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平凡な万能感、自分と誰かのものさし

note、久しぶりに書いております。4ヶ月弱ぶり。いや〜間があいたね。別に定期的に書くぞ!という決め事もないんだけど、今までは1,2ヶ月ごとに書いてたからちょっと懐かしいです。
まぁその間、別のSNSで似たような発信をしていたっていうだけなんだけどね。不滅の自分語り癖と共に生きていきたい。
あっ、人前では発動しないから許して欲しい。嫌いにならないで。相手の話を聞くのも大好きです!持論を話して否定されると悲しいもんね!いっぱい喋ったうえでつまらないと思われたくないからね!相手に話しといてもらう方がいいよね!沈黙は金!
うん、許さなくていいですこんなヤツは。

ということで本題に入りましょう。今回は、子どもの頃と今の自分に思いを巡らせて、これからできることって何だろう?と考えてみた話です。うん、何か唐突ですね。

というのも、最近実家で自分の荷物を整理する機会があって、昔の写真とか思い出の品に久しぶりに触れたからなんだよね。小学校入学前から高校卒業までのことを思い出して、あの頃は気楽で良かったな〜とか、もう一回やり直せたらな〜とかね。荷物の整理が全く進まないというよくある状態に陥っていました。

そこで思ったのが、昔はなんでもできる気がしていたな〜っていうこと。上手く言えないけど、RPGとか少年漫画の主人公に全力で自分を重ねていたみたいな。幼き頃は周りよりちょっと勉強が得意だったのも、それに拍車をかけていた気がするなぁ。とはいえ、子どもの頃の「なんでもできるぜ!世界救ってやるぜ!」的な万能感っていうのはみんな共通してあるものだと思うのだけど、皆さんはどうですか?悪の組織から世界を救う妄想とかしたよね?もしくは偶然出会ったお姫様を助けるとか、白馬の王子様に見初められるとか、あるよね?……ないの?

荷物の整理をサボってそんなことを思い出し、同時に今はそんなことないな〜とも思いました。なんでかな〜と考えると、年下で活躍している人が山ほどいるからかなと思いあたりました。
自分は特別な存在だなんて感覚があったけど、本当にそんな才能があればとっくに花開いているはずだなって、この年になると客観的に考えられるんですよね。

その時「あぁ俺は違ったんだ」って、"あれ"は子どもの頃みんな漠然と持っていて、大人になるとすり減っていつのまにか消えていく平凡な感覚に過ぎなかったんだって、はっきり自覚してしまったんですよね。

それが無性に悔しくて、その後自分の才能は何だろう?って考えてみたんです。何かあれよって。諦めが悪いねぇ。

人並みに努力すると人並み以上に上手くできること。特に頑張らなくても、周りから褒められること。記憶を引っ掻き回して、そこそこムキになって探してみたんです。

そうしたら、いくつかあった。
人から見たら大したことないかも知れないけど、自分の中では大事にしたいと思えるものがありました。

万能感を失くした、その代わり自分という人間への解像度はあがったのだと感じます。

大した才能はなかった。苦手なことがいっぱいある。
だけど、得意なこともちょこっとある。
そんな自分が嫌いじゃないと思える。

自画自賛かよって感じがしますが、2年前はこんなこと思わなかったはずなんです。
自分のダメなところを見つけて、指摘して、優越感の自給自足をしていた。前にnoteでも書きましたが、ずるいやり方だ。そのうえ、自分を傷つける。

別に、欠点があるものを好きでもいいじゃないか。そう思えるようになっているのが、今の自分にとって救いになっている気がします。

好みは人それぞれで、誰からも褒められて好かれるものなんかない。仮に欠点がない完璧な人がいたとして、完璧過ぎて鼻につく、と思う人だってきっといる。そんなものだと思うのです。

人に認められたい、褒められたいとみんな願うけれど、同時に他人にはあまり興味がなく、自分の世界観の中で生きているものだと思います。
自分がどう映るかは、相手の世界観による。
自分の得意が相手の琴線に触れなければ、優れていても価値を感じてはもらえない。
魅力的な人間の要素として、何が重要なんだろう?

収入?ルックス?フォロワー数?学歴?人脈?知性?ユーモア?身体能力?芸術的センス?度胸?気遣い?

自分は人のどこを見ているんだろう?みんなは何に価値を感じるんだろう?

全部大事なもので、きっと全部は持てないもので、優劣をつけることは難しいし、つけてはいけないような気がするし。

誰かと比較すれば足りない部分は当然ある。だから、自分を見下してくる人達も必ずいる。
相手の世界観ではそれが正義で、それを疑わない相手には、こっちの話が通じないことが往々にしてある。

そういう時に、自分の正義があればなんとか立っていられると思うのです。自分の人生を何に費やしてきたか。自分の好きなところはどこか。褒められたことは何か。それを確認しておくことは、きっと役に立つ。裏を返せば、人より得意なことも必ずあるはずだから。

ただ、世界観の違うもの同士は無視し合っていればいいのかというと、それも寂しいと思うのです。
自分の良いと思っていることは、他の人にも良いと思って欲しい。みんなそう思うんじゃないでしょうか。

じゃあどうするか。他人に興味がなく、自分の世界観・正義を信じ抜いて生きている相手から認めてもらうには、何をしたらいいのか。

1つ、作戦を考えました。
まぁ、まだ全然成果は出ていないんだけれど。
単純な話で、世間では当たり前に言われていることかもしれないんだけれど。自分の言葉で辿り着くと、不思議なことに重要な何かであるというような気になります。

しばらくはその作戦が上手くいくのか、試してみたいと思います。今まではあまり意識していなかったことです。
今までも、何かを考えて言語化するのはそこそこ好きでしたが、それで満足してしまう節がありました。
それを改めていこう。なんとなく形にしてみて、上手くいかないと身に沁みたら、またnoteに負け惜しみを書きなぐりにくることにしようと思います。

といったところで今回はここまでにします。読んでくれてありがとう。皆さんはどんな世界観で生きているんでしょうか?いつか、教えてくれると嬉しいです。


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