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ザ・ノンフィクション芸人とパラサイトを観た

アメトーーク「ザ・ノンフィクション芸人」を見た。
ほぼ一般の、なかなか人生が上手くいかない人たちの、カメラによって切り取られた日常を見て、芸能界の成功者たちが「味わいがあるんだよ〜」と高いところで盛り上がっている様子は、なかなかにしんどい光景だった。俺もザノンは好きだし、同じ見方をしてるから偉そうなことは言えないが、居酒屋で話すぐらいにとどめておくテーマだったような気がする。

自分の中に残ったザラッとしたものが気になったので、Twitterでアメトーークの感想をエゴサーチしてみたところ、賛否の「賛」ばかりでちょっと面食らったが(自分の感覚がズレてるのかと思って凹んだが)、一人だけ意を唱えてる人がいて、それはレンタルなんもしない人の奥さんだった。夫はちゃんと育児もしてくれていますと綴っていて、ちょっと胸がチクンとした。
っていうか、いちいちアメトーークの「ーー」を二本入れている自分がバカっぽい。観覧席の女の子たちがかぶっているアメトーークのキャップもバカっぽくてつい目で追ってしまう。

あとそうそう、やっとこさ「パラサイト」を観た。
梅図和夫的であり、荒木飛呂彦のスリラー短編のようであり、寝取られ乗っ取られ系の展開が好きな俺にとっても非常に好みの映画で面白い…とても面白いんだけど、まわりの知人たちのハードル上げが過ぎたかな…やっぱり無理をしてでもアカデミー賞を獲る前に映画館に行くべきだった。

後半ちょっと長く感じてしまったのは、ああいう惨劇になることがポスターの色味とかからもう五感が予想してしまっていたことと(先が読めたという意味ではなく)、半地下で暮らす人たちと富裕層の経済格差というテーマに、俺自身が普段の生活の中で今まだピンと来ていなかったことが原因なんだと思う。

働いても働いても埋まらない経済格差みたいなことに、運良く(運悪く?)今の自分は直面していない。単純に人生経験がまだまだ浅いとも言えるわけで、監督がラストで表現しようとしていた「怒りの感情」を持って観れたら、もっと興奮できただろうなとは思った。自分の興奮ポイントとは違ったというだけの話なんだけど…うん、でも面白かった。人にめちゃめちゃ勧めないだろうけど。

関係ないが、最近よくTwitterのバズった報告を目にする。それはTwitterばかり見ているからなんだけど。
良いところもあるTwitterだけど、一番悪いところって、たぶんアイデアが数字化されてしまうところだと思っている。人はつい数字に躍起になってしまうから、視界が狭くなった人間の客観性はどんどん失われてしまう、人格死。
俺の大切な人たちもどんどんTwitterに殺されていったように思う。俺ももうとっくに死んでいるのかもしれないが、大好きだったみんなを返してくれとは思う。

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