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現代宮城風土記#21:仙台市域の変遷


仙台市

 宮城県中部の自治体。県庁所在地にして東北地方唯一の政令指定都市。人口は約109万人。伊達政宗が築いた城下町を中心に、1988年に周辺の泉市、秋保町、宮城町と合併して現在の市域になった。自然の多さから「杜の都」とも呼ばれる。一部の市民は東北のニューヨークと自称している。

現在の仙台市

仙台市誕生前夜:仙台区

 かつて仙台にあった自治体。1872年に施工された大区小区制の宮城県第二大区(1876年-)から、1878年の郡区町村編制法施行により旧・仙台城下町(現・仙台市中心部)の範囲が分離して成立した。初代区長は元・仙台藩の重臣『松倉恂』。

1889年:市制施行、仙台市誕生

 旧・城下町、前述の仙台区で仙台市が発足。初代目の仙台市役所は1885年に「仙台区」の庁舎として完成した和洋折衷の木造平屋の建物だった。ここから発展に伴って徐々に市域の拡大を目指していくことになる。

1928年:長町、原町、七郷村南小泉を編入

 城下町からすぐ隣だった宿場町の長町と原町が編入。それぞれ、旧・城下町からほとんど切れ目なく街が繋がっていた場所なので自然な流れ。長町は現在の仙台市でも太白区の中心として機能している。1929年に2代目の仙台市役所が完成。ルネサンス式鉄筋コンクリート造の3階建ての建物だった。

1931年:七北田村荒巻、北根を編入

 現在の青葉区に含まれる。藩政時代から城下町との関連の強い地区であり、住民から要望があった模様。ちなみに、七北田村の他の地区は後に泉市となる。

1932年:西多賀村を編入

 長町の西側に隣接した西多賀村が編入される。昭和中頃には秋保電鉄が通っていたこともあって住宅街として発展した。ちなみに東多賀村は後に多賀城市になる。

西多賀村
 
1889年に富沢村、大野田村、鈎取村、富田村、山田村で合併して発足。村域に「多賀神社」があって周辺が『西多賀』と呼ばれていたことから村名の由来になった。現在は太白区で、戦後以降に住宅街として開発された。

西多賀村

1941年:中田村、六郷村、七郷村、岩切村、高砂村を編入

市域をさらに東・南方面に拡大。名取川南岸の中田村と、現在の宮城野区、若林区の大半を占める六郷村、七郷村、岩切村、高砂村を編入。現在は中心部に近いところが市街化、工業団地化が進んだが、田園風景も残っている。

中田村
 
1889年に前田、四郎丸、袋原、柳生の4村で発足。名前は奥州街道の仙台城下町から江戸に向かって2つ目の宿場町である「中田宿」が由来。仙台市内で数少ない名取川以南の地区。前田を除き現在も住所として旧村名が残る。また現在の「南仙台駅」は元々『陸前中田駅』という名称だった。

中田村

六郷村
 
1889年に8村が合併して誕生。現在は仙台市若林区の一部。旧8村の名前は現在でも若林区内の住所として残っていて、広い平野に住宅街と田畑が広がっている。現在の仙台市内の鉄道空白地帯。

六郷村

七郷村
 
1889年に8村が合併して誕生。現在は仙台市若林区の一部。旧8村の名前は現在でも若林区内の住所として残っていて、広い平野に住宅街と田畑が広がっている。旧村域の西端に仙台市地下鉄東西線の六丁の目駅・荒井駅がある。

七郷村

岩切村
 
1889年の町村制施行で岩切村、小鶴村、燕沢村、鶴谷村の4村が合併して誕生。現在は仙台市宮城野区の一部で、大字として旧村の地名が残っている。仙台市中心部に近く、旧村域には住宅街が広がっている。

岩切村

高砂村
 
1889年に5村が合併して誕生した。名称は蒲生にあった高砂神社にちなむ。現在は仙台市宮城野区の一部。旧5村の名称は住所として残っている。現在は仙石線の沿線で、仙台港の後背地として発展を遂げた地区。

高砂村

1956年:生出村を編入

 戦後初にして現在の市域になる前の最後の編入。この後の仙台市は市電の廃止やビル群の建造など現代的な都市への変貌を遂げる。3代目の仙台市役所が1965年に完成。鉄筋コンクリート造の地上8階・地下2階建ての建物。

