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現代宮城風土記#47:大年寺山


大年寺山公園

 仙台市太白区茂ケ崎にある公園。かつて大年寺の境内だった場所にある。伊達家の墓所である無尽灯廟と宝華林廟、ミヤテレタワー(テレビ塔)などがある。東の方向には市街地と太平洋を望むことができる。大年寺惣門からの石段は284段あり、軽い気持ちで昇り始めると後悔する。

大年寺山公園

仙庵
 大年寺山公園にある茶室。数寄屋造りの建物で、裏千家14世家元無限斎の夫人・千嘉代子が1969年に名誉市民に推戴された際に裏千家より仙台市に寄贈されたもの。茶庭は桃山時代のものとされるつくばい、角形の置き燈籠、京都鞍馬・加茂川などの自然石、樹齢150年の北山台杉などが配される。

茂ケ崎庵
 大年寺山公園にある和風建築。茶会や句会、歌会などで利用できる。1909年に株式会社橋本店の創業者・橋本忠治郎の居宅兼事務所として建築されたもの。木造二階建で6室の和室を有する。1967年に母屋部分が仙台市に寄贈された。ケヤキやスギを用いた伝統的な和風建築。

茂ケ崎庵

茂ケ崎城跡
 仙台市太白区茂ケ崎にある中世の城郭跡。南西部に空堀や土塁と思われる遺構が残る。城主は名取郡北部の領主であった「粟野氏」であるとされる。4代藩主綱村の時代に伊達家の菩提寺「大年寺」が創建されたが明治以降に衰微し、現在は「大年寺山公園」として整備されている。

茂ケ崎城跡

大年寺

 仙台市太白区門前町にある黄檗宗の寺院。黄檗宗の日本三大叢林の1つ。1695年に4代藩主・綱村によって茂ケ崎に創建され、以後9代藩主・周宗と11代藩主・斉義以外の藩主の菩提寺となった。明治以降に荒廃して堂宇は山麓付近のみになり、かつて境内だった山上は「大年寺山公園」となっている。

大年寺

大年寺惣門
 「大年寺」の惣門。享保年間初期に建立されたものとされる。切妻造、本瓦葺、裏側の控柱の上にも屋根がある高麗門の形式で、さらに支柱をかけて屋根を掛けているため全部で5つの屋根を持つ。大年寺は明治維新後に大半が取り壊されたため、惣門が藩政時代から残る唯一の建築物である。

大年寺惣門

無尽灯廟

 「大年寺山公園」にある伊達家の墓所。4代藩主・伊達綱村の『後世の子孫のために私の墓は簡素なものにせよ(意訳)』という遺言に従って設けられたもので、4代綱村、5代吉村、10代斉宗、12代斉邦と、その夫人たちが葬られた。元々は瓦葺の覆屋があったが、現在は露天である。

無尽灯廟

伊達綱村
 江戸時代中期の大名。仙台藩4代藩主。伊達騒動後の仙台藩の藩政を自ら取り仕切った。運河開発や干拓事業の推進、「貞享の特令」の策定や御用織物師を召し抱えるなど産業振興に努めた。また、寺社の建立・造営、榴岡天満宮への桜の植栽のほか、学問を奨励し藩史である「伊達治家記録」の編纂事業を始めた。

伊達吉村
 江戸時代中期の大名。宮床伊達家初代当主・宗房の嫡男として誕生し、家督を相続して2代当主・村房となったが、4代藩主・綱村に跡取りがいなかったことから養嗣子となって改名、5代藩主となった。歴代藩主の中で最も長く在職し、仙台藩の財政を立て直すなどの功績を残した。

伊達斉宗
 江戸時代後期の大名。仙台藩8代藩主・斉村の次男として誕生。兄である9代藩主・周宗が疱瘡とその後遺症により表に出られなかったため、3年間儀式などを代行。その後に家督を相続して10代藩主となった。満22歳で病没したが嫡男がおらず、田村顕嘉を婿養子として相続させた。

伊達斉邦
 江戸時代後期の大名。登米伊達家11代当主・宗充の長男として誕生。1827年に仙台藩11代藩主・斉義の婿養子となる。斉義の実子・穣三郎が幼少だったため、翌年に家督を相続して12代藩主となり、天保の飢饉を始めとした厳しい環境下で藩政運営を行った。満24歳で逝去。

