沖縄に移住した人、したい人へ ①沖縄の人は排他的?

 沖縄に移住した人から「沖縄の人たちは排他的でなかなか私を沖縄人(ウチナーンチュ)として認めてくれない」という話を20年くらい前からずっと、未だに聞くことがあります。

 確かに、沖縄の地域には排他的な面があると思います。観光客に対する態度と移住してきた人への態度は明らかに異なります。でも、それは県外からの移住者に対してだけではありません。同じ沖縄出身者でも集落(シマ)が違えば基本よそ者(寄留民)として扱われます。

 しかし、世界中のどこでも実はそれが「普通」なのではないでしょうか。程度や内容に違いはあるものの「共同体」は基本排他的なものです。

 私は根っからの沖縄人(うちなーんちゅ)ですが、私が例えば沖縄以外ののどこかの県に20年くらい住んだとして、「○○賢人として認めてくれない」と思うでしょうか?

いやそれはありえません。だって私は世界のどこかに何年住もうがウチナーンチュでしかないのだから。

 それならばなぜ沖縄移住者の中には、「ウチナーンチュとして認めてくれない」と思う人がいるのでしょうか?同じことを例えば京都に住んでも思うのでしょうか?

 残念ながらそこには無意識な上下感覚がある、というのが20年前の私の結論でした。悪気はないのです。あくまでも無意識。

ただし、悲しいのは、「沖縄のために」と頑張っている人の中には、逆に自らの自己実現のために沖縄を利用しているのではないかと思わざるを得ない人もいることです。

 沖縄に通ううちに沖縄が大好きになって沖縄に移住。せっかく移住してきたのだから何か沖縄の役にたつようなことがやりたい。
 そういう気持ちはたいせつだと思います。でも、残念ながら、それを表に出している人の中には、ウチナーンチュから見ると、自己正義の押付けのように感じてしまう人も少なくありません。
 なので、「沖縄の役にたちたい」という気持ちは心の中にしまっておいて、とりあえず、沖縄を知る、沖縄に馴染むことがたいせつだと思います。

 沖縄に限らず、田舎には都会の人には理解できない、不合理な慣習や人間関係があります。はっきり言って面倒くさいです。でも、そういう「面倒くささを差し引いても沖縄が好きだ」と思える人でないと、移住は難しいと思います。これも世界中のどこに移住するにしても同じですよね。

 一方、私が地域活性化に関する活動その他で親しくしている人には、実は圧倒的に県外出身者が多いです。沖縄を地域を少しでも良くしたいと考えて実行している人は圧倒的に移住者が多いというのが私の印象です。

 その友人たちに共通しているのは出身地を感じさせないところ。

 「そういえば〇〇さんって沖縄出身じゃなかったよね」という感じです。もちろん育った文化が違うので違和感や疎外感を味わうことも多らしいし、自分の考えを地域の人たちに理解してもらわなければならないこともあります。でも、彼らの基本にあるのは沖縄へのリスペクト(敬意)です。

 出身地に関わらず、どんなに立派なことでも、地元の歴史や文化、なによりそこで何代も生きてきた先輩たちへの敬意がなければ何も生み出せないですよね。

 沖縄が好で沖縄に移住したものの・・・と感じている人は、沖縄の歴史や文化をしろうとするところから始めた方がいいと思います。そして、少々キツイ作業ですが、自分の中に無意識に「都会風」吹かせている部分はないか?と自問自答することも大切だと思います。

※ これは南海日日新聞に掲載された記事を大幅に追加訂正したエッセイです。


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