自分の撮る写真に向き合ってみた。
何かを表現することって、とっても難しい。
写真を撮り始めてから、もう幾年にもなります。
「星が撮りたい!」と買ってもらった初代カメラ。
2本のキットレンズから始まったカメラとの生活も、だいぶ小慣れたもので。
いまは湿度を管理してくれる防湿庫に、幾つものレンズが眠っています。
スマートフォンのカメラロールを遡ってみると、
こんな自分にも「傾向」というものがあって、その時々で写したいものや切り取りたいものが違っていたことに気が付きます。
カメラを手にした当初、高校三年生〜大学3年生の間は、
とにかく「風景」を撮りたくて、アルバイトで稼いだお金を貯めてはすぐに日本中や海外を周っていました。
その中で、「自分っぽい写真」ってなんだろう、みたいなことをふわふわと考えてはいました。
このエントリでは、何の変哲もない一人のカメラ好きが、何を見て、何を写してきて、これから何を撮っていきたいのかをつらつら述べていきます。
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「インスタ映え」なんて言葉が出始めた頃。
そんなに意識しているつもりはなかったけれど、まとめ記事に書かれているような「絶景〇〇選」に足を運んでは、同じような切り取り方の写真を撮っていました。
コントラストも鮮やかで、クッキリした写真が多かった、気がします。
また、大学4年生くらいになると、よくもわからずモノクロ写真にハマった時期が、ありました。
その頃はカナダに留学をしていたので、目に映るものの情報量が多すぎて、色を消したくなったんです。
(とかだったら、なんか面白いけれど、きっとただのカッコつけだったと思う。)
モノクロ写真ブーム(?)を越えたあとに、自分の「カメラ人生」でのターニングポイントとなる出来事がありました。
それは、「オーロラ」との出会い。
カナダのイエローナイフで見た、空を覆い尽くすほどに踊るオーロラ。
「天使のダンス」とも呼ばれるその光景に、見事に言葉を奪われてしまいました。
オーロラの光は不思議なもので、肉眼で見ると白っぽい色になります。
若干の色は見えるものの、緑や黄色、赤…といったカラフルなものには見えない。しかし、写真に撮ると、こう写ります。
この事実に、僕はなんとも言えない気持ちになってしまいました。
いままで、目で見たものよりも
鮮やかに、綺麗に、広角に写していることを"美"としていた価値観が、ガラガラと崩れ落ちる感覚でした。
「目で見た方が綺麗な景色」を目の当たりにした時に、自分の中の"写真"で表現をしたいものが、変わったんだと思います。
というよりも、目で見たものよりも綺麗に写すことにそこまで価値を感じなくなってしまった、に近いかも知れません。
これは賛否両論あると思うのですが。
このオーロラとの出会いからは、
「自分が表現したいもの」を模索する期間になります。
このように、街をメインにしたかと思えば
煌びやかな景色を撮ろうとすることもあり。
実は、この時期の写真はなんだか自分のものじゃないような感覚があります。
どこか地に足がついていないというか、模索してる感が否めないんです。
そして、2017年に就職活動を挟み、
大学卒業を間近にして、僕は1ヶ月掛けてヨーロッパを周ることにしました。
一応、史学科の端くれということもあり、
ヨーロッパの歴史的建造物を見てみたいという願望が抑えきれなかったんだと思います。
その時撮った写真たちは、「自分のこれまで」が凝縮された感じがしていて、でも、まだまだ青い感じも残っているので、好きです。
街も、建物も、風景も、影も。
とにかく自分の撮りたいものにカメラを向けながら、
ガイドブックに載っていそうな構図で撮りつつ、
心が動いた瞬間にシャッターを切る、そんな1ヶ月でした。
この時は、とにかく自分の体験したものを
どんな形でも良いから残しておきたい気持ちが強くて、
レンズを変えるだけでなく、動画にも落としたりしながら表現を模索していました。
そして、社会人になりまして。
「社会人バックパッカー」を名乗るために猛進していた、と言っても過言ではないくらい、旅に狂う3年間を過ごします。
休みが取れれば直ぐに海外に行く、そんな感じでした。
冗談抜きで、ボーナスを含めた給料は全て旅に消えていきました。
そんな旅に狂い始めた僕が最初に訪れたのは、タイ。
旅をしている実感を求めていたことと、
東南アジアの雰囲気に魅せられて、ひたすらに歩き続けました。
日本にないパワフルな人々、文化、匂い。
