現代宮城風土記#25:鹽竈神社に関係する寺社
塩竈市を中心に鹽竈神社に関係する神社や仏堂が存在する。
鹽竈神社の十四末社
「鹽竈神社」には14の境外末社があるとされる。概ね旧宮城郡(現・多賀城市、塩竈市、松島町、七ヶ浜町など)に立地している。文献によって神社が異なるが「陸奧総社宮」「曲木神社」「御釜神社」「鼻節神社」「浮島神社」「荒脛巾神社」「冠川神社」などが該当するといわれる。そのうちの一部を紹介する。
御釜神社
宮城県塩竈市にある神社。「鹽竈神社」の境外末社の1つ。創建年代は不明だが古くから製塩に関する神が祀られており、日本で初めて製塩が行われた場所であるとされる。境内には「四口の神釜」と呼ばれる鉄製の釜がある。また、毎年7月4~6日にかけて「藻塩焼神事」が行われる。
藻塩焼神事
「御釜神社」で行われている神事。開始年代は不明。『ホンダワラ(海藻)』を採取する7月4日の『藻刈神事』、神釜の潮水を入れ替える5日の『水替神事』、潮水を釜で煮詰めて製塩する6日の『藻塩焼神事』の3つからなる。この塩は鹽竈神社例祭で供えられる。宮城県指定の無形民俗文化財。
四口の神釜
「御釜神社」の境内にある神器。4口のうち3口は直径約1.4m、残り1口は直径約1.2mで、いずれも浅い盆のような形状の鉄釜。屋根のない板塀に囲まれているが、釜の水は溢れもせず干上がりもせず、世の中に異変があると色が変わるとされる。「塩竈」の地名の由来になったとされる。
曲木神社
宮城県塩竈市にある神社。「鹽竈神社」の境外末社で「籬島(曲木島)」にあることから『籬神社』と表記されることもある。かつて島に曲がった柏槙の老木があったとされ、名称の由来となった。島までは橋が架けられているが、毎月1日と土日祝以外の日は施錠され参拝できない。
籬が島
宮城県塩竈市にある景勝地。塩竈湾の北岸近くに浮かぶ周囲約150mの島で、曲木島とも表記される。有名な歌枕として多くの歌に詠まれた。松尾芭蕉が訪れた場所として国の名勝「おくのほそ道の風景地」に指定されている。島内に「鹽竈神社」の末社である「曲木神社(籬神社)」がある。
青木神社
宮城県塩竈市南町にある神社。「鹽竈神社」の境外十四末社の1つ。創建年代は不明で後に衰退したが、1690年に「新河岸町」の百姓・勘右衛門が社殿を再興。1867年の大火で社殿が焼失し、後に再興された。主祭神・青木神がどのような神か不明。また4代藩主・綱村も配祀されている。
浮嶋神社
宮城県多賀城市浮島にある神社。創建年代は不明だが、多賀城が創建された頃から存在していたと伝えられる。「鹽竈神社」の境外末社の1つとされている。社地は小高い丘になっているが、歌枕として詠まれた『浮島』の地であるとされ、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で立ち寄っている。
浮嶋神社の境内社等
・八幡神社
多賀城鎮護のために政庁の北西に八幡神社祀られたという記録があり、その流れを組む神社と考えられる。
・大臣宮神社
陸奥出羽按察使として「多賀城」に赴任した「源融」を祀る。名称は源融の最高官位が従一位左大臣であったことに由来するとされる。元は浮島字高平(現・多賀城市城南)に鎮座していたが、1908年に浮嶋神社に合祀し、石祠も移設して境内社とした。
・三居稲荷神社
酒田・三居稲荷の分霊。蜂谷家の所有する山に鎮座していたが、浮島地区の宅地化により1972年に遷座。
・御神石
1940年に当社の氏子が満州から無事に帰国したことを記念して奉納された手水鉢で、自然石に扇の形が彫られている。
鼻節神社
宮城県七ヶ浜町花渕浜にある神社。創建年代は不明だが、社伝によると第6代・孝安天皇期に吼坊ヶ崎に創建され、770年に現在地に遷座したとされる。「鹽竈神社」の十四末社の1つで、祭神・猿田彦命は鹽竈神社別宮の祭神・塩土老翁神と同一と言われる。周辺に神社に関係する地名が残る。
