まれです。 父は米軍作業員だったので、その後勤め先の基地近くの浦添市に引っ越して、そこで育ちました。なので私は浦添人(うらそえんちゅ)です。  私が生まれた時は沖縄戦後まだ15年しか経っていません。  しかし、当時は既に沖縄戦の痕跡は、周りの野原に時々薬莢が落ちているくらいで、とてもここがかつての激戦地であったことは想像できませんでした。(実は浦添は沖縄戦中最も「戦闘」が激しかった地です)それは、現在の国道58号線(当時は軍道1号線)の

          アメリカ世生まれの食生活

          「沖縄はいつも搾取されてかわいそう」なのか?

          もう8年前の事ですが、来間泰男先生の『人頭税はなかった』(2015年・榕樹書林)という本が話題になりました。  人頭税とは、近世沖縄八重山地方にあった税制です。年貢という形ではなく、ひとり当たりいくらという「人に対する税」「労働で払う税です。  過酷な税に八重山の民衆は苦しめられました。しかも、明治政府による琉球処分以降も「人頭税」は放置され、そのために八重山地方の住民たちはその取り立てに苦しみ続け、その後、反対運動の末にようやく廃止されたというのが通説です。 宮古・八

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          沖縄と奄美にある共同売店

           奄美や沖縄には、集落の人たちが共同出資して設立した売店があります。奄美では(地域)商店、沖縄では「共同売店」と呼ばれてい小売店です。  20年ほど前から私は沖縄本島北部の共同売店研究を始めましたが、その頃はヤンバルの人々にとって共同売店は「あたりまえ」にある商店であり、「なぜ、わざわざ調査に来るのかわからない」と言われたものでした。  しかし、その頃から共同売店の売上は激減し、閉店に追い込まれる店も増えていきます。そんな中、共同売店を応援するために眞喜志敦さんが「共同売

          沖縄と奄美にある共同売店

          沖縄問題を本土の人たちに理解してもらうために必要なこと(2)

          「識者」はさらに、「沖縄の将来を決める権限を日本政府に持たせてしまった。復帰ではなく『沖縄返還』と位置付け、どこに返還するのか、日本か、琉球か、交渉権は誰が持つのかなどの議論が当時は不足していた。これからも考え続けるべきだ」と主張していますが、私にはこの主張がほとんど理解できません。 当時の沖縄県民、あるいは琉球政府にそれを実現させる力があったとは到底考えられないからです。そして、沖縄県民は明らかに、「琉球独立」ではなく「日本復帰」を自ら選択したのです。 ちなみに、復帰直前

          沖縄問題を本土の人たちに理解してもらうために必要なこと(2)

          沖縄問題を本土の人たちに理解してもらうために必要なこと(1)

          沖縄問題を本土の人たちに理解してもらうために必要なこと  ヘイトスピーチが社会問題になってかなり年月がたしました。沖縄に対するヘイトに関して、沖縄の新聞は一昨年あたりからかなり力をいれて報道しているようです。 その趣旨は、沖縄県民と本土との溝は深まるばかりで嘆かわしい。沖縄はもっと自己主張をして本土の人たちの沖縄への誤解を解くべく努力しなければならないというものです。  沖縄タイムス社からは、『これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地』という書籍が出版されています。また

          沖縄問題を本土の人たちに理解してもらうために必要なこと(1)

          すごくわかりやすい琉球・沖縄の歴史(2)

          琉球は王国だったので、それを日本に編入するのはそう簡単なことではありませんでした。 国外的には、清に認めさせる必要があります。 国内的には、一度琉球藩にしてから、他の県と同じように県にしたのです。 沖縄ではこれを琉球処分といったりしますが、とにかく、その年から沖縄は正式に日本のひとつの県になります。 ただし、今の知事にあたる県令は、相変わらず県外からやってきます。 4つ目が、 1945年。そう沖縄戦です。 沖縄は米軍に占領されたまま戦後を迎えます。日本も最初はマッカーサー

          すごくわかりやすい琉球・沖縄の歴史(2)

          すごくわかりやすい、琉球・沖縄史の基本の基本

          こんにちは。 沖縄は独自の文化や歴史があるって言われていますよね。 その独自の文化に魅了されて毎年観光にやってくる人や、移住してくるひとも多い。 でも、その「独自」ってなんでしょうか? 今回は、歴史について。 琉球王国、沖縄戦、日本復帰、昔は中国の属国だった? 復帰前はなんだったの? などと、断片的にはいろいろありますが、今回は、5分で理解でき、友達にも5分で説明できる方法をお伝えしたいと思います。 沖縄の歴史の基礎の基礎です。 沖縄の歴史を説明する時のポイント

          すごくわかりやすい、琉球・沖縄史の基本の基本

          ②「おまえには沖縄人の心はわからない」と言われたらどうすればいいのか?

          沖縄に移住してきた人は一度以上言われた経験があるかもしれません。  特に、沖縄が好きで、沖縄をもっといい所にしたいという気持ちが強い人ほど。  沖縄が大好きで、なんどもやって来て、沖縄の歴史も文化もある程度わかってきて、沖縄の友人も増えた。だから、「沖縄はもう少しこうなった方が良いんじゃないかなあ」とうい「本音」を少しだけ出したとたんに、「沖縄人の心がわからない」と言われる。そんな経験が。  特に、お酒の席で基地とか平和とか政治的な問題関して「本音」を語ると、ガツンとや

          ②「おまえには沖縄人の心はわからない」と言われたらどうすればいいのか?

          沖縄に移住した人、したい人へ ①沖縄の人は排他的?

           沖縄に移住した人から「沖縄の人たちは排他的でなかなか私を沖縄人(ウチナーンチュ)として認めてくれない」という話を20年くらい前からずっと、未だに聞くことがあります。  確かに、沖縄の地域には排他的な面があると思います。観光客に対する態度と移住してきた人への態度は明らかに異なります。でも、それは県外からの移住者に対してだけではありません。同じ沖縄出身者でも集落(シマ)が違えば基本よそ者(寄留民)として扱われます。  しかし、世界中のどこでも実はそれが「普通」なのではないで

          沖縄に移住した人、したい人へ ①沖縄の人は排他的?