現代宮城風土記#58:陸奥国外の仙台藩
仙台藩の飛び地
仙台藩の62万石のうち、常陸・下総両国(現在の茨城県)と近江国(現在の滋賀県)に約1万石ずつ存在した。「百万石の御墨付」を反故にされた政宗が、徳川家康から代わりに与えられた領地といわれる。宮城県図書館が所蔵する『飛地領絵図』は宮城県指定の有形文化財になっている。
仙台藩龍ケ崎陣屋跡
茨城県龍ケ崎市古城にある仙台藩の陣屋跡。常陸国に拝領した知行地経営のために1606年に設立された。1663年に一部領地の入れ替えがあったが、陣屋が明治まで龍ヶ崎に置かれていた。明治以降は官有地、学校用地となった後に民有地となったため、以降はほとんど残っていない。
仙台藩羽田陣屋跡(大庄屋久保家屋敷)
滋賀県東近江市上羽田町にある仙台藩の陣屋跡。近江国内に拝領した知行地経営のために1664年に設立された。東西54m、南北133mの大規模な陣屋だったと伝わる。大半は住宅地となっているが、代官屋敷の長屋門と鎮守として勧請された盬竃神社が現存する。
仙台河岸
関東地方の太平洋沿岸等にあった河岸。現在の茨城県潮来市や千葉県銚子市など、水上交通の要衝で、仙台藩の石巻港から江戸への廻米船が停泊していた場所が名づけられた。仙台藩の現金収入の4割はこの廻米によるもので、藩の財政を支える重要なものであったとされる。
仙台藩と蝦夷地・北海道
1800年代から蝦夷地は天領とされ仙台藩を含む東北諸藩が警備を担った。1885年以降は仙台藩は白老(現・白老町)に陣屋を置き、一部変遷はあるものの、概ね天領である日高、釧路、歯舞、色丹を担当の警備地、1859年以降は白老、十勝、厚岸、根室、国後、択捉を藩の領地とした。
明治初期、蝦夷地は士族等の志願者で分領支配していた。1871年の制度終了時点で仙台藩及びその家臣団が室蘭、虻田、幌別、沙流、空知、標津、目梨、振別、紗那、蘂取の各郡を領有。仙台藩は戊辰戦争の敗戦で領地を失っていたことから、他藩と比べて開拓に熱心だったとされる。
白老町
北海道中南部にある自治体。町名はアイヌ語の『シラウオイ(虻の多いところ)』が由来。アイヌ文化振興に力を入れており『ウポポイ(民族共生象徴空間)』が立地。1856年に仙台藩が蝦夷地警備のために陣屋を設けた場所であることから「仙台市」と姉妹都市になっている。たらこが特産品。
白老仙台藩陣屋跡
北海道白老町にある仙台藩の陣屋跡。幕府から蝦夷地の警備を命じられた仙台藩が1856年に設置した。周囲のウトカンベツ川を天然の堀として土塁を築き、120名の藩士が常駐した。また陣屋近くには鹽竈神社が勧請された。国の史跡に指定され、現在は史跡公園として整備されている。
仙台藩白老元陣屋資料館
北海道白老町陣屋町にある博物館。かつて仙台藩は蝦夷地警備のために設けた陣屋跡の国指定史跡「白老仙台藩陣屋跡」の側に、1984年に設置された。陣屋の絵図や古文書、武具などの約300点の資料を展示し、仙台藩による蝦夷地警備の歴史を伝えている。
伊達市
北海道の道央地方、胆振総合振興局に属する自治体。1870年に亘理伊達家の伊達邦成とその家臣達が、有珠郡に集団移住して開拓した歴史を持ち、市名はその歴史に由来する。2006年に大滝村を合併して現在の市域になった。内浦湾で採れるホタテやカレイなどの魚介類が特産品。
亘理伊達家
伊達稙宗の孫・伊達成実に連なる伊達家の分家。仙台藩一門第二席。藩政時代は亘理城(要害)を拠点に亘理郡とその周辺の村々を治めた。14代当主・邦成は戊辰戦争後に家臣と共に北海道に移住し、現在の伊達市を開拓した。菩提寺は大雄寺。尚、亘理氏(涌谷伊達家)との混同に注意。
大雄寺(伊達市)
北海道伊達市にある曹洞宗寺院。宮城県亘理町にある亘理伊達家の菩提寺「大雄寺」の同名の末寺で、亘理伊達家が現在の北海道伊達市周辺を開拓しており、その移住者の助力もあって当時の住職が自費で1880年に小院を建立して現在に至る。境内には坐禅堂や宝物館がある。
伊達神社
