現代宮城風土記#30:大崎八幡宮
大崎八幡宮
仙台市青葉区八幡にある神社。起源は坂上田村麻呂が創建した鎮守府八幡宮に遡るとされる。従来伊達家が祀ってきた成島八幡宮と合祀して現在地に遷座した。1607年に造立された権現造の社殿は日光東照宮と同じ建築様式で、本殿などが国宝に指定。安土桃山時代の文化を今に伝える。
社殿構成・文化財
本殿・石の間・拝殿
伊達政宗の寄進により、1607年に竣工。国宝に指定されている。本殿と拝殿を石の間で繋いで1棟にした『権現造』の社殿。本殿と拝殿は入母屋造で総黒漆塗り。拝殿内部には狩野派の絵師・佐久間左京による唐獅子の障壁画などが描かれている。
長床
「大崎八幡宮」にある建造物の1つ。社殿の手前にある建物で、建物の中央が土間の通路になっている『割拝殿』形式の長床。通路の両側が板敷の床になっている。屋根は入母屋造でこけら葺、中央入口の上に唐破風がつく。長床としては宮城県最古の遺構で国指定の重要文化財。
社務所・旧宮司宿舎
「大崎八幡宮」の建物。社務所は木造平屋造で、屋根は主棟と玄関が入母屋造で桟瓦葺、西に寄棟屋根、東に入母屋造の玄関を付けている。旧宮司宿舎は社務所の南に渡り廊下を介して接続している。いずれも参道の西側に当面して立地し、国の登録有形文化財。
神馬舎
「大崎八幡宮」にある神馬舎。参道の東側に立地。入母屋造の桟瓦葺で、西面は縋破風を付けられている。厩部分は土間に厚板が敷き詰められている。当社の御神馬の厩として大正時代に建てられ、昭和20年頃まで使用されていた。2010年に現在地に移築された。国の登録有形文化財。
大崎八幡宮の鳥居
「大崎八幡宮」には複数の鳥居がある。主なものは旧・国道48号に面する『一之鳥居』、4代藩主・綱村から寄進された大石段手前の『二之鳥居』、5代藩主・吉村から寄進された大石段の上の『三之鳥居』、北参道の入り口の『北参道鳥居』の4つで、他に境内社の鳥居がいくつかある。
・二之鳥居
1668年に4代藩主綱村から寄進された明神鳥居で、仙台市内では仙台東照宮のものに次いで古い。現在の岩手県一関市東山町で算出した花こう岩。宮城県指定の有形文化財。この鳥居の先にある石段は仙台市の登録有形文化財。
大崎八幡宮の境内社
・太元社:正確な創建時期は不明だが、4代藩主綱村または5代藩主吉村が創建に関与しているものとされ、1698年の地図には拝殿西側に記載がある。当初は仏像として祀られ、明治の神仏分離遺構は神像として祀られている。現在の社殿は1981年に竣工したもの。
・諏訪社:寛永期に諏訪大社から分祀
・鹿島社:鹿島神宮から分祀、時期は不明
・北辰社:北辰とは北極星の意味で寛政期から存在
・稲荷社:1980年に伏見稲荷大社から分霊
・龍神社:四ツ谷用水の畔から1983年に移築
・金刀比羅社:1984年に金刀比羅宮から分祀
石絵馬
「大崎八幡宮」の境内にある石絵馬。1955年に当時の皇太子殿下の御成婚を記念して建立した石碑で、神馬の姿が刻まれている。台座は現在の聖和学園高等学校の創設者・吉田つぎ女史が1925年に奉納した神馬の銅像のもので、戦時下の金属供出で台座だけが残されていた。
沼田豊前正藤原茂密石像
「大崎八幡宮」の境内にある石像。製作年代は不明だが、子息の茂明によって製作された。沼田豊前正は大崎八幡宮の神職の家系であり、茂蜜はその8代目にあたる。境内の整備などに尽力し、中興の祖となった。尚、七北田宿の検断・沼田備前と名前が似ているが関係ない。
年中行事
松焚祭
大崎八幡宮で行われる年中行事。一般に「どんと祭」の名前で知られ、1月14日に正月の松飾り等を焚き上げた『御神火』にあたると、一年間無病息災・家内安全の加護が得られるとされる。発祥については不明だが社伝では300年の歴史があるとされ、江戸時代以来の継承性を持つものは大崎八幡宮のものだけである。宮城県各地の他の神社では「どんと祭」と呼ばれている。これは主に宮城県で使用される名称で、他地域で左義長、鬼火焚きなどと呼ばれる祭りに類似している。
