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沖縄と奄美にある共同売店
奄美や沖縄には、集落の人たちが共同出資して設立した売店があります。奄美では(地域)商店、沖縄では「共同売店」と呼ばれてい小売店です。
20年ほど前から私は沖縄本島北部の共同売店研究を始めましたが、その頃はヤンバルの人々にとって共同売店は「あたりまえ」にある商店であり、「なぜ、わざわざ調査に来るのかわからない」と言われたものでした。
しかし、その頃から共同売店の売上は激減し、閉店に追い込まれる店も増えていきます。そんな中、共同売店を応援するために眞喜志敦さんが「共同売店ファンクラブ」を立ち上げ、私も彼に誘われて参加しました。眞喜志さんの活躍のおかげで、その後、共同売店の本も出版され、新聞やラジオ・テレビの番組でも共同売店が紹介されるようになりました。
ちょうどその頃に別件で宇検村を訪ねた時のことです。
「芦検商店」という看板を見て、冗談で「沖縄と同じ共同売店だったりしてね」と呟いたことをはっきりと覚えています。しかしその時は開店時間を終えているために確認はできませんでした。
暫くして、眞喜志さんの尽力で、一緒にBSのテレビ番組で共同売店について語る機会を得ました。すると、たまたまその番組を見ていた大和村の和泉豊一・和香さん夫婦から眞喜志さんにメールが来たのです。「そういう店ならうちの村にもあるよ」と。
早速大和村の和泉さんのところへ行き、大和村と宇検村の商店を案内してもらいました。名前こそ「共同売店」ではないが、その設立・内容ともに明らかに「共同売店」。
調査を続けているうちに話がトントン拍子に進み、2008年3月6日に宇検村教育委員会と沖縄大学地域研究所の共催で「沖縄の『共同売店』に学ぶ・宇検村『地域商店』の可能性」というテーマでフォーラムを行うことができました。(2008年3月3日の「南海日日」で詳細を見ることができます)。
その後、コロナ禍の最近3年以外はほぼ毎年奄美に通っています。それからずっと和泉さん夫婦にはお世話になりっぱなし。先月も4年ぶりに奄美の地域商店(共同売店)を訪ねましたが、一緒に黒糖酒を飲みながら楽しく語りあいました。
それにしても、「共同売店」は、なぜ奄美と沖縄だけにあるのでしょうか。かつて同じ琉球王国であったからでしょうか。琉球王国時代につくられた共同体の基盤が共通して残っているからでしょうか。
それを知るためには、まだまだお互いの歴史や文化の研究をしなければなりません。
※2022年9月に南海日日新聞に掲載されたエッセイに加筆修正したものです。