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ジョージ秋山 (銭ゲバ)
(週刊少年サンデー 1970~1971年掲載)
これね、たぶんリアルタイムで読んでいた筈なんです。
問題作だってことで注目されてたことも知ってるんです。
・・・が、内容はほとんど覚えてなかったんです。
たぶん、当時はあんまり好きじゃなかったんでしょう。
これって、少年漫画というよりは青年漫画ですよ。
小学生ぐらいの子供がこれ読んでどこまで深く理解出来るか・・・難しいですよね。
掲載されたのは1970年。
1970年というと、そうです、「大阪万博」の年なんです。
大阪万博は<明るく希望に満ちた未来世界>っていうイメージだけど、これは正反対。
暗くて絶望的な世界です。
あの時代って、明るい部分と暗い部分が絶妙にブレンドされた世界だったような気がします。
光が強ければ強いほど闇は濃くなるっていう感じでしょうか。
「20世紀少年」(浦沢直樹)でケンヂたちが憧れた<大阪万博>。
だけど・・・
その頃高度成長期で浮かれていた人々の谷間で喘いでいた人々もいた。
ま、そんなことはたぶん1970年当時のほとんどの小学生は考えずに万博に憧れ、行けない子供も雑誌などでその情報を眼を輝かせて読み漁っていたんじゃないかな。
あの不思議な暗さはある年齢以上にならなければちょっとわからないかもしれない。
少なくとも、当時の私はわかってなかったような気がする。
・・・で、「銭ゲバ」なんだけど、
大人になって読み返すと、異様なまでの迫力に打ちのめされてしまいました。
「アシュラ」もそうなんだけど、
ジョージ秋山の絵は美しいとかデッサン力が特別スゴイってわけでもないのだけど、
とにかく、読者にぐいぐいと迫ってくる迫力がスゴイ。
例えば、幻冬舎文庫版の下巻191ページからの
蒲郡風太郎と大学伸一郎の会話中に風太郎を殺しに来る男の描写。
12ページも使って動と静の緊迫のシーンを見事に表現している。
222ページからの風太郎が窮地に追い込まれ、波の荒い岸壁に立って考え込むシーンも
波の「ドドドドドドドド」
という擬音の描写が見事に風太郎の心の不安を表し、読者にまで風太郎の心臓の鼓動を体感させるようなタッチだ。
貧乏ゆえに母を亡くした少年が、<金=幸せ>だと思い込み、金のためなら手段を選ばない人間になる。
だが金を手に入れ、権力も手に入れ、若く美しい女も手に入れたが、結局は自殺という道を選ぶ風太郎。
幸せは金では買えない・・・というのがテーマといえばテーマなんだろうけど、
ラストがね、なんとなくもやもやしてしまう。
新聞社から「人間の幸福について」というテーマで原稿を依頼され、
いろんなことが頭に浮かび、挙句に自殺してしまう風太郎。
いつも私だけが正しかった
この世に真実があったとしたら
それは私だ
私が死ぬのは悪しき者どもから私の心を守るためだ
私は死ぬ
私の勝ちだ
私は人生に勝った
風太郎が最期に書き残した言葉・・・これは小学生ぐらいには理解出来ないと思うんだけどね、
当時は大学生が漫画を読むって話題になってた頃だから、大学生向けのメッセージだったのかなあ?
いずれにせよ、この言葉・・・さてどう解釈すればよいのやら。。。
当時、作者は27歳。
いろんな想いを抱えてこれを描いてたのではないかと思う。
同じ時期に「アシュラ」も描いてるしね。
今、作者はかつて自分が描いた「銭ゲバ」をどう思っているだろうか?
これらの作品を生み出したからこそ「浮浪雲」が出来たのではないか・・・そんなことをふと思った私です。