人の悪意も人の物
ここ数日、オムツの最終回のネームがなかなかズバッといけなくて毎朝モヤモヤしている。
娘を授かってから俺は本当に臆病になってしまったらしく、虐待のニュースや大きな事故はもう他人事じゃなく感じるし、街で表情から何を考えているかが分かりづらい人を見かけると異常に距離を取ってしまうようになった。自分は本当ビクビクして子育てをしているなぁ…そんな気持ちを最後に描きたい。
でもそんな自分の気持ち(自分の正当性)を表現するために、自分以外の他人様やその人たちが関わって起きた出来事の悲しさみたいなものを、引き合いにして無断で持ち出すのはなんか違う気がしていて。世間の脅威とか怖さみたいなものを丸っこい体型の一つ目のクリーチャーのキャラクターにしたりしてみたけど、なんかそれも卑怯に思えて手が止まる。
ツイッターで最近よく見かける〝いい話系・気づいた系〟のショート漫画?に時々感じる違和感もそれで、人の悪意はどれだけ悪い感情でも〝人の物〟なんじゃないかなと思ったりする。他人様の悪意にだって著作権がある気がする。…いや、無いか。
感情というのはもっと立体的で、その悪意に至るまでの経緯だってあるわけで、そこを無視して聞こえの悪い側面だけを切り取って自分を飾るアクセサリーに加工するのは、やっぱり俺は嫌だ。
これまで自分も同じことやっちゃってるとは思うんだけど…最近は特に、殊この〝いつか娘が読むであろうオムツの最終回〟だけはそのやり方を避けたい。
とりあえず、この日記を書きながら自分の記憶の中を探っていたら、誰も傷つけない程よいエピソードを見つけたのでそれで描いてみることにする。
今日中にまとまると良いのだけど。
あ、関係ないけど昨夜ゾンビゲームのDAYS GONEをクリアした。クリア後のやり込み要素をやってる余裕はないかもだけど、長編の海外ドラマを瞬きせずに見切ったような、妙な達成感がある。この歳で大作ゲームを最後までやり切れたことを誇りに思う。(次何やろうかな…。)