現代宮城風土記#52:仙台駅周辺
仙台駅西口
仙台駅の「駅前」。旧城下町の中心部および現在の仙台市の中心部に面しており、駅から商業施設、アーケード街までのペデストリアンデッキが張り巡らされている。在来線、新幹線改札ともに西口側にあり、駅としての機能、さらには仙台市街の正面玄関としての役割を担っている。
駅前通
仙台市中心部の大通り。仙台駅前から北に延びて「定禅寺通」に直角に接続する。藩政時代には該当する道がなかったが、鉄道や「仙台市電・循環線」開通に伴い、「茂市ヶ坂」と「末無掃部丁」の間の新道建設、また「光禅寺通」の一部を拡幅したことによって現在の形になった。
青葉通
仙台市の大通り。仙台駅前から大町までを結ぶ。仙台空襲で壊滅した街の復興計画として開通。街路樹としてケヤキが植えられており、杜の都のシンボルとなっている。地銀の本店や証券会社の支店などがこの通りに面している。同じく通りに面している旧さくらの跡地は再開発が計画されている。
裏五番町
かつて仙台市にあった地名。東五番丁(現・愛宕上杉通)から仙台駅前までの道で、明治以降に開通して仙台駅正面の一等地として商店やホテルが並んでいた。昭和期の地図では、明治期の地図に『停車場前通』と表記され、現在は「駅前通」となっている道の一部も東五番町と表記されている。
あおば通駅
JR仙石線の駅。仙台駅東口の区画整理で仙石線を地下化した際に、西側に延伸する形で開業した。仙台駅の仙石線ホームは駅の東側にあり、不便だった仙台市地下鉄南北線との乗り換えが容易になった。構想段階では仙台市地下鉄東西線との直通運転を視野に入れていたとされる。
エスパル
「仙台ターミナルビル」が展開する駅ビル・商業施設。東北新幹線の開業に伴う仙台駅の新駅舎完成の翌年・1978年に仙台店が開業した。仙台駅周辺に『S-PAL』『S-PALⅡ』『S-PAL東館』の3棟を展開しているほか、ブランド名の統合により山形駅、福島駅、郡山駅、いわき駅にも展開している。
・仙台ターミナルビル
仙台市青葉区中央に本社を置く企業。JR東日本の連結子会社で「エスパル」や「メトロポリタン仙台」などのホテル、不動産事業を手掛ける。1976年に設立。1978年に「エスパル仙台」を開業し、仙台駅の駅ビルを中心に南東北のターミナル駅の駅ビル開発を手掛けるようになった。
ホテルメトロポリタン仙台
仙台市青葉区中央にあるシティホテル。JR東日本グループのホテルチェーン・メトロポリタンホテルズの1つで「仙台ターミナルビル」が運営している。1988年に『仙台ターミナルホテル』として開業。1990年に改称。2017年には『ホテルメトロポリタン仙台イースト』が開業。
東京建物仙台ビル
仙台市青葉区中央にある高層ビル。2009年に竣工。仙台駅西口の再開発で建設された高層ビルで、日本に名だたる大企業の支社・支店が数多く入居している。かつて「宮城交通」の高速バス案内所があった場所で、現在も1階にはバスセンターが所在。また高速バスのバス停になっている。
AER
仙台市青葉区中央にある複合ビル。1998年に竣工。仙台駅西口の再開発で建設された高層ビルで、1~4階は商業フロア、5~8階は公共フロア、9~30階はオフィスフロア、31階は無料の展望テラスとなっている。ペデストリアンデッキで仙台駅と直結。またビルの裏側で「X橋」と接続している。
E BeanS
「エンドーチェーン」が運営する複合商業施設。1964年にエンドーの仙台駅前店として開業した。1997年から現名称。仙台駅前に立地し、ペデストリアンデッキで周辺の商業施設と接続している。震災後に改装して4階部分が空中庭園になっている。現在はサブカル系の店舗が多い。
仙台朝市
仙台駅前にある常設の市場。通称『仙台の台所』。東三番丁と東四番丁の間にある。基本的に日曜祝日は休み。仙台空襲で焼け野原になった仙台駅前に多くの露店が並んだ『青空市場』が起源とされる。その後、仙台駅前の都市化が進む中、生鮮食品市場として残り続けて現在に至る。
さくら野百貨店仙台店
かつて仙台駅前にあった百貨店。2017年2月に突如閉店した。1946年に創業した「丸光」がルーツ。経営や運営企業の入れ替わり、増床・増築などは文字数が足りないので割愛。今後はドン・キホーテを運営するPPIHが再開発し、2027年度に新たな商業ビルの完成を目指している。
・丸光
かつて仙台駅前にあった百貨店。1946年に雑貨屋として開業、1953年に百貨店となった。また1957年には後の「トーコーチェーン」を開業した。1980年代に百貨店5社と合併し、1991年には企業名、店名の両方から丸光の名前が消滅。その後は「ビブレ」、「さくら野百貨店仙台店」となった。
・さくら野百貨店仙台店の主な歴史
1946年:雑貨店として創業
1953年:百貨店「丸光」となる
1985年:「ダックシティ丸光」に名称変更
1991年:「仙台ビブレ」に商号を変更
2002年:「さくら野百貨店」に商号を変更
2017年2月末:突如閉店
2027年度:PPIHによる再開発複合ビル完成予定
ams西武仙台店
