朝ドラ
朝ドラの『半分、青い』が今月終わる。
世間でも我が家でも賛否はあったが、久々に朝ドラを最後まで完走できそうだ。で、今、終わるのがちょっと寂しい。
確かに漫画家編は面白かった。トヨエツの秋風羽織先生の深みのある台詞は全部メモりたいぐらい良かったし、岐阜から上京してきて漫画家目指してるあたりはどうしても自分と重ねたし、で、自分とは違うところを探したりして、あーだこーだ言いながら見るのもまた楽しかった。
主人公の鈴愛が漫画家挫折してからは、惰性というか、目的もわからないままふわふわと行き当たりばったりで進んでいるように見えた。
そのせいで主人公の傍若無人なキャラだけが目立ってしまって、見ててなんだかちょっと痛いとこもあった。この頃は、「岐阜県人はふぎょぎょなんて言わねーよ!」…と、何度テレビに向かって言ったことか。
…が、個人的には、そんな生き様はなんだかリアルだなとも思って見ていた。それが見続けられた理由のひとつでもある。
そんな小さい頃から明確な目的があって、そこに向かって邁進するだけの生き方してる人、少ないんじゃないかな。常にずっとアドリブ、人生は常に後付けで編まれていくもの。
自分もそうだった、あたかも最初から「こういうものが描きたかったんです」と完成した物を前にして人に話したりしたこともあったが、たぶんそれも後付け。
そもそも俺は学校の先生になりたかったわけだし、それが崩れて塾の講師になり、そこから流れ流れて今に至るわけで、いつも予期せぬ何かしらの流れの影響を受けたり受けなかったりして、気がついたら気がついたその場所で何かをやっている。その理由を後から付け足すだけだ。
一人の人間の生き様をドラマや物語に書き起こした時、単純に生涯の目標が一貫してて、それを貫き通した時にやってくるカタルシスが他者から見てて気持ち良い(=傑作)となるのもわかる。
でもたまにはこんな朝ドラも良いんじゃないかなと、そんな別に全朝ドラを見倒してるわけでもないのに思ったりもする。あまちゃんだって、海女になると言ったかと思ったら、アイドルになるとか言ってみたり、じぇじぇじぇって言ってたし、とにかく多様性が尊重される時代だから。
テキトーなことを書いたが、とにかく撮り溜めて見ることができないぐらい、毎日楽しんで「半分、青い」を見ている。
ラスト、超でっかいカタルシスがやってくることも期待しながら。