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誰かの気持ちは、自分の想像でしかないから
note、久しぶりに書いてます。1ヶ月ぶり。だいたい月に1回くらい、酔っ払って自分語りしたい衝動が抑えられなくなるみたいです。うん、好きにしろって話ですね。
気づいたら年が明けていて、2023年。正月らしいことはほとんどしてないなぁ…。というか昨年は新しい環境に慣れるのでいっぱいいっぱいで、季節を感じることとかしてないや。せっかく日本に生まれ育っているのに、季節の移ろいを楽しめていない自分でした。もったいね。エブリデイインドア生活。「知ってる、天井だ…」と呟く日々。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ、季節の変化から。まだ冬なら間に合うから雪景色の写真でも撮りに行こうかな。目標をセンターに入れてスイッチしようと思います。
…ということで本題に入りましょう!
今回はタイトルにもあるように「誰かの気持ちを考えること」について書こうと思います。思えば昔からずっと心の中にあるテーマだという気がします。
僕はしばらく前に、何で自分の気持ちをわかってもらえないんだろうというもどかしさを感じていた時期がありました。皆同じ人間なんだから、自分の気持ちがわからないはずがない、なんて思っていました。
でも、それは違うんだって気づいた。同じ人間でも、生まれ持った性質や生まれ育った環境が違うんだから、感じ方も考え方もできることも違うに決まっているんだって、そう思うようになりました。
だからこそ、人の気持ちはわからない。だったら、わかろうとするしかない。相手の気持ちを考えるしかない。そう考えたし、それで間違いないと思った。
でも、最近になって思い始めたんです。それって合ってるのかなって。
人の気持ちを考えよう。それは、世間でよく言われることだし、悪いことじゃない。だけど気をつけなきゃいけないのは、結局のところ考えたってわからないっていうこと。どこまでいっても自分の想像でしかないっていうこと。そんな風に考えるようになったのが、ここ最近です。
それまでは恥ずかしい話、自分の気持ちをわかってもらえないと思ったことはあっても、相手の気持ちがわからないと思ったことはあまりありませんでした。自分は人の気持ちを考えられる、そこそこ察しのいい人間だと、心のどこかで思っていました。
人の気持ちは考えればわかるって思ってた。考えなきゃいけないって思ってた。でもそれはきっと、自分の気持ちを考えて欲しい、わかって欲しいっていうことの裏返しだったんだと思います。自分が素直になれなくて相手に求めていたことを、自分で実践していた。
言いたいことを言わない。それは自分が相手を気遣っているからで、怒らせたくないし、傷つけたくないからで。
でもやっていたことは、勝手に相手が望んでいることを推測して、先回りして、間違いないなんて誤解して、自分はどうしたいか後回しにすることだった。本当は自分の気持ちをぶつけるべきなのに、それができなくて色々失敗してきたのに、なかなかそれに気付けなかった。
相手を傷つけたくないなんて体のいい言い訳で、結局嫌われたくない、拒絶されたくない、傷つきたくないって、自分が怯えていただけだったんじゃないかって、最近になって思います。
そんなことにようやく気付いて思ったのが、人の気持ちを考えすぎるのをやめようっていうことです。人の気持ちがわかるなんて、傲慢な自分の思い込みに過ぎない。そりゃそうだ。自分の気持ちだって時々わからなくなるんだから。
誰かの気持ちは本人に確かめてみないとわからない。勝手に想像してわかった気になっても全くの見当違いだって言うこともある。だったら自分の素直な気持ちをぶつけてみればいいし、相手の素直な気持ちを教えて欲しいと頼めばいい。
ほぼ無意識に相手の顔色を伺ってしまう僕には、なかなか難しいことかもしれないけど、徐々に変わっていきたいな。拒絶されることも、傷つくことも、仕方ないんだと受け入れられるようになっていきたいな。
せっかく日本に生まれ育っているんだから、せっかく新年も始まったんだから、今年は季節と一緒に自分自身が変わっていけるような1年にしたいです。なんて、冒頭に無理矢理繋げてみたりしたところで、今回は終わろうかなと思います。これが今年の抱負の一つ。新年、あけましておめでとうございます。