現代宮城風土記#46:経ヶ峯
経ヶ峯
仙台市青葉区霊屋下の越路山の一部。大年寺と共に伊達家の墓所となっており、歴代藩主の霊廟である瑞鳳殿、感仙殿、善応殿、妙雲界廟、御子様御廟などがある。墓域として維持されてきたため、周辺にはスギの大木が林立してり、ムササビやリスなどの動物も棲息している。
古くは根岸村黒沼、萩ヶ崎などと呼ばれていた。中世に満海上人が当地の東側に経分を納めたことが由来とする説と、仙台開府時に青葉山から移された虚空蔵尊に経典が奉納されたことが由来とする説がある。
・満海上人
中世末期の修験者。気仙沼・松崎の生まれ。根岸村の黒沼に住んでいて、その地に経文を納めたことが「経ヶ峯」の地名の由来となったという説があり、供養塔がある。また古くから霊場であったが荒廃していた「田束山」に切支丹退散を念じて入定したとする話も伝わっている。
霊屋下
仙台城下町および仙台市青葉区にある難読地名。読み方は『おたまやした』。伊達政宗公の霊廟「瑞鳳殿」にちなんだ名称。広瀬川が大きく蛇行した場所にある。江戸時代には仲間屋敷と侍屋敷が並んでいた。現在は主に住宅街。仙台市内の難読地名としてよく取り上げられている。
瑞鳳殿
仙台藩初代藩主伊達政宗の霊廟。本殿、拝殿、御供所、涅槃門などからなり、本殿横には殉死した家臣の供養塔(宝篋印塔)が置かれている。桃山文化の豪華絢爛な廟建築として1931年に国宝に指定されていたが、戦災で焼失。現在の霊廟は1979年に再建されたもので、様式や材質にやや差異がある。
・伊達政宗
戦国時代の武将。伊達家17世で仙台藩祖。正室は愛姫。「独眼竜」の渾名で呼ばれることもある。現在まで続く仙台の町、文化の基礎を創った人物であることから現在でも高い人気を誇り、政宗を取り扱った小説や漫画、ドラマや映画、政宗に由来する名称やデザインが数多く存在する。
瑞鳳殿・本殿
「瑞鳳殿」の本殿。方3間、宝形造、銅板葺の建物。柱に獅子頭、屋根に竜頭瓦の彫刻がある。彫刻の部分を除いて鉄筋コンクリート造で再建されているが、規模や様式、外観の装飾などは焼失前の旧本殿がほぼ復元されている。内部に政宗の木造座像を安置し、命日などに開帳される。
瑞鳳殿・唐門
「瑞鳳殿」の唐門。焼失前には本殿前に装飾性に富む極彩色の唐門があり、金唐門とも呼ばれていた。橋廊下で拝殿と繋がり、左右から玉垣が出ていた。再建されたものは黒塗りの門で様式が大きく異なることから『本殿門』などと記載されるが、代わりに奥の本殿の視認性は高まっている。
瑞鳳殿・拝殿
「瑞鳳殿」の拝殿。「涅槃門」をくぐって22段の石段を登ったところにある。元は拝礼のための施設で本殿と床面が同じ高さになっていたが、再建したものは鉄筋コンクリート造で焼失前のものよりも小規模かつ単純化された設計となっている。代わりに、奥の本殿の視認性は高まっている。
瑞鳳殿・涅槃門
「瑞鳳殿」の正面門。唐様、切妻造、銅板葺の四脚門。正面扉上部の蟇股には『麒麟』、左右の妻飾には『牡丹と唐獅子』があしらわれている。規模や構造、材質、装飾などが焼失前とほぼ同じに形状で再建されている。現在は門の右横にある通用口を通って拝殿および本殿に向かう。
瑞鳳殿資料館
「瑞鳳殿」にある資料館。霊屋の再建時に行われた発掘調査で発見された遺骨や副葬品を収蔵、展示している。元は神饌の準備や控所として使用された『御供所』があった場所で、再建にあたっては鉄筋コンクリー ト製だが、外観に木材を使用するなどかつての面影が一部に再現されている。
伊達政宗の殉死者
伊達政宗に殉死した家臣および家臣に仕えて殉死した陪臣は合計20名いた。殉死者の墓は各家の菩提寺など各地に点在しているが、政宗の霊屋「瑞鳳殿」の両脇には宝篋印塔形式の石塔が建てられ、殉死者を供養している。現在の石塔は1979年に瑞鳳殿の再建と共に造り直されたもの。
・殉死者一覧
石田與純、茂庭兼綱、佐藤吉信、青木友重、南政吉、加藤安次、菅野重成、岡崎喜斎、入生田元康、桑折綱長、矢目常重、小平元成、渡辺重孝、小野時村、大槻定安の15名。石田、茂庭、佐藤家の陪臣・青柳傳右衛門、加藤三右衛門、東海林茂傳次、横山角兵衛、杉山理兵衛の5名。
感仙殿
