一番迷惑をかけたけど、大好きだったはなえおばちゃん
いまから17年前に亡くなった隣の家の、はなえおばちゃんは
隣の家に住んでいるおばちゃん。
3階建ての1階は美容室で、そこにはいつも1つ下の男の子まさひと通称「まっくん」がいて、可愛かったからよく遊んでいた。(ちょっかいをかけにいっていた。)
そして、今思えば、まっくんはいわゆる富裕層で、
20年以上前に、毎年グアムに家族旅行へ行くような家庭だったので、
家に遊びに行けば、きらびやかなお菓子♡が置いてあり、
まっくんの世話は、まっくんのおばあちゃんの妹のはなえおばちゃんがしていた。
はなえおばちゃんは戦争でご主人を亡くし、姉の家に身を寄せているらしいと近所の人が噂していたけれど、
わたしにとってそんなことはどうでも良くて、
はなえおばちゃんはホットケーキの人。笑
ホットケーキをめちゃくちゃ上手に焼いて食べさせてくれる人
でした。
まっくんが少食で、
「つかちゃんが一緒に食べたほうがいっぱい食べるから」
とかなんとかって理由でわたしはまっくんの家にしばしば呼ばれ、
高級なメロンを食べたり、外国のおもちゃで遊んだり、美味しいお菓子を食べたり、そのうちに「つかちゃん」はまっくんの家に勝手に出入りして勝手にお菓子を食べる子に成長していきます。。。5歳ごろ。笑
それでもはなえおばちゃんはつかちゃんのことをとても可愛がってくれて
ホットケーキをよく焼いてくれるようになります。
ジュワジュワな蜜のかかったホットケーキまた食べたいな。
空の向こうで、はなえおばちゃん元気にしてるかな?
それから小学生に上がると、今度はまっくんが私の弟とゲームをしにこっちの家に遊びに来るようになってから、はなえおばちゃんのホットケーキのことはすっかり忘れて、食べることはなくなっていました。
そしてあっという間に私は中学生になり、そんなある日
はなえおばちゃんがウエハースで挟まれたパンを買ってきました。
ピンクと緑色のウエハースにカステラが挟まっているお菓子。
おいしいね。
って言ったら。毎日買ってきてくれた。
次第に断れなくなり、冷蔵庫がウエハースだらけになって家族が困った。。。
今思えば、こどももご主人もいないおばちゃんは寂しかったのかもしれない。
でもあの時は、両親も仕事で忙しくしていて、はなえおばちゃんの相手をしていなかったのかも。
仕事といえばまっくんの世話だったから、それもなくなってしまって寂しかったのかもしれない。
私もソフトボール部のピッチャーに抜擢されて、
平日も朝練に夜練、週末も全部部活に費やして、はなえおばちゃんと話すことは全く無かった。
生き甲斐
を探していたのかもしれない。
しばらくして
私の家が立ち退きで家を引っ越すことになって
更に顔を合わせることがなくなった。
そして数年後、大学に行く途中、たまたま病院へ向かうはなえおばちゃんを見かけた。
でもその時は別のおばあちゃんと話をしていたから、
はなえおばちゃーん!!
と声をかけただけだった。
元気なく、こちらを向いたおばちゃんの顔を今でも覚えている。
どうしたのかな。と気になっていたが、会えて良かったと思った。
数カ月後に、はなえおばちゃんが亡くなったと母が言った。
あのときにはまだ珍しい、家族葬、お姉さんの家のお墓に特別に入れてもらったと話を聞いた。
かなり後悔していた。
あのとき、はなえおばちゃんを追いかけて話をしてあげれていたら。
そういえば、どんな声をしていたのかも思い出せないほど、
あまり話をする人じゃなかった。
いつも私が話すことに「うんうん、そーかそーか」と相づちをしているおばちゃんだった。
それがまた更に私を悲しくさせた。最期にも会えなかったし、声も聞けなかった。。。
あのときから、おばあちゃんおじいちゃんにはちゃんと声をかけに行こう
と心がけるようにしている。
だから、去年、おじいちゃんが亡くなるときは後悔しなかった。
突然ななくなり方だったけれど、バレンタインでチョコレートを渡しに行ったり、たまに冷凍ギョーザを届けて話をしたり、孫を連れて遊びに行ったり、おじいちゃんはそのたびに真顔だけど、喜んでくれているのが分かった。
後悔はしたくない。だけど最初から成功なんてありえない。
人は学ぶから強くなれる。ふと思い出したはなえおばちゃんの記憶。
もしかして、今日が命日なのかな。
最後までよんでくれてありがとうございます。あなたの周りの人も生きているものは必ず亡くなる日がやってきます。
その日がきた時に、あなたの悔いが残りませんように。
そして後悔したとしても、それがあなたにとって後に財産となりますように。