現代宮城風土記#36:松島の島々
名勝・松島
宮城県の「松島湾」にある景勝地。約260の島と丘陵からなる一帯が江戸時代から『日本三景』の1つとされ、各地に「松島四大観」などの景勝地が点在する。また和歌の歌枕として詠まれてきた。明治以降は観光開発が進み、1952年に一帯が国の特別名勝に指定された。宮城の観光地といえばココ。
松島の由来
「松島」という地名は約260の島々のどの島にも松が生えていることに由来するという説が最も有力。他に、聖徳太子が、達磨大師が日本に来ることを信じて現在の扇谷に庵を構えて待っていたことで『待島』となり、それが「松島」に転化したという説もあり、扇谷には「達磨堂」がある。また、雄島で修業していた見仏上人に鳥羽天皇(または北条政子)が松の苗木(または姫子松)を千本を贈ったことから『千松島』、後に千を略して松島と呼ぶようになったという説がある。
松島四大観
松島湾に浮かぶ島々を一望できる4つの名所。仙台藩の儒教学者・舟山萬年が命名したもので、それぞれの地名に眺めの印象を表す名称がつけられている。「壮観・大高森」「麗観・富山(とみやま)」「偉観・多聞山」「幽観・扇谷」の4つで、松島湾を囲うように分布している。
奥松島
松島湾内の「宮戸島」周辺の雅称。野蒜海岸付近までを含む場合もある。「嵯峨渓」や松島四大観の「大高森・壮観」など松島の景観を構成する一部である一方、「里浜貝塚」などの縄文時代からの生活の痕跡が数多く残っている。名称としては周辺の道路通称や施設名などにも利用されている。
松島湾
宮城県中部に位置する「仙台湾」の支湾。唐戸島から花渕埼までの間を指し、塩竈市付近には塩釜湾がある。松島丘陵が沈水してできた地形で、水深は浅く湾内に約260の島がある。日本三景の1つであり、湾内に数多くの景勝地がある。また穏やかな海であることから養殖が行われている。
面している自治体
松島町
宮城県中部の沿岸に位置する自治体。1889年に周辺の村が合併して松島村が誕生し、1928年に松島町となって現在に至る。松島湾に面しており、古くから日本三景「松島」として観光業で発展した。東北本線と仙石線の2路線が町内を通っているが、観光地に近いのは仙石線の「松島海岸駅」の方。
東松島市
宮城県中部の自治体。2005年に矢本町と鳴瀬町が合併して誕生した。市の中心部は旧・矢本町域。鳴瀬川河口に位置し、宮戸島など「奥松島」の一部である。航空自衛隊松島基地も立地し、ブルーインパルス(第4航空団第11飛行隊)が属している。日本初の近代港湾の「野蒜築港跡」がある。
七ヶ浜町
宮城県中部の太平洋沿岸にある自治体。日本三景「松島」の南部に位置する。1889年に七ヶ浜村が誕生し、1959年に七ヶ浜町となった。名称は海沿いの7つの浜で村となったことに由来する。1888年に開設された海水浴場「菖蒲田海水浴場」がある。最近は「七ヶ浜国際村」が映える。
利府町
宮城県中部にある自治体。仙台市の北東に位置し、東北本線・利府線や利府街道(宮城県道8号仙台松島線)で仙台市中心部と接続しており、都市圏のベッドタウンとなっている。またグランディ・21や新幹線総合車両センターなどがある。内陸の自治体だと思いきや、東部に海岸がある。
塩竈市
宮城県中部にある自治体。古くから塩竈港を中心に陸奥国府、仙台藩の外港として発展した。1889年に塩竈町となり、以降周辺の村や地区を編入しながら塩竈市となった。市名はかつて当地が数多くの製塩用の竈のある場所だったことに由来する。市の平地のほとんどは埋立てによるもの。
松島の島々
雄島
「松島湾」に浮かぶ島の1つ。「渡月橋」が架かる。中世から霊場として知られ、約50カ所の岩窟群、かつて高僧が修行した堂宇跡の「見仏堂跡」「松吟庵跡」、「頼賢の碑」や板碑などの無数の石碑等がある。また火葬後の遺骨が埋葬された場所でもあり、島内にその欠片が落ちている。
渡月橋
「雄島」に架けられた橋。かつて修行僧が俗世との縁を切って雄島に入ったことから『縁切り橋』『悪縁を絶つ橋』といわれる。長さ23mの朱塗りの橋で橋脚はない。東日本大震災の津波で流されたが、後に復旧された。「渡月橋」で悪縁を切ってから、出会い橋こと「福浦橋」に行くと良いらしい。
頼賢の碑
「雄島」の南端にある高さ3mの石碑。22年間この島から出なかったといわれる僧・頼賢の徳を称えるために、1307年に弟子たちが建てたもの。六角形の鞘堂に納められている。板状の粘板岩の表面に18行643字の碑文が草書で刻まれ、雷文と唐草文が施されている。国指定の重要文化財。