仙台藩2代藩主伊達忠宗公の霊屋。1664年に4代藩主伊達綱村公が建立。本殿、唐門、拝殿、廟門などがあったが明治以降は本殿のみとなった。両脇には殉死した家臣の供養塔(宝篋印塔)がある。1931年に瑞鳳殿と共に国宝に指定されたが、戦災で焼失。現在の霊屋は1985年に再建されたもの。
伊達忠宗
江戸時代前期の大名。伊達家18世当主かつ仙台藩2代藩主。「伊達政宗」とその正室「愛姫」の間に誕生。正室は振姫。1636年に家督を相続し、藩内の組織や制度の整備、総検地、仙台城二の丸の造営、仙台東照宮の造営など、その後の仙台藩の基盤を固めた。霊廟は経ヶ峯にある「感仙殿」。
善応殿
仙台藩3代藩主伊達綱宗公の霊屋。5代藩主吉村公の時代に竣工した。本殿、唐門、拝殿、廟門などからなり、瑞鳳殿、感仙殿よりは簡素な装飾の霊屋であったとされる。他の霊屋と同様に戦災で焼失した。焼失以前の史料が乏しかったため、綱宗公が好んだ鳳凰と牡丹の装飾で1985年に再建された。
伊達綱宗
江戸時代前期の大名。伊達家19代当主で仙台藩3代藩主。2代藩主・忠宗の六男として誕生した。兄の「伊達光宗」が夭折したため、1658年に家督を相続した。理由は諸説あるが、遊蕩三昧だったため強制的に隠居させられ、後の「伊達騒動」へと繋がった。霊廟は経ヶ峯にある「善応殿」。
妙雲界廟
「経ヶ峯」にある伊達家の墓所。9代藩主・周宗、11代藩主・斉義とその夫人が葬られ、簡素な二重基壇の板碑が建てられている。歴代藩主の墓所「大年寺山」ではない理由は不明だが、斉義は「瑞鳳殿」背後の護岸工事を行ったため、経ヶ峯に葬られたのではないかともいわれる。
伊達周宗
江戸時代後期の大名。仙台藩8代藩主・斉村の長男として誕生。生母、祖父、父が立て続けに亡くなったため、6代藩主・宗村の八男・堀田正敦を後見役として生後1年足らずで9代藩主となった。1809年に疱瘡に罹り十分に快復せず、御目見のないまま17歳で特例として隠居。ほどなく逝去した。
伊達斉義
江戸時代後期の大名。登米伊達家9代当主・村良の庶長子である一関藩主・田村村資の四男として誕生。10代藩主・斉宗が嗣子なく逝去したため、その娘・芝姫と婚約し、婿養子として1819年に仙台藩11代藩主となった。御目見が済んだ子がいないまま、1828年に満29歳で逝去した。
公子公女廟
「経ヶ峯」にある伊達家の墓所。『御子様御廟』ともいう。5代藩主・吉村以降の歴代藩主の幼くして亡くなった公子女が葬られている。吉村によってこの地が選定され、設置された。笠塔婆の形式で建てられており、かつてはそれぞれに鞘堂があったが、1878年に撤去された。
その他
戊辰戦争弔魂碑
「経ヶ峯」にある鋳鉄製の記念碑。戊辰戦争の際に殉職した仙台藩士、幕臣、民間の犠牲者などの霊を弔うために、伊達家第30代当主(14代藩主)・伊達宗基と旧仙台藩士が出資して1877年に建立された。2010年に改修され、現在の一般的な鉄材とは異なる成分であることが判明している。
満海上人供養塔
「瑞鳳殿」の右手前にある供養塔。「瑞鳳殿」の造営時に地中から満海上人が入定した墓跡が見つかったという話があることから、瑞鳳殿の造営後に『満海上人塔』が建てられていた。これは戦災とその後の荒廃で失われたが、1989年に新造され、瑞鳳殿の右手前に建てられている。
国宝 伊達政宗 伊達忠宗 霊廟の碑
「経ヶ峯」にある石碑。1935年に伊達政宗没後300年を記念して建立されたもので、霊廟に向かう階段の下に設置されている。戦災で焼失する以前に瑞鳳殿と感仙殿は1931年に旧国宝に指定されていた。書は内閣総理大臣を始め数々の国務大臣を歴任した高橋是清による。
瑞鳳寺
仙台市青葉区霊屋下にある臨済宗寺院。1637年に伊達忠宗が、伊達政宗の香華院(菩提寺)として開山した。明治以降の廃仏毀釈で荒廃したが1926年に再興された。本尊は平泉の毛越寺から遷座した釈迦三尊像。梵鐘は伊達忠宗が寄進したもので、県の有形文化財に指定されている。
瑞鳳寺・山門
「瑞鳳寺」の山門。薬医門形式で、屋根は切妻造、本瓦葺。左右に袖塀が付く。東京・白金町にあった伊達家屋敷の門を模したもので、1971年に竣工した。境内に幼稚園があり門を送迎バスが通行する。また拝観料を徴収する旨の看板が門に掲出されているが特に受付等もなく困惑する。
瑞鳳寺・高尾門