この辺りから明確に「人々の日常を切り撮る」ことにフォーカスを始めます。
何気ないところにある、なんの変哲もないマークや、
理路整然と並んでいる室外機、窓、梯子…
そういった無機質なものに、言葉にできない魅力を感じ始めたのは、台湾を旅したこの頃からでした。
台湾に行ってから3ヶ月後。
ある国に行きます。
その国の名前は、ジョージア。
Google Mapを眺めていたらたまたま見つけた、
年間で日本人が7,000人しか訪れない国。
「周りの人が行かないようなところに行きたい」
と、まさしく中二病のような動機から、
すぐに航空券を予約して、飛び立っていました。
ロシアとの国境はいまだに危険地帯とされている国。
首都のTbilisiはとても発展しているものの、一本路地を入ると、今まで訪れた国とはまた違う雰囲気が流れていました。
『天国に1番近い教会』があるとされる場所、Kazbegiへ
相乗りのバンを捕まえて、片道4時間掛けて向かい、
途中土砂崩れで通行止めになりつつも、たどり着いた先で見た絶景は、忘れられません。
この時に、改めて「周りの人たちが行かない場所」の景色を撮って、その場所の魅力を伝えることの楽しさを覚えました。
ただの自己満足かも知れないと思いつつも、とにかく旅を続けて写し続けるモチベーションを得た旅でした。
そこからは、もう怒涛の旅の連続でした。
2019.08→中国
2019.09→フィリピン
2019.11→ベトナム
2020.02→シンガポール
2020.03→ブルネイ・ダルサラーム
これら5ヶ国で、自分なりに表現をしたい「異文化」と、そこにある何気ない日常を切り取ることを追い求め始めます。
コロナ禍となるギリギリまで、休みが取れればとにかくリュックひとつで海外を巡っていました。
各国の日常に触れながら、「自分」を見つめ直すことも多く、海の外へ出るたびに世界のほんの0.1パーセントくらいを知って帰ってくる、そんな日々でした。
しかし、2020年4月以降は海外に出ることはもはや、外に出ることすら憚られる社会になってしまいました。
そこで僕は「日常を非日常にする。」というテーマを掲げた企画を行いました。
"写ルンです"を郵送して、何気ない日常を撮ってもらい、送り返してもらう。それを何人にもお願いし、返ってきた写真を現像して、繋ぎ合わせる。そんな企画でした。
いつもの日常も、いざ改めてカメラを向けてみると「非日常」になるのでは、と思って始めた企画でした。
この企画を経て、日常を切り取ることの奥深さを感じ、旅行先でも街中のスナップを多く撮るようになります。
この辺りは、少しノスタルジックな色味に魅せられていた時期でして。
いま思い返すと、この頃はコロナ禍という中で社会がどこか抑圧されていたし、そこに少しばかり息苦しさを覚えていたので、トーンが暗い写真が多かったです。
その反面、新しい表現にも挑戦したい!と、ドローンを購入して飛ばしたりもしていました。
視点が変わることで、見えるものはガラッと変化したし、原点である「風景」の切り取り方の幅が広がったので、買ってよかったなぁと思います。
ただ、このように風景を撮りながらも、自分の目はどこか「日常」にフォーカスし続けていました。
ふとした時に目に入る影や、夕焼け。雑踏。
そして、少し寂れた場所。
街や社会に置いてけぼりになっている場所に目が向くようになりました。
コロナ禍になってからは、海外に出られないということもあり、(主にひとりで)日本を巡ることが多くありました。
山口、広島、沖縄(石垣/宮古)、岡山、香川、兵庫、宮城(石巻/仙台)、北海道(函館/札幌/釧路)、静岡、栃木、山梨。
本当に、訳わからないくらい旅をしました。
とにかく、シャッターを切りました。
そんな時期を経て、気がつくと社会人6年目。
いまは、とても「自由」に撮れている気がしています。
風景も、スナップも。
目に入ってくるものが、凄く自然にフレームに収まる感覚がありまして。
着飾らずに、考えずに、其れ其の儘を撮れているような感覚、です。
と、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
これからも、自分の目に映るものを、肌に感じるものを、ひとつひとつ楽しみながら、レンズを覗いていきたいと思います。
5,000文字も書いてしまったけれど、
載せている写真はほんの、ほんの一部だから、
きっと10万字くらい余裕なんだろうなと思いました。
ではでは。
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