大根明神
かつて『花渕崎』の東7km先の岩礁上に祀られていた2つの祠。漁師たちが岩礁を『根』と呼ぶことからこの名称となったと考えられるが、869年の貞観津波で海中に沈んだため「鼻節神社」の境内に『里の宮』として祀られている。また大根明神が鼻節神社の『奥の院』であるともされている。
大根明神祭
「鼻節神社」及び「大根明神」の例祭。昔、花渕浜に向かって航行していた船の底に穴が開き、船上から「鼻節神社」に向かって助けを願ったところ、船底の穴を大きなアワビが塞いで助かったという言い伝えから、旧暦6月1日に海上安全の祈願としてアワビを「大根明神」の岩礁に奉納する。
国府厨印
「七ヶ浜歴史資料館」に所蔵されている印。1868年に「鼻節神社」の境内で発見された青銅製の古印で、大きさ4cm四方、厚さ1cmで頭部に丸いつまみが付く。古代の陸奥国府・多賀城の『厨(食糧や供物を調達する部署)』が使用した印だと考えられ、古代の七ヶ浜と陸奥国府の繋がりを示す。
吉田神社
宮城県七ヶ浜町吉田浜にある神社。創建年代は不明。「鼻節神社」の妃神・天鈿女命を祀るといわれ、「鹽竈神社」の境内十四末社の1つであるとされる。吉田浜の鎮守社で、1690年に4代藩主・綱村によって再興された。明治初期に渡波から伝わったとされる『吉田浜獅子舞』が行われている。
東宮神社
宮城県七ヶ浜町東宮浜にある神社。勧請年は不明。「鹽竈神社」の境外十四末社の1つで、名称は鹽竈神社または「多賀城」から見た当方を鎮護する神として祀られていることに由来するとされる。またこの神社が立地する岬は、神社が立地することから『明神崎』という。
荒脛巾神社(多賀城市)
宮城県多賀城市市川にある神社。創建年代は不明。「鹽竈神社」の十四末社の1つで、足の神様として、旅の安全祈願や下半身の病気平癒が祈願されている。また祈願成就の際に奉納された靴が社伝に多数巻き付いている。社伝の左手には『太子堂』、右手には『養蚕神社』がある。
冠川神社
「仙台八坂神社」の境内社。かつて延喜式内社の「志波彦神社」はこの地にあって、中世に衰微し「祇園牛頭天王社(現・仙台八坂神社)」と並び立つ小祠となっていた。明治初期に「鹽竈神社」の境内に遷座し、元の社地に志波彦神社の分霊を勧請したのが現在の冠川神社である。
仙台八坂神社
仙台市宮城野区岩切にある神社。1190年に岩切城主・伊沢家景が京都から勧請して岩切村内に創建したのが始まり。後に2度遷座して現在地に鎮座。元は『祇園牛頭天王社』と称したが明治初期に改称。明治末に周辺村落の神社を合祀。境内には「冠川神社」や瘤のある牛頭天王像がある。
陸奥総社宮
宮城県多賀城市にある神社。平安時代、国司は任国内の神社の巡拝が定められており、その手間を省くため陸奥国内の100の神社の祭神を合祀して創建されたと伝えられている。以降、陸奥国の有力者によって寄進や境内の整備が行われてきた。現在の本殿は1684年、拝殿は1734年の建立。
その他の神社や観音堂
祓ヶ崎稲荷神社
宮城県塩竈市尾島町にある神社。創建年代は不明。古くは『祓崎(現在地から西に100mくらいの位置)』にあり、藩主が「鹽竈神社」に参拝する際の祓所の役割を担っていた。1820年から正式に稲荷神社となったが、明治以降は周辺のインフラ整備に伴って三度遷座し、現在地に至る。
白坂観音堂
宮城県塩竈市南町にある観音堂。元は「鹽竈神社」の別当「法蓮寺」の脇院『普門院』にあったもので、普門院が廃寺になった後も堂が残った。名称は堂が「白坂」にあったことに由来する。軒下にかかる銅鐘は普門院で使われていたもので、1970年まで塩釜警察署・消防署で使用されていた。
おわりに
十四末社は拾いきれていないのでそのうち追記します。
更新履歴
2024年9月29日:記事を作成。