北海道伊達市末永町にある神社。有珠郡(現・伊達市)のに移住した亘理伊達家14代当主・邦成が、1875年に「鹿島天足和気神社」の分霊を勧請して『鹿島國足神社』として創建。1935年に開拓の功労者として「伊達邦成」及び『田村顯允』が合祀されている。1973年に現在地に遷座。
伊達市立伊達小学校
北海道伊達市元町にある公立小学。1870年に有珠郡(現・伊達市)に入植した亘理伊達家の有志数人が私塾を開いており、1872年の学生発布の際に同家14代当主・邦成が開拓使に上請し『有珠郷学校』として開校した。北海道における最初期の官立学校の1つである。
当別町
北海道にある自治体。1871年に岩出山伊達家の伊達邦直が家臣とともに移住し、開拓した歴史を持つ。「岩出山町(現・大崎市)」と姉妹都市。また、亘理伊達家によって開拓された歴史を持つ伊達市と歴史兄弟都市となっている。町名はアイヌ語で沼から来る川を意味する『トウペツ』が由来。
岩出山伊達家
伊達政宗の四男・宗泰に始まる伊達分家。仙台藩一門第八席。政宗が仙台開府の際に、岩出山城と周辺の所領を宗泰に与えたのが始まり。江戸時代の学問所「有備館」が現在に残る。戊辰戦争の廃戦後に所領を没収され、10代当主・邦直は北海道開拓を志願し、現在の当別町を開拓した。
当別伊達記念館・伊達邸別館
北海道当別町元町にある展示施設。当別に入植した岩出山伊達家に関する品々や開拓の資料が展示されている。また『伊達邸別館』は1880年に建造された木造2階建ての洋館風建築で、来賓の宿泊や村政の会議で使用された。1980年に当別町に寄贈され、公開されている。
当別神社
北海道当別町元町にある神社。1872年に岩出山伊達家10代当主・邦直が当別に入植した際に『阿蘇神社』として創建した。1891年に邦直が逝去すると旧臣らが内務省に上請し、1896年に邦直を祀る神社として認可された。1967年から現名称。境内には『開拓紀功碑』や『開拓記念樹』がある。
当別町立とうべつ学園
北海道当別町下川町にある公立の義務教育学校。2014年に当別小学校と当別中学校を統合して誕生した。当別小学校は1872年に岩出山伊達家の家老・鮎田如牛が家臣団のために開いた私塾と、1873年に開拓使により設置された『当別教育所』を前身とする当別最初の教育機関である。
平岸村(札幌市豊平区の一部)
かつて北海道札幌郡にあった自治体。戊辰戦争で領地を失った水沢伊達家の家臣団を中心とした水沢出身者たちが入植して開拓が始まった。1902年に月寒村と共に豊平村と合併し、1961年に札幌市に編入され、現在は北海道札幌市豊平区の一部になっていて、札幌市営地下鉄の南北線の駅がある。
水沢伊達家
伊達政景に連なる家系。仙台藩一門第三席。政景は伊達晴宗の三男で留守氏の養子となり、後に伊達性を与えられた。留守氏は鎌倉時代から岩切城を拠点にしていた家系。藩政時代は水沢城(要害)を拠点にした。戊辰戦争後に家臣団が平岸村(現・北海道札幌市豊平区の一部)に入植した。
相馬神社
札幌市豊平区平岸にある神社。標高約89mの天神山に位置する。1871年に水沢伊達家の家臣団を中心とした水沢出身者たちが入植した際に創建された『札幌神社(現・北海道神宮)』の遥拝所が源流で、1902年に福島県の『相馬太田神社』の分霊を祀り、現名称となった。
白石区
北海道札幌市の区。1871年に仙台藩白石城の片倉家が最月寒(もつきさっぷ、現在の白石区本通および中央付近)に入植して白石村と命名したのが始まり。他に上白石村もあった。1950年に札幌市に編入されたが、1972年の札幌市の政令指定都市移行に伴い、白石区が誕生した。
片倉氏
陸奥・出羽国の氏族。先祖は信濃国伊那郡から「大崎氏」に従って陸奥国に下向したと伝わる。戦国時代には伊達家の側近として仕えた。藩政時代には「白石城」を拝領し、一家格に列した。明治初期には北海道の渡り「白石村(現・札幌市白石区および厚別区)」を開拓に従事した。
札幌市立白石小学校
札幌市白石区本通にある公立の小学校。最月寒に入植した片倉家の旧臣たちが1872年に子弟の教育を行う場所として設置した『善俗堂』を源流とする。札幌市内では2番目に古い。『白石村教育所(村学舎)』『公立白石学校』と改称し、1882年には現在地に移転した。