・裸参り
仙台の伝統年中行事。「どんと祭」で焚かれた『御神火』を白さらしに草履や草鞋などのみの裸に近い格好で目指すもの。厳寒時に仕込みに入る酒杜氏が醸造安全・吟醸祈願のために参拝したのが始まりとされる。近年は様々な業種から、特に地元大手企業の若手社員はだいたい参加している。
大崎八幡宮例大祭
「大崎八幡宮」の例大祭。毎年9月に開催される。1日の鳥居祭に始まり、例年14~18日にかけて献饌式、能神楽奉納、鹿踊奉納、ちびっこまつり、神幸祭、流鏑馬神事などが行われる。神幸祭では神輿渡御を行い、八幡地区を巡行する。
・大崎八幡宮の能神楽
「大崎八幡宮」で伝えられている能神楽。かつては仙台藩からの扶持を受け、18演目があったとされるが、現在は氏子有志によって8演目が伝承されており、9月の例大祭で奉納される。法印神楽、大乗神楽と呼ばれるものと演目が概ね一致する。宮城県指定の無形民俗文化財。
別当・龍寶寺
仙台市青葉区八幡にある真言宗寺院。1100年代末に伊達朝宗によって伊達家の祈願寺として開山。以後、伊達家と共に常陸国から梁川、米沢、岩出山、仙台と遷座してきた。藩政時代には「龍寶寺」に属していた寺院は約70ヶ寺という大寺院だった。本尊の釈迦如来立像は国指定の重要文化財。
釈迦如来立像(清涼寺式)
「龍寶寺」の本尊。4代藩主伊達綱村が栗原郡金成(現・栗原市)の福王寺にあった釈迦如来立像を勧請し、龍寶寺の本尊となった。鎌倉時代初期の木彫仏といわれ、京都・清凉寺の釈迦如来立像を模刻したものといわれる。国の重要文化財に指定されている。
多宝塔
「龍寶寺」の境内にある仏塔。伊達家の始祖・伊達朝宗が龍寶寺を祈願寺としてから800年を記念して、1988年に創建された。青森桧材を使用して平安時代後期の様式で建てられており、高さは約21mで四方約6.4m。内部には金剛界大日如来を中心に胎蔵界四仏が安置されている。
不動堂
「龍寶寺」の境内にある不動堂。2018年に竣工、2019年に落慶法要を迎えた。廃仏毀釈によって荒廃した伽藍を徐々に整備し、不動堂の建立をもって七堂伽藍の形式が整えたとしている。本尊の『八幡厄除不動明王』と脇侍の『兜跋毘沙門天』『八臂弁財天』が祀られている。
有巴ヶ崎稲荷大明神
「龍寶寺」の境内にある神社。読み方は『うばがさき』。由緒や創建年代などは不明。元は十二軒丁と中島丁(現・青葉区八幡)の間にある『姥ヶ崎(うばがさき)』で祀られていた小祠で、時期は不明だが龍寶寺の境内に移されていた。1937年にも境内で大崎八幡宮との境界近くに移設。
兼務社
春日神社(八幡)
仙台市青葉区八幡にある神社。国分盛重の子・玄性坊実永が小田原に『覚性院』と共に建立し、後に現在地に遷座したもの。覚性院は明治期の廃仏毀釈のときに廃寺となったが、氏子が『春日講』を組織して別個の神社として勧請し、維持されている。現在は「大崎八幡宮」の兼務社。
愛宕神社(八幡)
仙台市青葉区八幡にある神社。「宮城一高」の裏付近にある。創建年代は不明であるが、江戸時代中期には『弥勒院』の境内社として記録があり、現在も概ね同じ場所に位置している。地域の火伏の神として信仰されている。現在は「大崎八幡宮」の兼務社になっている。
八幡町
仙台城下町の地名。大崎八幡宮および龍寶寺の門前町で、作並街道の入り口でもあった。かつて仙台市電の八幡町線が通っていた。現在は北四番丁と直線的に接続しているが、藩政時代には土橋通や覚性院丁、石切町を経由する必要があった。現在の地名は「八幡」で郷六方面に拡大している。
天賞酒造
かつて八幡町にあった酒蔵店。「大崎八幡宮」の御神酒酒蔵として1804年に創業したとされる。2004年に宮城県川崎町に移転し『まるや天賞』に社名を変更したが、2011年に営業を休止した。八幡町にあった店蔵は中島丁公園に移築されて「八幡杜の館」として活用されている。
おわりに
仙台東照宮は重要文化財で大崎八幡宮は国宝です。
更新履歴
2024年10月1日:記事を作成。