見仏堂跡
「雄島」にある草庵跡。見仏堂は雄島に籠って修行した伝説的な高僧『見仏上人』が法華経6万巻を読誦したといわれている草庵で、『奥の院』とも呼ばれた。島の北側の周辺を崖に囲まれた場所にあり、崖の岩窟には修行僧によって彫られた卒塔婆や仏像などが多数現存している。
妙覚庵跡
「雄島」にある草庵跡。各時代での雄島内の立地には諸説あり「見仏堂」のことを指す場合もある。平安時代末期の高僧『見仏上人』と、その再来と崇められた鎌倉時代中期の高僧『頼賢』が、それぞれ12年と22年の間修行した草庵で「瑞巌寺」を再興した雲居禅師も毎夜座禅を組んだと伝わる。
松吟庵跡
「雄島」にある草庵跡。1660年に瑞巌寺103世・通玄法達のためにその兄が建てたもの。名称は瑞巌寺100世・洞水東初禅師の詩に由来すると伝わる。 ここを訪れた芭蕉が奥の細道に『草の庵』として記述している。寛文年間には不動尊が安置されていた。後に失火で焼失した。
薬師堂跡
「雄島」にある薬師堂跡。1736年に瑞巌寺105世・天嶺性空禅師によって建てられ、慈覚大師作とされる薬師如来が安置されていた。後の失火によって焼失し、薬師如来の両手と薬壺が「瑞巌寺」に保管されている。現在はその跡地に石彫の薬師如来坐像が置かれている。
雲居国師坐禅堂
「雄島」にある座禅堂。1638年に当時の石巻領主・笹町元清が小庵を建造して瑞巌寺99世・雲居禅師の禅室としたのが始まりとされる。『把不住軒』の扁額が掲げられている。長年の風雨や震災の影響で荒廃しており、クラウドファンディングを利用した復興が行われている。
御嶋真珠稲荷大明神
「雄島」にある神社。海難防止の神で『真珠稲荷』とも表記される。また、天明年間にこの付近を通っていて暴風に巻き込まれた船が、新右衛門という名前の人として同乗していた狐のおかげで助かったという逸話が残っており、その名前から『新右衛門稲荷』ともいわれる。
福浦島
宮城県松島町にある離島。県立の自然公園になっており、遊歩道や多目的広場、見晴台、茶屋などが整備されている。また縄文時代の貝塚や、磯崎地区から移設した「福浦島弁財天」がある。
福浦橋
「福浦島」に架かる橋。約252mの朱塗りの橋で『出会い橋』ともいわれる。東日本大震災では橋脚の一部が損壊するなどの被害を受け、台湾の景勝地『日月潭』の観光船業者からの義援金が活用され、修復された。橋全体の撮影は福浦島北岸の砂浜か『かやの崎』からがオススメ。
福浦弁財天
「福浦島」の南西端にある弁財天堂。元は磯崎の弁天島(現在は埋め立てで陸続き)にあり、江戸時代初期に弁財天を合祀して「高城塩田」の守り神としたのが始まりとされ、『磯崎弁天』と呼ばれていた。昭和期になって周辺が観光地化したため福浦島に遷座した。お堂に小さなダルマが並ぶ。
・高城塩田
かつて現在の宮城県松島町にあった塩田。藩政時代初期に開発された塩田の1つで、現在の観光ホテル等がある場所付近に、最盛期には30haの塩田があったと推定される。収蔵・監督の機関として『磯崎御倉』が置かれた。また塩田の守り神として「磯崎弁天(現・福浦弁財天)」が鎮座していた。
特徴的な島々
松島湾には特徴的な形状・逸話のある島々がある。
仁王島:形状が仁王像のようであることから
千貫島:政宗が『この島を持ってきたら銭千貫を渡す』と言った逸話から
在城島:政宗が『城がなければここに住みたい』と言った逸話から
蓬莱島:中国の蓬莱山に似ていることから
双子島:『亀島』と『鯨島』が双子のように並んでいることから
鐘島:4つの洞門に打ち寄せた波の音から
小藻根島:海域争いの『もの言い』から
よろい島:鎧のかたびらに似ていることから
かぶと島:兜に似ていることから
屏風島:島の両端が屏風に見えることから
うさぎ島:形状がウサギに似ていることから
材木島:岩肌が材木のように見えることから
経ヶ島:瑞巌寺の改宗時に天台の経文を焼いたことから
水島:航海の目印『道島』が訛ったことから
浦戸諸島
「松島湾」の湾口部にある諸島群。比較的大きく有人の「桂島」「野々島」「寒風沢島」「朴島」を中心に『大森島』や『馬放島』など複数の無人島で構成され、大半が「塩竈市」に属している。「塩釜港」から市営の連絡船が運行。名称は『松島浦の門戸(入り江の入口)』であることに由来。
おわりに
遊覧船に乗れ。
更新履歴
2024年10月5日:記事を作成。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?