3代目の仙台市役所

生出村
 
読み方は『おいでむら』。1889年に茂庭村と坪沼村が合併して成立。養蚕業の奨励や山林資源の有効活用、植林事業などの産業振興策で村民の所得を大きく増加させたことで、1903年に『日本三模範村』と呼ばれた。

生出村

1987年:宮城町編入

 西側への市域の拡大。政令指定都市になる第1歩として行われた編入だが、編入の前から仙台のベッドタウンとなっていた。今でも旧・宮城町の大半を『広瀬区』として青葉区から分離する案が時々あがるけど具体的にはならない。

宮城町
 
1955年に広瀬村と大沢村、秋保村の新川川流域が合併して宮城村となり、1963年に宮城町となった。中心部はかつて作並街道の宿場があった愛子周辺。仙山線沿線にある仙台市のベッドタウンだった。

宮城町

広瀬区構想
 
仙台市の広瀬地区(旧・宮城町)を分区する構想。政令指定都市移行時に『旧町内の人口が5万人に達したら分区』という取り決めがあったが、5万人突破後に『青葉区の人口が30万人を超えたら再検討』と先送りになった。その後30万人突破したが、のらりくらりと先送りにされ続けている。

1988年:泉市、秋保町を編入(現在の市域)

 政令指定都市・仙台の爆☆誕。秋保町では秋保温泉の高層ホテルに対応できる消防設備の導入などで予算が必要だったという理由もあったとのこと。現在中心部では再開発が進行中で、4代目の仙台市役所が2024年着工、2028年に完成予定。

泉市
 
1955年に七北田村と根白石村を前身として「泉村」が誕生し、その後「泉市」となった。昭和の中頃から黒松団地や将監団地などで住宅団地開発が進み、旧仙台市のベッドタウンとなっていた。

泉市

秋保町
 
1889年に周辺の5村が合併して秋保村となり、後に町になった。町域の大半が山林で、秋保温泉や磊々峡などの観光資源が豊富。現在は仙台市太白区の一部。秋保電鉄が残っていたら便利だったのになぁと中の人はいつも思っている。

秋保町

現在の行政区

泉区
 
1988年に仙台市に編入された「泉市」をそのまま区域としている。区の中心は仙台市地下鉄南北線の泉中央駅付近で「泉中央副都心」として機能している。、あた旧泉市時代の昭和中頃から宅地開発が進んでおり、隣接する「富谷市」と共に「仙台都市圏」のベッドタウンである。

泉区

宮城野区
 
名称は和歌に詠まれた「宮城野」に由来する。南西部は江戸時代には仙台城下町の一部であったが、大半は農村または原野だった。国道45号線、仙台東部道路、仙石線、東北本線が通り、仙台港や貨物ターミナルがあるため、仙台市・宮城県の工業・物流の中心地である。

宮城野区

青葉区
 
仙台城下町の大半があった場所で、宮城県庁や仙台市役所、繁華街などの都心機能が集中している一方、1987年に仙台市と合併した旧宮城町の範囲を含むため山形県との県境まで区域が広がっており、都心部と山間部が同じ行政区にあることが時々ネタにされる。

青葉区

若林区
 
名称の由来は伊達政宗が晩年を過ごした「若林城」。遠見塚古墳や陸奥国分寺など仙台開府以前の史跡や寺社がある。区の北西部は仙台城下町の一部で現在も地名や町割りが残っている。地下鉄東西線が開通して交通事情が大きく改善。仙台バイパスの東側はめっちゃ田んぼ。

若林区

太白区
 
明治以降、徐々に旧仙台市に編入されていった広瀬川以南、名取川以南の地区、旧秋保町が区域になっている。区の東側にある「長町副都心」が区の中心部。二口街道(一部は笹谷街道:国道286号と重なる)沿いに住宅地が広がる。「あすと長町」の再開発で発展が目覚ましい。

太白区

幻の仙塩合併

 1960~1970年代に塩釜市、多賀城町(後の多賀城市)、名取市、岩沼市などで合併して政令指定都市になることを目指していたようだけど結局交渉が成立せず。あまり仙台市に大きくなってほしくない県の思惑だとか、仙台市の革新系市長を他の市町村が嫌ったとか、いろんな話があるけど果たして真相やいかに。

おわりに

 仙塩合併が成立した世界線の仙台も見てみたい気はする。

更新履歴

2024年9月27日:章立てを変更。
2024年1月21日:書いたぞ~

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