地域で生きる人が、ステージで人を感動させるには。子どもミュージカル取材後の呟き。
今年の3月に、横浜・青葉エリア発ウェブマガジン「森ノオト」のライター養成講座を修了して、市民ライターの一人として参加させてもらえることになった。その話は、また別にするかもしれないけれど。
先日書かせていただいたのが、この記事。
地域×音楽、な取材がしたいとずっと思っていたので、とてもありがたい機会だった。
取材後、このミュージカルの本番も観に行かせていただきました。
息子4歳は、観ながら時々しゃべり出すので、途中で親子室に移動させていただくことに。
しかし親子室に入るとより元気に。すぐに走り回り始め、スタッフの方に「どんどんすると音が録音に入ってしまうから」と止められる。しかしその後もやや軽めの足音で走り、ソファで跳ね回り、声を出す。休憩時間の後もそれが続く。
たまらず「もういいよ、帰ろう」と言うと、「さいごまでみる」と。
ここに至ってようやく、息子が、薄暗くてソファのある親子室を遊び場と勘違いしていることに気付いた。「ここは遊ぶとことちゃうで。ミュージカルを見るための部屋なんやで」と言うと、息子も気付いたのか、泣き出してしまう。大泣きしている間にミュージカルはフィナーレへ。「もう終わるよ」と言うと「あっちで観たい」と言い出す。仕方がないので急いで元の席に戻り、ほんの少し見たところで終演となった。
そんな訳で集中して見られはしなかったけれど、どうにか少しは生の舞台を体感して、感動をいただいた。
取材時から2週間余りでぐんと素敵になっている子もいて、驚くほどだった。
多分、大人でも。
子どもたちだけの舞台で、どうしてこんなに感動するの?
本番を見た後、改めて考えてみた。
やはり、プロの指導。それから衣裳とか、脚本とか、音楽もそうだし。
本番を見たら、大道具も凝っていて、照明も素敵で、そういう力もあるだろうと思った。
プロではない子どもたちが輝く。感動させる。
本番を見ていて、私の所属していた岐阜市民JAZZ BIG BAND 楽市JAZZ楽団を思い出した。
子どもミュージカルと楽市と、共通する部分がある。プロの指導。観客に届けるような、ステージ上での振る舞い。大きくて音響のいいホール、素敵なステージセット、プロの音響や照明。
そして、そういうのに助けられながらも、ステージに立つ人たちが本気で頑張っていること。その場だけではなく、そこに至るまで努力を積み重ねてきたこと。
それらがあれば、たとえ立つ人がプロではなくても、そのときその場で、見る人を感動させることはできるのだと思う。
未来ある子どもだから、というだけではないと思う。もしかしたら子どもの方が、大人は自分の子どもと重ねて見たりもするし、心揺さぶりやすいかもしれない。でも本当は、大人だって、誰だって。それを私は楽市で見てきた。
子どものやりたいことを、叶える。
子どもミュージカルでは、保護者の皆様は裏方に徹していた。父母会が公演を主催し、日々の練習も運営しているので、保護者がやることはめちゃたくさんある。大変じゃないですか、と聞きたくなってしまった。すると「親が大変だから、子どものやりたいことをやらせないってことになるのはね」ということをおっしゃっていた。確かにそうだ、と思った。子どものやりたいことなら、自分のせいで諦めさせたくない。
そう思うと同時に、親の自分がステージに立つなんて、夢のまた夢だな、とも思ってしまった。子どもの送迎をして、父母会の諸々の業務をして、もちろん普段の仕事も家事も育児もあるわけで。その上で、自分がステージに立つための時間やお金をやりくりして、人と予定を合わせながら子どものお世話の段取りもして、くらいは、どう考えても必要だ。
お子さんを育てながら、自分もステージに立っている方々は本当にすごい、と改めて思う。諸々をやりくりされて、練習して、ステージに立っていらっしゃるのだ。
いろいろ考える。
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