現代宮城風土記#53:仙台城下の老舗①
仙台城下町
伊達政宗によって1601年に形成された城下町。城の大手門から伸びる東西の幹線道路として「大町通」と、南北の幹線道路として「奥州街道」を整備し、そこから町割りを定め、幾度かの拡張を重ねた。武家地、寺社地、町人地の3つに分けられ、武家地が城下の6割を占めていた。
江戸時代以前
1596年:タゼン
仙台市青葉区に本社を置く企業。タゼンは大坂で活動していた初代・善蔵が、伊達政宗に見いだされて1596年に創業した。後に仙台城下の「柳町」に移転し、仙台開府当初は藩内の寺社仏閣等の金具類を手がけ、後に庶民向けのやかん、銅壺、風呂釜などを製造を始めた。明治以降は銅製の医・理・化学器、循環式風呂釜の製造などを手がけた。現在は戦後はガスや水回りを中心としたリフォーム事業や修理・メンテナンス、銅製品のオーダーメイドなどを手がけている。
1600年頃:小梨石材店
仙台市青葉区八幡にある石材店。初代・小梨屋加兵衛が「仙台城二の丸」の土台工事のために1600年頃に仙台城下・石切町に移住したと伝わる。それ以前のことは不明。現在は主に墓石を取り扱っている。店舗の前には『石切橋』があり、裏手には「瀬田谷不動尊」がある。
瀬田谷不動尊
仙台市青葉区八幡にある神社。『石尊神社』とも呼ばれる。かつて「小梨石材店」の裏手に瀬田貝が良く採れた『瀬田谷』があり、江戸時代初期に天然石を刻んで本尊としたのが始まりと伝わる。特に「石切町」の石工から信仰され、昭和の中頃まで例祭の宵祭で「雀踊り」が行われていた。
1601年:黒田石材店
仙台市青葉区八幡にあった石材店。和泉国・堺の石工棟梁・黒田屋八兵衛が仙台城築城の際に伊達政宗に招かれて仙台城下・石切町に移住したのが始まり。大正期に現在の八幡2丁目に作業場を移した。2023年に従来の作業場を閉鎖したが、現在も生業は続いている模様。
江戸時代前期
1603年:佐藤麹味噌醤油店
仙台市若林区荒町にある味噌・醤油の醸造店。1603年に麹の製造・販売で創業。藩政時代には当主が江戸藩邸の御塩噌蔵で仕込みの指導を行ったと伝わる。明治期に酒税法の制定で麹の売上が減少したため味噌・醤油を醸造して販売するようになった。現在も数種類の仙台味噌を販売。
1652年:マブチ
仙台市青葉区中央にある手芸用品店。本社は若林区卸町にある。1652年に初代が近江国蒲生郡馬渕邑(現・滋賀県近江八幡市)から来仙し、呉服・太物の『近江呉服店』として創業。1912年に『馬渕儀助商店』に改称、1949年に会社設立した。仙台で布生地や手芸品といえばココ。
明暦年間:丘のホテル
仙台市宮城野区榴ヶ岡にあるホテル。明暦年間に『旅館梅林』として創業し、1695年頃からは料亭にもなった。1876年には明治天皇の御巡幸の行在所となった。2001年に現在のホテルに改装して営業している。周辺には「榴岡天満宮」や「榴岡公園」「楽天生命パーク」等がある。
1660年:千松島
仙台市青葉区国分町に本社を置く企業。1660年に国分町に酒造業で創業。1969年に酒造を共同醸造化して酒蔵跡に飲食テナントビルと駐車場を建設し、ビル・駐車場管理業に進出した。現在はテナントビル3棟と自走式駐車場1件を有する。尚、清酒『千松島』は現在でも販売されている。
1672年:志ら梅ビル
仙台市青葉区本町に本社を置く企業。1672年からの歴史を持ち、仙台城下・二日町で穀商を営んでいたが、1872年に『吉岡酒造店』として酒造業に転換。戦後に酒造業からは撤退し、現在はテナントビル業および駐車場業を手がけている。代表的な銘柄は『志ら梅』でビルにその名前を残す。
旧吉岡酒造店石蔵
仙台市青葉区国分町にある石蔵。旧・吉岡酒造店の敷地内に1914年に「秋保石」を用いて建造された和洋折衷様式の蔵で、ファサードにアーチと角型の2つの開口部を有する。かつて米蔵や商品倉庫として使用され、現在も「志ら梅ビル&パーキング(旧・吉岡酒造店)」が管理している。
1673年:九重本舗玉澤(分店が現存)
仙台市太白区に本社を置く和菓子の製造・販売会社。藩政時代に御用菓子司だった「玉澤老舗」から、1913年にのれん分けで開業。『玉澤分店』や『駅前玉澤』と呼ばれた。戦時中に一時店を閉めるが1950年に銘菓「九重」の名前を冠して復活した。近年は冬季限定の「霜ばしら」で有名。
霜ばしら
「九重本舗玉澤」が販売している飴菓子。冬季限定商品で、10月から翌年4月まで販売している。非常に繊細で壊れやすいため、缶内はらくがん粉が満たされ保護されている。一つ一つが職人の手作業で作られ大量生産できず、また近年知名度が増したことで入手が困難になってきている。
九重
「九重本舗玉澤(旧・玉澤分店)」が販売している和菓子。あられの粒に柚子などの風味の糖衣をまとわせたもので、お湯やソーダ、酒などに溶かして食する。福島県塩川村(現・喜多方市)の『九重本舗奈良屋』の栗村氏が創製した。1901年の明治天皇の仙台行幸に同行していた東久世通禧が命名した。
玉澤老舗
かつて仙台市国分町にあった和菓子屋。1675年に4代藩主・綱村によって近江国から招聘され、藩の御用菓子司として開業。天皇行幸の際に献上して命名された菓子の「九重」を製造元として繁盛した。大正期に倒産して営業権が譲渡され『玉澤総本店』として営業されたが、戦時中に閉店した。
玉澤総本店
仙台市青葉区上杉に本店を置く菓子店。仙台市内に販売店舗を複数展開している。1947年に仙台市上杉で『万福』として開店。1950年に藩政時代に源流がある『玉澤総本店』の屋号を継承して現名称となった。『黒砂糖まんじゅう』を始め、ゆべしなどの和菓子、焼菓子等を幅広く製造・販売。
九重本舗玉澤と玉澤総本店
『玉澤』は藩の御用菓子司。「九重本舗玉澤」は1913年に玉澤本家の縁戚・近江氏がのれん分けで開業した。本家は営業権が譲渡され屋号を『玉澤総本店』としたが戦時中に閉店。現在の「玉澤総本店」は1950年に別の和菓子店が屋号のみを継承したもので直接的な関係はない。
1681年:畳のほりごめ
仙台市青葉区宮町に本社を置く畳屋。畳工事や畳製品の販売、襖や障子など内装工事を手がけている。藩の御用畳刺師で1681年に創業、現在17代目。元は『堀籠畳店』という屋号だったが1964年の会社設立を機に改称。またかつて東三番丁(現・青葉区本町)にあったが1982年に現在地に移転。
1688年:芭蕉園茶舗
仙台市青葉区国分町にある茶の販売店。煎茶や抹茶などの日本茶を中心に広く日本屋を揃えている。1688年に米、味噌、醤油などの問屋として創業。江戸末期から1939年頃まで『関米穀店』という屋号で米の卸売業を営んでいた。1941年に日本茶の専門店として芭蕉園を設立した。
おわりに
3部作の予定です。
更新履歴
2024年10月16日:記事を作成。