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よよいの宵

オーブントースターに突っ込んだソーセージがシュンシュンと皮を破り肉汁が溢れ出した。

いいかい?
若者、聞いてくれ。

詰まる所、「表現」とは何ぞや?
というハナシである。

「チン」とオーブントースターが鳴った。
そいつを不釣り合いな皿へと移しながら
無理強いするでもなく冷蔵庫の発泡酒を勧めた。

私も焼酎をストレートで呑み続けていたので流石に何か腹に入れなければ。

若者は、待ってましたとばかりに缶を開けつつ耳を傾け始めた。

若者とは美術の臨時教員として高校に勤めていた頃の生徒と教員という関係で、
当時、美大を目指す彼が放課後美術室へやって来ては私なりのアドバイスをしていたのだった。

彼は何不自由無い経済環境で育ってきており、結果として両親の意向に従い世間で言う一流大学へと進学をした。
しかし両親との軋轢を埋める事は出来ず大学を中退、今は小さな映像制作会社に勤め映像作家を目指しているという。
だが最近になって自分の信念というものに疑問を抱き悶々とした毎日を送る中、ふと私の存在を思い出し訪ね、それが今夜という訳だ。

「表現」の源泉について、どこからやって来るのか考えた事はあるだろうか?

先に答えを出してしまうが、「表現」の源泉は「怒り」だ、これだけは言い切らせてもらう。「Revel : 水準」ではなく「Rebel : 反抗・反乱・反逆」だ、乱暴で過激な思想だと感じるかも知れないが、それは違う。

柔らかな肌触りであっても、ベルベットと同じ様に触れる角度によっては抵抗を感じる。
生地に織り込まれた「怒り」を暴くという事だ。例えその表現者の環境が貧しくとも富んでいたとしても、それらの「怒り」を昇華させたものこそ、ここで言う「表現」という事になる。

「表現」とは文字通り分解すると「表」に「現」す、となる、表に現したものは何処かへ向けて提示したい承認欲求ってやつの何物でも無い。
これはマズローって心理学者の欲求5段階説の4つ目にあたり、5つ目が達成するべく自己実現となる。
1つ目は生きるために必要な人間の本能的欲求。
2つ目が脅かされる事の無い暮らしへの欲求。
3つ目が人と繋がりを求める欲求。
という具合に生に直結する欲求が順を追って満たされる事により次の欲求が現れる。

荒っぽい言い方だが、ある者は芸術を残し、ある者は戦争を起こした。
良し悪しのハナシではなく、置かれた背景の「違和感」に対し、それは同じまま、創っては壊し文化や社会はカタチを変えてきた。

時代を切り拓いてきたものは、いつも抑圧され続ける「怒り」だ。
切り拓くというよりは、切り裂くという感覚の方がそれに近いかも知れない。

私もご覧の通り歳を重ねた姿だが「もうろく」としてではなく、いつだって若者と向き合い張り合っていたいのだ。

だから今の君は何も間違ってはいない。
歴史の中で人間が創り上げた「でっち上げ」を平然と壊し、新しい感覚を叩きつけてくれ。
世に蔓延する行き場所の無い「諦め」すら怒りに換え、新たな文化や社会の価値観が産声をあげる瞬間の目撃者となりたい。

想像しただけでカッと血が沸き立つ感覚は、君も同じだろう?

酔いの宵は
全部本当、全部嘘となり更けていった。

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