【台北市内 日本統治時代の建物探訪】外観
私の記事に関心をお持ちくださりありがとうございます。
「スキ」をくださるクリエイターさんたちの中で、建物がお好きな方も何人かいらっしゃるので、台北市内の日本統治時代の建物探訪、といっても、市内を歩いていて気になった建物の外観をちょっと撮ったものなのですが、せっかくなのでご紹介しますね。
台北之家(旧アメリカ大使館邸)
台北市中山北路2段18号
日本統治時代の1925年(大正14年)に台湾土地建物株式会社が建設しました。台湾土地建物株式会社は、秋田県大館市出身の木村泰治氏が台湾日報を辞めて設立した建設会社です。
木村泰治氏は大館駅前に忠犬ハチ公の銅像を建立されたり、日本に帰国後は福島県二本松市の岳温泉に住んで、開発を進められたのですね。
戦後から放置され荒れ果てていたようですが、1997年国定の三級古蹟として認定されました。
2000年から2年をかけて台湾の映画監督の侯孝賢氏プロデュースの元、リノベーションされ、現在は、台北之家としてオープンしました。
外観は台湾土地建物株式会社が建設した当時の姿ですが、内装は、すべて変わっているようです。
応接室だった場所は、侯孝賢監督の映画にちなんで『珈琲時光』というカフェレストランになっています。
参考:ウィキペディア、大館市役所大館郷土博物館
玫瑰古蹟 蔡瑞月跳舞踏研究社(日本統治時代の判任官宿舎)
台北市中山区中山北路2段48巷10号
日本統治時代の1925年前後に建てられた数十棟の双併式の木造宿舎のひとつです。
建物の構造からみて日本の判任官宿舎ではないかと言われています。
1953年に台湾現代舞踊の生みの母・蔡瑞月氏の自宅となってからは、舞踊教室となっています。
蔡瑞月氏は、台南市出身で16歳で日本に渡り現代舞踊の父と言われる石井漠氏に師事し、台湾に現代舞踊の観念を持ち込んだ方のようです。
写真撮影をした時も、オープンスペースでバレエの練習をされていました。
参考:台北観光スポット
スターバックスコーヒー保安門市(日本統治時代のパイナップル王と言われた富豪・葉金塗氏の邸宅兼会社)
台北市大同區保安街11號
1926年(大正15年)に建築されました。赤レンガのバロック建築ですね。
パイン缶詰の輸出で莫大な財をなした富豪・葉金塗氏のかつての邸宅兼会社です。
日本統治時代の1902年(明治35年)に日本人の岡村庄太郎氏が岡村鳳梨製造所を設立し、パイナップルの缶詰製造を始めたことに触発された葉金塗氏は、1918年(大正7年)に台湾に九曲堂泰芳商会鳳梨缶詰工場を建てました。
わずか8年で大富豪とは。
パイナップルのレリーフや、社名の「泰」の字、英名のロゴ「TB」が刻まれています。
参考;るるぶ、バナナパイン研究所
西門紅楼(日本統治時代の公設市場)
台北市万華区成都路10号
日本統治時代の1908年(明治41年)に西門市場八角堂紅楼が建設されました。
辰野金吾氏と共に造家学会(現 日本建築学会)を創立した松ヶ崎万長氏と辰野金吾氏の元で学んだ近藤十郎氏の共同設計と言われています。辰野式建築に分類される赤レンガ造の建築ですね。
八卦をイメージした八角形の建物にしようという案で、このような形になったようです。
現在は、三級古跡市場建築物に指定されています。
八角堂は元々は公衆衛生を管理するための施設として建設されたようですが、1939年の市場配置図にもあるとおり、のちに市場に転用されたのですね。
北側には、台北稲荷神社も勧請され、伊勢神宮の大麻暦の配布も行われていたようです。
この台北稲荷神社は、羽田空港へ向かう途中にある穴守稲荷神社の分社なのだそうです。
この原稿を書いている途中で、Naoko/日台交流コーディネーターさんが、私の【食レポ】鼎泰豊 新光A4店に「スキ」をくださいました。
Naoko/日台交流コーディネーターさんのnoteにおじゃましたら『日台交流の原点はここだった!台湾人の林おばさんのリアルな記憶ー今はもうない、台北の下町で、日本人と台湾人が和気あいあいと暮らしていた光景ー』の記事の中で、この西門市場のお稲荷さんの話がでてきて、このタイミングにちょっとびっくり!!
参考:ウィキペディア、近代建築私の見た日本vol.182