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現代宮城風土記#45:青葉山


青葉山

 仙台平野の西にある丘陵の1つ。仙台城跡、東北大学植物園、東北大学青葉山キャンパス、宮城教育大学等がある。植物園内の原生林は天然記念物「青葉山」に指定されている。大学のキャンパス内にある購買やコンビニが午後10時にはすべて閉店するため、その時間以降は食料調達が困難になる
 青葉山は1868年に廃寺となった「寂光寺」の山号『青葉山(せいようざん)』に由来するとする説がある。寂光寺は仙台開府当初に信夫郡の青葉山(信夫山)から仙台城本丸および二の丸付近に遷座したとされ、北山町に遷座してからも「青葉山(あおばやま)」として名前が残った。

竜ノ口渓谷
 仙台城本丸の南側にある渓谷。約3万年前に広瀬川の蛇行によって小川の流路が奪われて生じた滝が、後方へと侵食することで形成された。仙台城本丸の南の防御も担っていた。周囲の地層から多くの化石を見つけることができるが、落石の危険があるため通常は入れなくなっている。

中世以前の青葉山

 青葉山周辺からは奈良・平安期の瓦や土器が見つかっており、住居跡などは見つかっていないが人の存在の痕跡が残っている。中世には青葉山一帯に寺社や仏堂が立地していた。また仏堂から名付けられた虚空蔵城があり、出羽国に向かう「最上古街道」が通っていたとされる。

龍泉院
 仙台市若林区新寺にある曹洞宗の寺院。寺伝では奥州藤原氏の創建とされ、元は青葉山の麓(仙台城二の丸付近)にあったが、仙台城築城の際に現在地付近に移された。「仙台」の起源となったとされる千躰仏を祀る千躰仏堂がある。門前の六地蔵は青葉山から「六道の辻」を経て移転されたもの。

龍泉院

光禅寺
 仙台市青葉区上杉にある天台宗の寺院。寺伝によると、天安年間に慈覚大師が千躰の地蔵尊を造り、青葉山に創建したと伝わる。仙台城築城の際に現在地に移された。本尊は千躰地蔵尊、不動明王、豊川稲荷で、千躰地蔵尊は「仙台」の由来に関連する。「稲荷小路」の豊川稲荷は光禅寺の分霊。

光禅寺

玄光庵
 仙台市青葉区通町にある曹洞宗の寺院。創建年代は不明だが「龍泉院」の別院・玄光坊として青葉山に鎮座しており、仙台城築城時に独立して現在地に遷座した。奥州仙臺七福神の1つとして壽老尊が祀られており、壽老尊の胎内には大日如来が納められている。『熊野神社(通町)』が隣接する。

玄光庵

大満寺(太白区)
 仙台市太白区向山にある曹洞宗の寺院。創建年代については定かではないが元は青葉山に鎮座しており、1572年に「龍泉院」の3世和尚が中興したと伝わる。仙台城築城時に虚空蔵堂・千躰仏堂と共に「経ヶ峰」に遷座。「瑞鳳殿」の造営により、1659年に現在地の愛宕山の地に遷座した。

大満寺

長泉寺
 かつて仙台城下町にあった寺院。創建年代は不明。仙台開府以前は青葉山に鎮座していたとされ、仙台城築城時に新寺小路に移された。明治維新後に荒廃して松音寺に併合され、長泉寺の場所に松音寺が移った。廃寺後も松音寺前を通り、新寺小路と連坊小路を結ぶ道は『長泉寺横丁』と呼ばれる。

寂光寺
 かつて仙台城下・北山町にあった真言宗の寺院。「北山羽黒神社」の別当寺・観音院として信夫郡青葉山(現・信夫山)に創建され、1602年に仙台城下・北山町に遷座した。また北山町に遷座する前に仙台城本丸および二の丸付近にあった説や、二の丸築造時に遷座した説もある。1868年に廃寺。

大蔵寺
 かつて仙台城下・鹿落坂にあった曹洞宗の寺院。詳細は不明だが元は青葉山にあり、1597年に昌傳庵の7世和尚が中興開山。仙台城の築造に伴って経ヶ峰に、瑞鳳殿の築造に伴って鹿落坂に遷座した。明治維新後に荒廃して1888年に昌傳庵と合併して廃寺。「鹿落観音堂」のみ現存している。

最上古街道
 かつて陸奥国から出羽国を結んでいた街道。後の仙台城付近から現在の東北大学植物園の北門付近を経て青葉山を越え、蕃山の北麓に沿って郷六、栗生、愛子を経由し、出羽国に向かう街道だった。植物園内にある「蒙古の碑・正安の碑」はこの街道の道標になっていたと考えられる。

・蒙古の碑
 材質は砂岩で、高さは2m弱である。1287年に陸奥守の供養のために建立されたと推定される。名称は蒙古襲来と同時期に建立されたことが由来とされる。碑面には梵字や『陸奥州主』の銘が刻まれている。

・正安の碑
 材質は粘板岩(稲井石)で、高さ4m弱である。1302年に41人以上の講衆が縁者の霊を弔うため建立したものと伝わり、名称は建立された当時の元号に由来する。碑面には不動明王を表す梵字や、建立された理由が刻まれている。

近世の青葉山

 近世は仙台城となっていた。また城になっていたことで青葉山の原生林は開発されずに残った。

残月亭跡
 かつて仙台城二ノ丸近くにあった茶室の跡地。5代藩主・吉村により1710年に建造された茶室で『御物見亭』とも呼ばれた。かつて初代藩主・政宗真筆の『残月亭』の扁額が揚げられていたが、現在は所在は不明である。明治期に同名の茶室が作られ、現在は仙台緑彩館の南側に立地する。

城の名称の変遷
 
岩切城合戦を記した文書にある『虚空蔵楯』がかつて青葉山にあったという説がある。この名称は虚空蔵堂に由来するという。文献によりやや表現に差異があるが、国分氏の居城となった際には千躰仏堂に由来して城の名称を『千躰城』と名付けられ、後に『千代城』に改めたとされている。伊達政宗が城と城下町を建設する際に、中国の詩『同題仙遊観』の冒頭『仙臺初見五城楼』からの引用し、『仙人が住むような理想の高台』を意味する『仙臺』に改めたとされる。

現代

 現代の青葉山は、仙台城跡とそれに関連する公共施設、宮城県護国神社、東北大学のキャンパスになっている。また「青葉」は仙台を象徴する単語の1つとして、様々な施設や企業の名称に使用されている。

青葉山公園
 仙台市内にある都市公園。仙台城本丸跡、仙台市博物館、仙台国際センターなどもこの公園内に設置されている。明治以降に仙台市が旧陸軍から用地を借地して市の公園としたのが始まりで、戦後はテニスコート等が整備された。また、川内追廻地区には近年まで住民が居住していた。

東北大学植物園
 仙台市青葉区川内にある植物園。東北大学が1958年に『理学部附属植物園』として設立。かつて仙台城背後の「御裏林」だった丘陵地であったことから人手が加わることが極少なく、自然林が残った。1972年に敷地の約8割が植物園として初めて国の天然記念物「青葉山」に指定された。

東北大学植物園

青葉山駅
 仙台市地下鉄東西線の駅。副駅名は『東北大学青葉山キャンパス前』。地下鉄の駅だが丘陵地に立地しているためホームが地下6階にある。階段でホームから上がるとものすごくしんどい。また、時間帯によっては死んだ目をしている理系学生の群れを眺めることができる。

おわりに

 仙台市中心部に最寄りの自然。写真が少ないな。

更新履歴

2024年10月12日:記事を更新。

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