眠る前に見たテレビとか映画とか
最近また意識的にテレビや映画を見たりして、インプットに時間を使えるようになってきた。
「〆切に追われている」と思い込むと、許された時間を〆切の本数で割って使うことになり、時間を仕事だけにゆったり使って常に余裕のない状況に自分を追い込み、文字通り〆切に追われることになる。
それを逆に「案外なんとでもなる」と開き直って、その日は思い切って仕事を打ち切って、時にはテレビを見たりゲームをしたりして、先に余暇を過ごしてしまった方が意外と効率的だったりする…そんなことにようやく気がついた。
一昨日は『SUNNY 強い気持ち・強い愛』をレンタルして観た。オリジナルの韓国版が好きでBlu-rayも持ってるぐらいなので、その副題からもあんまり期待はしていなかったが(コギャルって小沢健二聴いてたの?)、自分の世代に直撃する音楽や小ネタにワクワクしているうちにあっという間に終わってしまい、結果楽しい映画ではあった。コギャルが群れで動くハチの大群や、知らない国の知らない民族のように見えた。
見終わってすぐ韓国版と見比べてくなってシーンごとに見返していたら、やっぱりビデオレターのシーンとラストのダンスの後の全員集合するところで泣けてしまった。やり過ぎないさりげない演出が逆にこちらの想像の幅を持たせてくれて、膨らんだ想像に押し出されるように自然と涙が出る感じ、凄いな、素晴らしいな、そんな漫画が描きたいな。
また韓国版はその俳優さんをそんなに知らない分、物語に没頭できるのが良いのかもしれない。日本版は「ともさかりえってこんなに演技上手なんだ!」とか、「広瀬すずが朝ドラより思い切ってやってて良いな!」…みたいな、しょうもない自分の中に埋め込まれているメタ的視点がノイズとして入ってきてしまうから。
昨夜は録画しておいたNHKのドキュメンタリー「彼女は安楽死を選んだ」を見た。
そもそも感覚として俺は「自殺」という行為にはもうどこか慣れてしまっているところがあるのかもしれない。その一方で、この「安楽死」という死に方には、その言葉は知っていても、自殺とは似て全く非なるものを感じ、そこに思わず震えた。一晩寝て目が覚めた今でもまだちょっと余韻が残っているぐらい。
まるで列車に乗って遠いところに旅立つ時のような人間の死に際が記録されていて、腹のあたりから引っ張り上げられるような感じで涙が出てきた。悲しいだけなのとも違う、その選択の気高さに感動すらした。
逝く側も残される側も、「死を受け入れる」ことこそが人間にとっての最大の命題なんだろうなと、改めて感じ直した夜だった。他人の成功や印税のケタも気になるが、そんなものはスマホの中だけに閉じ込めておけばいいのだ。