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国境から2番目の地域

 学生の頃受けた授業の中で「資本主義国家は中央と国境には金を使うがその他には使わない。特に使わないのは国境から二番目にあるところだ」という話を聞いたことを今でもはっきりと覚えている。

 琉球王国が形式的にも実質的にも日本に編入されるのが1879(明治12)年の廃藩置県である。その後日本は、1895年(明治28)年に台湾を、1910(明治43)年韓国を併合している。沖縄は1879年から16年間国境であったが、台湾併合の後は国境から二番目の地域となる。

 日本は植民地化した台湾や韓国に膨大な予算を使って社会資本の整備や教育施設等を整備している。その影響を被った地域のひとつが沖縄であった。
 かつて、甘蔗(さとうきび)の1反(10アール)当たりの生産は台湾を上回っていたが、1921(大正10)年ごろに並び、その後急激に差をつけられていく。1930~32(昭和5~7)年に台湾6,697キロに対して沖縄は4,945キロで、台湾の74%に過ぎない(来間泰男『沖縄の農業』)。日本による農地や灌漑施設整備の結果である。

教育についても、台湾には台北帝国大学まで設立したのに、沖縄には(旧制)高等学校すら作られなかった。

戦後はどうであろうか。

太平洋戦争終了後、奄美・沖縄は米軍統治下におかれるが、奄美は1953(昭和28)年に日本に復帰する。それから1972年の沖縄の日本復帰まで奄美は国境地域であったがその後「二番目」となる。

日本復帰後の沖縄関連予算については多くの誤解もあり、「沖縄だけが特別に多くもらっている」と単純には言えない。しかし、県民一人当たりの額はともかく、かなりの優遇措置を受けているのは確かだろう。全国の地方をいろいろと見てきた私には「沖縄ほど開発されつくされたところはない」としか思えない。

さて、このような視点で奄美を見るとどうなるか。これまで様々な議論がなされてきたが、もう一度私もゆっくり勉強していきたいと思う。

※写真は奄美大島名瀬の街

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