記憶の糸
記憶の糸
ほそい ほそい 華奢で 艶やかな・・・
それは ささやかな日常ばかりだ
幼い日の ありきたりの
喫茶店で母にスパゲッティーの食べ方を教えたもらった日
フォークにクルクルとスパゲッティーを巻きつける
その鮮やかな手つきに見惚れてたこと
夏の日 妹とベランダから眺めた虹
わりばしに刺した冷凍バナナの味 舌の上でとろけるつめたさ
シンデレラの物語のレコード
ガラスの靴を無理に履こうとする意地悪な姉
足の指やかかとを切ってまで
なのに陽気に朗読する女性の高い声
わたしの保育園の鞄に揺れてた砂時計のキーホルダー
友達の鞄 綺麗な金色の魚のキーホルダーへの憧れ
手繰りよせた糸は そんな他愛もない日常
いつまでも艶やかにほそく光っているのは
そんな記憶の糸
(過去詩より)
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
その細い記憶の糸を辿って、山間の古くてちいさな喫茶店に入った。
幼い頃、母によく手を引かれ連れて行ってもらったお店。
実家に帰る道筋いつも気になっていた。
あの日と何も変わらずひっそり佇んでいるお店。
そして今日、とうとう吸い寄せられるように四十数年ぶりにそのお店の扉を開けた。
「いらっしゃい」
老いたマスターの声が奥から聞こえた。
静かな店内。私の他に客は誰も居ないようだ。
コロナの影響なのか、各テーブルがビニールシートで仕切られている。それが今を感じさせるが、壁も床もテーブルすらもあの日のまま。
橙色の灯りのほの暗い店内に、窓からやわらかい陽の光が差し込んでいる。
そのとき見つけた!
あの席!
そう、
母と私と妹の三人でスパゲッティやピザを食べた、あのテーブルだ。
当時、仕事と育児と嫁業に負われていた母の
ちょっとした息抜きの場所だったのだろう。
フォークにスパゲッティをクルクルと器用に巻きつけて食べる母の手つきに、幼い私は見惚れていた。
そんな小さな私が、その席にちょこんと座っている。あたたかく湯気が立つ珈琲を啜りながら、マスターにそのことを話すと
「いやぁ、そうですか!!嬉しいなぁ。」
と昔の話をしてくれた。
43年前、27歳のときにこの店を始めたという。
「マスターは70歳なんですね。」
幼い私はその頃の若きマスターに会っていたんだ。
「あの頃はここらは何も無くてね。ホント山の中で暗くてねぇ。」
そうそう!
私は懐かしく思い出し、頷いた。
マスターの趣味は絵を描くことだという。
私に珈琲を出すと、空いているテーブルでスケッチブックと鉛筆でさらさらと風景画を描いていた。
「今もそうだけど、こんなふうにのんびり楽しんで描いているんですよ」
いくつかの作品が壁を彩っていた。
それからしばらく懐かしい想いを馳せながら、窓から射す光に見惚れていたら
「これ、良かったら・・・」
とマスターがポストカードを2枚プレゼントしてくれた。マスターが描いたというこのテーブルのイラスト、そして喫茶店から見える朝焼けの富士山の写真。
「このテーブルが思い出だって言ってたから記念に・・・」
わぁ、なんて嬉しい!!
「ここは来てくれたお客さんたちが作ってくれた場所なんです。だから何も変えないし、古くなって朽ちて、それで終わりでいいんです。」
そう笑顔で語るマスターのお人柄。
四十数年 何も変わらない。がここにあって
細い細い私の記憶の糸が、窓からの光に反射してキラリと輝いた。
「また来ます。今度は懐かしいスパゲッティやピザを食べに。」
笑顔で見送ってくれるマスターにそう言って
爽快な気持ちで扉を閉めた。