かつて仙台駅前にあった大規模商業施設。1982年に再開発によって、仙台駅前の戦後間もない頃からの建物が残る区画に仙台駅前開発ビルが竣工し、その中核テナントとして開業した。若者が集まるエリアとして発展したが、2003年に閉店。後継テナントとして「仙台ロフト」が営業中。
仙台ホテル
かつて仙台駅前にあったホテル。1850年に国分町に旅籠「大泉屋」として創業。1896年に東北地方初の洋式ホテルとして開業した。その後、仙台を代表するホテルとなったが、経営難などで2009年に閉館。跡地には時限的にEDENが営業しており、将来的に再開発されることになっている。
日乃出会館
かつて仙台駅前にあった商業施設ビル。映画館としては1935年に東一番丁に開館した「日乃出映画劇場」が戦後に青葉通り・東五番丁の南東角に移転し、1957年に日乃出会館となった。2002年に映画館は閉館、ビルも2018年に解体された。隣接するEDEN(仙台ホテル跡地)と一体的に再開発予定。
仙台十字屋
かつて仙台市青葉区中央にあった百貨店。1923年に神奈川県平塚市で創業した呉服店を源流にチェーン展開し、1972年に仙台店を開業した。1977年に現地法人化。2005年に閉店し、建物が「仙台TRビル」としてテナントビルとなり、メインテナントとして『LABI仙台』が入居している。
EDEN
仙台市青葉区にある商用施設。2009年に閉館した「仙台ホテル」跡地をオリックス不動産が取得し、将来的な再開発の暫定措置として2011年に開業した。「青葉通」に面した平屋建ての施設で、主に飲食店が15店舗ほど並んでいる。2024年1月に閉店し、再開発が行われる見込み。
仙台駅東口
仙台駅の「駅裏」。仙台市中心部(仙台駅西口)とは異なり戦災を免れて復興計画の区域から外れたため、戦後も城下町の町割りを引き継いだ土地利用が続いていた。1970年代から土地区画整理事業で宮城野通の開通、仙石線の地下化等が断続的に行われ、徐々に開発が進んだ。
宮城野通り
仙台市にある大通り。仙台駅東口広場から宮城野原公園総合運動場までに至る。道路の地下は「仙台トンネル」でJR仙石線が通っている。仙台駅東口エリアの再開発で新設された道路で、広い歩道が特徴。通り沿いにはオフィスが並んでいる。また「夏まつり仙台すずめ踊り」の会場。
東七番丁
仙台城下町および仙台市若林区の地名。かつて湿地帯だったため別名を『谷地小路』といい「仙台八小路」の1つに数えられる。また柴を埋め込んで道を作ったことから『柴田町』とも呼ばれた。現在は仙台駅東口に面した道で、ヨドバシカメラ仙台のビルが新しくオープンし、様変わりしている。
ダテリウム
JR仙台イーストゲートビル1階の吹き抜けエントランスホール。イベントスペースとして活用されており、「仙台青葉まつり」や「ジャズフェス」のような季節のイベントに合わせた催事や、地域の魅力を発進するイベントが不定期に開催されている。こけしや仙台箪笥を模した装飾がある。
BiVi仙台駅東口
仙台市宮城野区の仙台駅東口にある商業施設。2004年に開業した。建物は1998年にラオックス仙台店として竣工。テナントには映画館「チネ・ラヴィータ」やゲームセンター、飲食店などがある。『Zepp Sendai(閉業)』と共に2000年代の仙台駅東口を象徴する施設だった。
チネ・ラヴィータ
かつて「Bivi仙台駅東口」にあった映画館。数十席規模のスクリーンが3つあった。1988-2004年に東八番丁にあった『仙台シネアート』を引き継ぐ形で開館。2009年に現在地に移転。2024年に閉館した。経営母体は『フォーラムシネマ・ネットワーク』で「フォーラム仙台」と姉妹館。
TFUギャラリーミニモリ
仙台市宮城野区榴岡にあるギャラリー。「東北福祉大学」の仙台駅東口キャンパス1、2階にある。当大学の学校法人が所有する芹沢銈介の作品展や、地元メディアや公益社団法人が主催する絵画や書道などの公募展、漫画やアニメ等のサブカルチャーの催事などが行われる。
初恋通り
仙台駅東口にある歩行者専用道路の通称。かつて付近に滞在していた島崎藤村の代表的な詩『初恋』に由来する。東を東七番丁、北を名掛丁、西を東六番丁に囲まれたブロックの中をL字型に走っていて、鹽竈神社および三吉神社が鎮座している。通り沿いには飲食店やマンションが並んでいる。
鹽竈神社(名掛丁)・三吉神社
仙台市宮城野区榴岡にある神社。4代藩主・綱村による「鹽竈神社」の改修時に東六番丁に設けた仮宮を、後に町民が分社として祀ったのが始まり。明治以降に三吉神社の境内に鹽竈神社を移築。平成期の区画整理後に現在地に再度移転。「初恋通り」が参道になっている。
名掛丁藤村広場
仙台駅東口の名掛丁にある広場。広場の名前は、島崎藤村が詩集「若菜集」を執筆した旅館三浦屋があったことに由来し、広場内には島崎藤村が自ら揮毫した「草枕」の詩碑が立っている。また、仙台駅東口までの歩行者専用通路も島崎藤村の作品にちなみ「初恋通り」という。
おわりに
おいおい情報を追加する予定。
更新履歴
2024年10月15日:記事を作成。
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