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1月はこんな月でした

1月は本当はもっとダラダラするつもりでいたのに、思っていたより充実した一ヶ月だった。
断酒をキメこんだからなのかな、普段より行動範囲も広く、頭の中も前向きな状態の時間が多かったように思う。もしこれが本当に断酒の影響だったら、それはそれでつらいな、やっぱりお酒飲みたい。打ち合わせの帰り道とか、自分の行動コマンドの中に「さけをのむ」が無いのは少し寂しい。代わりに「えいがかんでえいがをみる」というのは増えたのだけど。

そんなわけで、昨日はティラミスの最後の打ち合わせの帰りに、大橋裕之さんが原作の映画「音楽」を観てきた。サブカル通りのど真ん中を行くような、それでいて「音楽」のプリミティブな魅力が増幅された映像表現やらなんやらで、とても素晴らしかった。
やってはいけないクスリをやってから観る「ちびまる子ちゃん」ってこんな感じなのかな、とにかく観終わったあと、家に帰って自分も何かやりたいって衝動を久しぶりに胸の奥の方で感じた。この映画の原作者である大橋さんが心底羨ましい。

新宿に行ったついでに、タワレコで中村一義の新譜の予約をしてきた。CDの予約なんて大学生以来なのだけど、中村一義活動20周年の節目の10枚目のアルバムが原点回帰の全曲全楽器自身の演奏という触れ込みをネットで見かけて、Apple MusicやAmazonには頼らないと決めていたのだった。
13日はサイン会があるらしいのでその整理券ももらえるそう。凄いな、20年前大学生の頃に中村一義に心酔してからいろいろあって(好きな時期もそうでない時期もあって)、ここにきて原点回帰、時間が一周してきた感じがする。

1月はレギュラーの仕事のほかに、久しぶりに広告の漫画も描いたりした。ワーナーさんが発売したグラミー賞ノミネート曲を集めたコンピの広告漫画。ローソンの漫画のように拡散はされなかったが、自分では気に入っている。特に和室に置かれたコンポの上に日本刀がディスプレイしてあるところとか、実の兄しか褒めてくれなかったが、そういうところを見てほしい。お願いします。

↑漫画をクリックしてもらえたら続きが読めるワーナーのサイトに行けます。

10日と19日は、ティラミスの舞台のカーテンコールにお邪魔させていただいた。
10日は原作者だけが「ティラミス」の発音が変(徳川綱吉の「つなよし」の発音)というジョークを仕込んで臨んだ。会場ではウケたように思ったが、あとでエゴサーチしたら本気に捉えたお客さんも何人かいらっしゃったようで、申し訳ない気持ちになった。
19日の方が、予告無しの登壇だったので、アドリブで「何かに怒っている原作者」というフザケをしたが、声が大きすぎて新潮社の担当から「怖かった」と言われてしまった。俺は人前に出ない方がいいようだ。向いてない。

娘がビヨンドの腹筋ばっかり見ていた。性の目覚めのきっかけを作ってしまった。

26日は故郷の岐阜で新聞社主催の育児トークイベントで喋る仕事をしてきた。こういうのは客観的に判断できないが、町おこしの事業だし、役場の人にもウケがよかったようだし、会場に来てくれた嫁の義兄さんから「サトシのトークはおもろい」とLINEが来てたので、成功したということにする。これからも兄たちに褒められて俺は伸びていこう。
イベントの開始前にちょっとアレな感じのお客さんが近づいてきてサインを求めてきたので、イベント終了後に対応させていただいたのが、その時に「絵も描いてくれ!」とか、なかなか失礼な人だったのでちょっとドキドキした。サインを描き終わると、「金運アップ」と書かれた台紙と一緒に包まれた数珠をプレゼントしてくれたが、岐阜駅のトイレのゴミ箱に捨てさせていただいた。「人気アップ」だったらこの日記を書いている今も腕に装着していたかもしれない。

28日はとある番組の取材で、自宅にディレクターさんたちがやってきた。もう少し前に連絡をくれたらもっといろいろ準備ができたものを…。岐阜から帰ってきてその翌日だったので、バッタバタだった。オンエアがいまいち面白くなかったら、それは時間の無さとディレクターさんが悪い、俺は悪くない。…いや、俺も悪いかもしれない。ディレクターさんはシャツは派手だけど子供好きのとても良い人だった。

30日は、品川で行われた医療関係者や議員さんたちが集まるセミナーで、漫画を使ったトークをしてきた。骨髄移植をしてもう18年か、時間の感覚がどんどん溶けていくな…今俺は何時代を生きているのか、そういう意味では大学生の頃よりも随分とテキトーに生きている気がする、今度二人目の子供が生まれるというのに大丈夫か。
闘病体験について人前で話すのは初めてのことで、物凄い緊張して喋り方が芦屋雁之助さん演じる山下清画伯のようになってしまった。それでも泣いて聴いてくれている人もいた。「生き残ってしまった」という踏み込んだ言い方をあえてしたのは勇気が必要だったが、今後の医療の現場に一石を投じることができたのかもしれない。「命が助かったから文句を言うな」という風潮はやっぱりどうしてもあるので、そういった感情はどこかでまたエッセイ漫画にしようと思う。
家に戻って深夜までジブリ童貞の原稿を書いた。

↑こちらもクリックで読めます。「ハウルの動く城」について愛を込めて酷評しています。

…そんなところだろうか、ティラミス舞台の関係でやたらと品川に通っていたような気がする。
2月はついにティラミスも終わる。約5年続いた連載だ。寂しいけど、新しいことが始められそうな予感もあって、期待の気持ちの方が案外強いかもしれない。コメント欄で「ティラミスロスが怖い」と書いてくれる読者さんもいて、それはとても嬉しいのだけど。とりあえず〆切も近いので頑張ります。

ティラミス100話突破記念のエッセイ漫画もどうぞ。

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