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高校陸上のこと。
初めまして。
自分は神奈川県のとある高校で陸上競技に取り組んでいました。
一応軽く自己紹介をしておきます。
自己紹介
名前 宮原遥大
好きなこと スポーツ観戦
取り組んでいた種目 800〜5000mの長距離種目を中学生の頃から走ってます。
自己ベスト 1500m 4.34 5000m17.37
これまでの事
自分は小学校4年の時、学校の先生から駅伝大会に出ないかという誘いを受けて走ることを始めました。
一応水泳はしていたものの、しっかりした運動はしていませんでした。それでも、いざ駅伝大会を走ってみるととても楽しくて、そこから僕は駅伝が大好きになりました。そんなこんなで楽しく中学3年間を過ごして、高校受験を迎えました。1500mで5分を切れておらず、強豪に飛び込んでもついていけないと思い公立高校で強い場所を探して受験しました。先輩方は皆優しくて良い環境で陸上に打ち込めるのが嬉しかった記憶があります。
高校一年
受験後の2月から走っていたおかげで、入部してすぐに先輩方と同じような練習をこなす事ができていました。シンスプリントなどがありながらも6月の大会まではしっかりと練習を積んでいけて迎えた初戦で15秒以上のベスト更新ができスタートダッシュは順調、その後の大会でもベストと同じくらいで続けて走る事ができ自信をつけていきました。
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ただ、夏休みを終えた新人戦では暑さにやられて18.51と跳ね返されます。危機感を抱き練習量を増やした結果、ある故障をしました。今思えばここが僕の高校陸上のターニングポイントでした。
チームとしては先輩のインターハイ決勝や関東新人に2人出場、1人は2種目入賞など素晴らしい結果を残していました。かっこよかったです
地獄の始まり
左アキレス腱の腱鞘炎を起こし、そこから1ヶ月くらいしっかり走れませんでした。駅伝はなんとか間に合わせて走ったものの区間最下位。チームの人達には申し訳なくて堪りませんでした。
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これが僕の最後の高校駅伝でした。
その後逆のアキレス腱を故障し結局9月から3月までまともに走る事が出来ませんでした。
地獄の高2
3月の半ばに貧血を起こし最悪なスタートを切るもなんとか4月にベスト更新、ただ半年の故障の影響で以前のような走りが出来なくなっていて、総体もベストとは程遠い走りしか出来ず、心理面で悪循環に入ってしまいました。練習で5000mをベストタイムで通過しても余裕をもってこなせるのに、いざ試合になると動かない。走れない。
こんな状態が続きました。当然1500も4.50かかるし
5000に至っては18.50付近を永遠と彷徨っていました。情けないですね。
こんな事をしてるうちに周りはどんどん離れていく
皆はどんどん速くなる。それが頭をグルグルと支配してました。練習が上手くいっても、「皆はこれくらい当たり前だ」と思いさらに思い詰めていた記憶があります。ただ夏前に1500で上手く走れた事で感覚が徐々に戻って、夏は故障もなく良い練習を積めたことで県新人を目標に望んだ新人戦。
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しかし、結果は両種目予選落ち、終わってすぐにインフルエンザに罹患するなど酷い有様でした。
5000mは一年時よりも遅いタイムを叩きだしました
もう嫌でした。
結局その後17.49秒までしか伸ばせず、しまいには種子骨の怪我をして高2が終わりました。
高3
種子骨の怪我をしたのを皮切りに怪我が続きました。治って走り出すと別の場所を痛めるというループで、結局走り始めたのは3月の頭でした。
3月に入ってからは練習の量質ともにとてもよく積めていました。15分台は狙えるような強度でした。そうして期待して望んだ県記録会で、17分46秒の凡走
差し込みがきたとはいえ、自分の実力不足を痛感しました。ただここで奮起することがこの時の僕には出来ず、腐ってしまいました。
それでも総体までは諦めずやろうということで県総体だけはブラさずに狙ってもがいてました。
結局行くことは叶わずでしたが、17.37秒のベストで僕の高校陸上は終わりました。
最後に
ここまで長い駄文を読んでいただき、ありがとうございます。結果的に陸上競技を諦める事ができず、春からも続けることにしました。怪我に泣き続けた3年間でしたが、毎日補強したり論文を読んだり陸上IQが低いながら頑張ってきたつもりです。
より結果の求められる世界に飛び込むため、何より小さな時からの夢を叶えるために、これから覚悟を持って取り組んで行きます。
まずは入部できるように精一杯取り組んでいきます。また会いましょう。