「瑞鳳寺」の本堂左手前にある門。江戸中期の建築とされ、三間一戸の冠木門で切妻造、桟瓦葺。両側に袖塀が付く。3代藩主綱宗の側室・椙原品(すぎはらしな)の屋敷門だったと伝えられ、1962年に支倉町から移築されたもの。名称は「加羅先代萩」の登場人物になぞらえた俗称。
瑞鳳寺・銅鐘
「瑞鳳寺」が所蔵する銅鐘。1637年に藩の鋳物師によって鋳造されたもの。元は経ヶ峯の山上にあった伊達家の鐘堂に設置されていたもので、越路六軒町在住者が交代で撞いていたとされる。1960年に瑞鳳寺に寄付され、現在は本堂の正面に置かれている。宮城県指定の有形文化財。
瑞鳳寺・鐘楼と梵鐘
「瑞鳳寺」で現役で使用されている鐘楼と梵鐘。本堂の左手前に立地している。鐘楼は1928年に昭和天皇の即位記念に建立されたもの。梵鐘は、瑞鳳殿の再建に伴って発掘された伊達政宗の遺骨が改めて埋葬されたことを記念して鋳造されたもので、重量1550kg、口径103cm。
瑞新軒
「瑞鳳寺」にある茶室。境内の本堂奥に位置している。1935年の「伊達政宗」の300年遠忌の際に、裏千家14代家元・淡々斎が主となって建立した。木材は京都・北山の杉丸太、壁は京都・聚楽の土が用いられ、裏千家茶室・又隠を写したもので、四畳半、二畳台目席、控の間、水屋が配されている。
鹿児島県人七士の墓
「瑞鳳寺」にある墓。西南戦争に従軍し官軍に投降した西郷軍は、国事犯として全国の監獄署に護送され、宮城県にも305人が収容された。自ら願い出て宮城県内各地で開墾や築港に従事した。13人が獄中で亡くなって当地に葬られた。6基は遺族に引き取られたが7基が今も残る。
その他
穴蔵神社
仙台市青葉区霊屋下にある神社。元は米沢に鎮座しており、伊達家の守護神として伊達郡梁川、また若林城近くの荒井村、広瀬川の崖上へと遷座し『穴蔵稲荷大明神』と称した。西向きであったため『夕日明神』ともいった。1835年の洪水による崖崩れで社殿が流出、現在地に遷座した。
天龍閣
かつて仙台市青葉区霊屋下にあった温泉旅館。1952年に創業した。伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」のすぐそばにあった温泉旅館で、ラドン温泉と岩盤浴の日帰り入浴も可能だった。政財界や芸能界の大御所も宿泊した宿であったが、コロナ禍による経営難で2021年に閉館となった。
下馬石
「瑞鳳寺」の山門前にある石碑。寺社や城郭などで敬意を示す作法として『下馬』があったが、その場所を示すためのもの。この碑は2代藩主・忠宗の七回忌法要の際に、4代藩主・綱村が「瑞鳳殿」に登る坂の下に大坂・天王寺の下馬碑を模刻させて造らせたもの。1965年に現在の場所に移された。
瑞鳳殿築造前
長徳寺
仙台市太白区向山にある曹洞宗の寺院。愛宕山から「鹿落坂」に向かう途中の広瀬川の崖上にある。1624年に経ヶ峰に創建され、瑞鳳殿の造営の際に現在地に移転した。かつては七堂伽藍を有する大寺院だったが、江戸時代中頃の火災や戦災で大半が焼失し、現在の堂宇は後に再建されたもの。
大蔵寺
かつて仙台城下・鹿落坂にあった曹洞宗の寺院。詳細は不明だが元は青葉山にあり、1597年に昌傳庵の7世和尚が中興開山。仙台城の築造に伴って経ヶ峰に、瑞鳳殿の築造に伴って鹿落坂に遷座した。明治維新後に荒廃して1888年に昌傳庵と合併して廃寺。「鹿落観音堂」のみ現存している。
大満寺(太白区)
仙台市太白区向山にある曹洞宗の寺院。創建年代については定かではないが元は青葉山に鎮座しており、1572年に「龍泉院」の3世和尚が中興したと伝わる。仙台城築城時に虚空蔵堂・千躰仏堂と共に「経ヶ峰」に遷座。「瑞鳳殿」の造営により、1659年に現在地の愛宕山の地に遷座した。
南染師町
仙台城下町及び仙台市若林区の地名。「南材木町」の東側に「七郷堀」に沿っている町で、瑞鳳殿の造営に伴って霊屋下から移転した。『若林染師町』ともいう。足軽の脚絆に用いる木綿の染物を取り扱っていた。現在も『越後屋染物店』があり、愛染明王が祀られている。
おわりに
仙台に来たらとりあえず行け。
更新履歴
2024年10月12日:記事を作成。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?