『君を忘れない』 / 松山 千春(昭和歌謡曲)
♪ 君はぁ~砕け~散ぃったぁ~ ♬
こんな出だしで始まる松山千春の名曲。1996年に発売され、ドラマの主題歌となっていたそうだが、私の記憶にはない。
「長い夜」「大空と大地の中で」など、自然や愛を歌い、前へ進もうとする歌詞、そして心高ぶる曲。松山千春の歌はとても大好きだけど、私はまず「君を忘れない」を書こうと思う。
この歌を聴くとどうしても思い出す。『特攻隊』の悲劇を。
♪ 君からぁ~ 教えられたぁ~ 自分自身~愛するよぉ~にぃ~♬
私はよく戦争史跡を巡っており、戦争の書籍もよく読む。特に感銘を受けたのは、神坂次郎の『今日われ生きてあり』という1冊の本だった。
鹿児島県北九州市知覧町の『知覧特攻平和会館』は、特攻隊出撃最期の地として広く知られている。
【知覧の旅行記】https://mari24.jp/archives/5002
著者は、特攻隊員だった。仲間と同じようにこの知覧から出撃し命を捧げるはずだった。しかし生き残り、間もなく戦争が終わった。
♪ どぉ~して~生きているのぉ~ 君は僕にぃ~尋ねたけどぉ~♬
自分だけが生き残ってしまったという後ろめたさ。自責の念が常に心の負担となってのしかかる。彼は、彼に与えられた人生の多くを、殉死した仲間たちを追うことに費やした。
♪ 夢のかけらぁ~ ひとつひとつぅ~ 小さなその手でぇ~集めぇぇ~♬
彼の本には、隊員たちの命の物語がある。出撃した隊員たちの心、残された遺族の心、本当の日本。神坂次郎は「特攻隊を美化しないで欲しい」と書いている。
特攻作戦は、あの世代を知る人達からも、当事者の軍関係者からも、日本の恥部、日本人の愚かな歴史であったはず。
【統率の外道】それが、特攻作戦なのだ。
特攻の父と呼ばれる大西瀧治郎は作戦を実行しながら、特攻作戦を「統率の外道」と言った。
そしてもうひとつ、私の知る話を書く。神坂次郎の本を読んだ後、私は70代後半の上司と話をしていた。
「特攻隊は、志願兵だったんだろう」
この人は昭和20年に生まれ、そこから10年間の日本を見てきた上司は、食糧難や瓦礫の家をリアルに体験した世代である。
えっ? 私は驚愕した。知らない私を恥じ、神坂次郎が作中で伝えんとする言葉の意味も分かっていなかったからだ。
♪ 僕もあきらめない 何度だって立ち上がろう ♬
今を不況・不況と言うけれど、どん底の貧しさなど私達に分かるはずがない。戦中を乗り越え、戦後の日本を立て直してきた人達の生き抜く力とその素晴らしさを。
特攻隊員が美化され、一人歩きする。「カミカゼ」なる言葉は語学の辞書にも載っていた。意味を見て、私は悔しかった。
♪ 生きたいぃ~ 人を愛しぃ~た~いぃ~ 生命ある限~りぃ~♬
そんな時はこの歌を聴く。人を愛し、天命を生き、伝え続けていきたい。
【あとがき】大西瀧次郎、戦後の言葉
「私は軍人として支那大陸ほか外地を攻撃し、爆弾をおとして、建物を焼いてきました。
ですから、敵の空襲をうけて、ご覧のとおり、(大西の)家を焼かれるのは当然であります。
しかし、みなさんはなにもしないのに、永年住み馴れた家を焼かれておしまいになった。
これは、私ども軍人の責任であります。本当に申しわけありません」
そして1945年8月16日。大西瀧次郎は、介錯なしで割腹を遂げる。
「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」
共に殉死せんとする部下に対し、大西はこのように諌めた。享年55歳