人生の辻褄。 #sentence自己紹介リレー
めちゃくちゃに人生を生きてきたと、思う。
相対的なことではなく、ただ、自分の実感として。
・高校3年の時にあまり勉強せず、大学入試に落ちる。裕福な家でもないのに、親に泣きついて一浪する。
・一浪したのだから大学は家から通えと言われていたのに、親に泣きついて自宅外の大学へ。
・大学4年、就活で70社以上受けるも一社も受からず、というか一つの面接も通過できず。親に泣きついて大学院へ。
・修士2年、地元の岐阜の市役所と、念のため受けていた東京のシステム会社から内定をいただく。彼氏は首都圏の会社に内定していたのだが、やはり市役所の仕事がしたいと彼氏に泣きついて遠距離となる。
・異動希望の紙に広報と書いたら、希望者が少なすぎるせいかあっさり通る。パンフレット、テレビ番組、広報紙連載、と他にやりたい人が誰もいないので手を挙げていると何でもやらせてもらってしまう。
・しかし3年で異動に。異動先の企画部の硬直した雰囲気が辛くなったころ、彼氏の仕事の事情が変わり、何だかんだ結婚することになり、転職するなら早いほうがいいと退職してしまう。
・運よく受かった会社に転職。引っ越したものの岐阜のことが忘れられず、また友達のいない首都圏暮らしも不安すぎて岐阜の市民ジャズビッグバンドを続け、月1回の練習のたびに夜行バスで帰る、という日々が5年目。
他にも、まだここには書けないような、めちゃくちゃなことがいくつも、と感じる。
こんなの全然、もっとめちゃくちゃな人はいくらでもいる、と思う人は多いだろう。ただ自分が、めちゃくちゃに生きている、正しい生き方をしてこなかった、と感じ続けている人間だということは確かだ。
それでも今までなんとか生きてきたけれど、この先どう生きるべきか、今はよくわからない。
めちゃくちゃに生きてきたことはコンプレックスでもあるけれど、だからこそできたことがある。出会えたことがある。正しく生きていたら7年も遠距離恋愛を続けないだろうし、岐阜のバンドも続けないだろう。諦める前に、めちゃくちゃでもいいからやれる方法を、人が何と思ってもやり続ける方法を、試してきた。
だけど、この先もずっとこのまま生きていけるのかわからない。辻褄が合わなくなるときが来るのかもしれない。
もしそうなったら、どうやって生きていけばいいのだろう。
しばらくは、様子を見て、考える期間にしたい。
自分の目指すものをつくることに力を注ぎたいと思う。
岐阜の役に立つ仕事をする、という夢に少しでも近づけたら。
ただ、これまでの人生を順番にネタにしていったら、自分のブログに書くことには当分困らなさそうな気がする。
他の人にとって読みがいのあるものにするのは、なかなか困難だとは思うけれど。