地球が終わったあとの岐阜
車を走らせて岐阜へ。リハビリの甲斐あって、父の後遺症は軽減されているようで少し安心した。何言ってるのかも先週より聞き取りやすい。
一緒に連れていった娘も、二人の兄に娘の可愛がってもらえて、バラバラでそれぞれがボンクラだった家族が、なんだかちょっとまともに見えた。子供の存在の力は凄い。
夜は岐阜駅裏のコメダでコラムの仕事をした。文章を書いている途中で、ちょっとイラッとする連絡があって、あまり捗らなかった。
文化庁の賞をいただいてから、評論家みたいな人(たち)からティラミスに対して的外れな意見を時々いただくようになった。概ね失礼な内容だ。要約すれば、絵柄が良いだけのことで、内容は低俗であり、受賞はラッキーだった…みたいなことらしい。漫画を描いたこともない人間の批判的な意見なんて別ににどうでもいいんだけど、その人の趣味の時間にこっちの時間を一瞬でも割かれのるは勘弁願いたい。
…まぁそんなことより。故郷の岐阜は本格的に無人化が進んでいて、さびしさが尋常じゃなくなっていた。
スーパーのバローも客が減ってしまい、もともと広かったスペースが更に広く感じた。惣菜売り場とお菓子売り場の間でサッカーができそうなぐらいだ。
駅裏の繊維問屋街も完全にゴーストタウンになっていて、ゾンビすらいない状況だった。
地球が終わったあとの岐阜という感じがした。
夜はあまり眠れず、翌朝ぼーっとした頭のまま車で東京に戻ることになった。
そのせいなのか、帰り道、高速道路を走っていたら、心臓を掴まれているような感じがして息苦しくなった。
特にトンネルが怖い。一定のリズムで視界に入ってくる路面のボーダー柄が気持ち悪い。
何時間もそんな空気を味わったせいで、帰宅してからもずっと揺れているような感覚が頭の中に残り、夜中の4時にまた心臓が掴まれているような気分が復活して目が覚めたりした。
軽いパニック障害なのか、それともただ歳をとったからなのか、ただ妻も全く同じ症状だったらしいので、悪いのは高速道路なんだろう。