宝華林廟

 「大年寺公園」内にある伊達家の墓所。「無尽灯廟」の西隣にある。6代藩主伊達宗村、7代重村、8代斉村とその夫人たちの墓碑、明治以降の13代から16代までの当主とその夫人たちの神式の墳丘墓(土饅頭)、17代当主の奥津城(神式の納骨堂)がある。墓所は公開されていない。

宝華林廟

伊達宗村
 江戸時代中期から後期の大名。5代藩主・吉村の4男で、母は正室の長松院。8代将軍・徳川吉宗から偏諱を受けて宗村に改名している。正室は和歌山藩6代藩主・徳川宗直の次女・利根姫(雲松院)である。長兄、次兄の早世などにより仙台藩5代藩主・吉村から家督を相続し、6代藩主となった。

伊達重村
 江戸時代中期から後期の大名。1742年に仙台藩6代藩主・宗村の次男として誕生。9代将軍・徳川家重より偏諱を受けて重村に改名している。宗村の逝去により15歳で家督を相続して7代藩主となった。宝暦の飢饉とその対応を巡る奉行たちの対立、官位昇進のための支出などで藩財政を逼迫させた。

伊達斉村
 江戸時代後期の大名。仙台藩7代藩主・重村の次男として誕生。1790年に家督を相続して8代藩主となった。1796年に正室が長男・周宗を出生したが産後の肥立ちが悪く逝去。また斉村も同年に病没。改易に危機に瀕したが、病没を秘匿した状態で長男・周宗の相続願いを出し、事なきを得た。

仙台市野草園

 「大年寺山公園」に隣接する野草園。伊達家が所有していた大年寺山を仙台市が取得し、1954年に開園。東北地方の代表的な野草を、高山、海辺、薬草などのエリア分けして植栽展示している。毎年秋に『萩まつり』が開催される。敷地内の『野草館』を除き12月~翌3月中旬は閉園している。

仙台市野草園

加藤陸奥雄
 仙台市生まれの生物学者。仙台一中(現・仙台一高)、旧制二高を経て東北帝国大学理学部化学科を卒業。後に東北大学の教授、総長となった。兄の「加藤多喜雄」と共に仙台市野草園の立ち上げに尽力。宮城県美術館の初代館長を歴任。兄2人と共に『加藤三兄弟』とも呼ばれる。

加藤多喜雄
 千葉県生まれの化学者。仙台一中(現・仙台一高)、旧制二高を経て東北帝国大学理学部化学科を卒業。後に東北大学の教授となった。仙台市公害対策審議会長、宮城県自然環境保全審議会長を歴任。また、サイエンスルームの立ち上げに尽力し「仙台市科学館」の初代館長となった。

スエコザサ
 イネ科の多年草。1927年に牧野富太郎が仙台市三居沢で発見し、長年の研究生活を支えた内助の妻・壽衞の名前から『壽衞子笹』と命名したもの。宮城県や岩手県に自生しており、耐寒性が高く氷点下でも芽を残すことが出来る。「仙台市野草園」の一角に案内板と共に植えられている。

スエコザサ

亜炭坑跡
 仙台市植物園内にある亜炭の採掘坑跡。亜炭とは石炭の一種で、地質学上では最も低質な褐炭に分類される。燃料となるものを炭質亜炭、木目が残り彫塑可能なものを木質亜炭などと呼ぶこともある。幕末から昭和中頃まで安価な家庭用燃料として、後者は埋木細工の材料として利用された。

亜炭坑跡

テレビ塔

ミヤテレタワー
 仙台市太白区茂ヶ崎にある電波塔。「大年寺山」に並ぶ3本の電波塔の1つで日本テレビ系の「ミヤギテレビ」が使用しているもの。晴れの日はオレンジ、くもりの日は白、雨・雪の日は緑にライトアップされる。また毎正時には季節ごとのライトアップ演出が行われる。

ミヤテレタワー

仙台スカイキャンドル
 仙台市太白区茂ヶ崎にある電波塔。「大年寺山」に並ぶ3本の電波塔の1つで、フジテレビ系の「仙台放送」とDate fmが使用している。1962年に建設され、2012年に塗装を一新し四隅と先端部の部材が赤く塗装された。また同年から夜間のライトアップを開始した。

仙台スカイキャンドル

おわりに

 本当にこの階段を軽い気持ちで登ったら後悔するよね。

更新履歴

2024年10月13日:記事を作成。

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