手稲区
北海道札幌市の区。1872年に仙台藩片倉家の家臣団の一部が上手稲(現・西区西町および宮の沢)に入植したのが町の始まりである。地名はアイヌ語で『濡れている湿地/所』が由来とされる。1967年に札幌市と合併。1972年から西区の一部となったが、1989年に分離して手稲区となった。
札幌市立手稲東小学校
北海道札幌市西区にある公立の小学校。上手稲に入植した片倉家の家臣・三木勉により、1872年に設立された『時習館』を源流とする。1909年に現在地に移転。跡地には『時習館記念碑』が設置されている。尚、手稲における教育発祥の学校であるが、現在は西区に属している。
登別市
北海道胆振総合振興局管内に位置する市。1869年に白石領主・片倉邦憲の家臣や職人が入植したことが登別の始まり。市名はアイヌ語の『ヌプㇽ・ペッ(色の濃い・川)』を由来する。『登別温泉』は江戸時代から知られていた。歴史的なつながりから1983年に「白石市」と姉妹都市提携を行った。
刈田神社(登別市)
北海道登別市中央町にある神社。1786年に幌別郡域を与えられた松前藩士・細田氏が、平安期からあった妙見菩薩の祠を再建して『妙見稲荷社』として整備した。明治維新後に片倉家が移住する際に「刈田嶺神社(蔵王町宮)」の分霊を合祀し、1871年に現在地に遷座・改称した。
登別伊達時代村
北海道登別市中登別町にあるテーマパーク。1992年に開園。「登別市」の開拓には仙台藩士が多数関わっていることからテーマを「仙台藩」とし、忍者ショーなどのショー施設、手裏剣などの忍者体験施設、飲食・土産物施設として『片倉小十郎屋敷』などの屋敷が再現されている。
栗山町
北海道空知総合振興局管内の南部にある自治体。町名はアイヌ語の『ヤム・ニ・ウシ(栗の木の繁茂しているところ)』が由来。角田石川家家臣・泉麟太郎が入植して開拓した歴史を持ち、町制施行前は『角田村』という名称だった。この歴史から「角田市」と姉妹都市を締結している。
角田石川家
陸奥石川家のうち石川昭光に連なる家系。仙台藩一門首席。陸奥石川家は平安から存続した家系で、戦国時代に伊達晴宗の四男が養嗣子となり、後に伊達家の家臣となった。藩政時代は角田城(要害)を拠点とした。戊辰戦争後には家臣が室蘭郡(現在の室蘭市)に移住した。菩提寺は長泉寺。
室蘭市
北海道・道央地方にある自治体。江戸時代には松前藩又は幕府領で、幕末には南部藩の陣屋がおかれていた。近代の開拓は、1870年に角田石川家の家臣・添田竜吉及び泉麟太郎を中心とした一団が移住したことに始まる。明治後期からは室蘭港を中心とした重化学工業・港湾都市として発展した。
幡守神社
北海道室蘭市石川町にある神社。角田石川家の家臣・添田竜吉及び泉麟太郎を中心とした一団が当地に移住した後、角田にある『幡守神社(1912年に「八幡神社(角田市)」に合祀)』から分霊を勧請し、1874年に創建された。陸奥石川家2代当主・有光と、25代当主・昭光などが祀られている。
本輪西八幡神社
北海道室蘭市本輪西町にある神社。当地に入植した角田石川家の家臣らにより、1874年に角田の『磐都嶺八幡宮(現・八幡神社)』の分霊が勧請され、創建された。以降、当地の守護神として崇敬され、度々社殿の増改築や境内整備が行われており、神門は2004年に建造されたものである。
宮城県出身の屯田兵
北海道屯田倶楽部の名簿によると、明治期に北海道に入植した屯田兵のうち宮城県出身者は368人だった。特に屯田兵制度開始当初の琴似、山鼻の屯田兵村にはそれぞれの入植者の約半数(100人程度)の宮城県出身者が含まれており、特に琴似には亘理出身者が多かった。
琴似神社
北海道札幌市西区琴似にある神社。屯田兵として琴似に入植した亘理伊達家の家臣団によって、亘理伊達家の初代当主「伊達成実」を祀る『武早神社』として1875年に創建された。1897年から現名称、1915年から現在地にある。また1994年に会津藩の藩祖・保科正之も祀られている。
おわりに
北海道と仙台藩は実は結構関係が深い。
更新履歴
2024年10月26日:記事を作成。