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自己嫌悪の脱し方

たまたまって、時にすごく重なることがある。

”そんなつもりじゃなかった”の発展が重なる。それどころか良かれと思ったことが逆方向に膨らんだりもする。その流れについていけなくなって自己嫌悪に陥る。

そんな時に「何故だろう」「どうするべきだろう」を考えても良いアイデアは生まれない。小さな画面から何か突破口はないかを探しても逆効果。自分の出来なさが浮き彫りになるような気にさえなる。

SNSはみんなの幸せが溢れる場所。しかしそんな場所に登場する人たちにもきっと気分転換が必要な時があるんだろうと思う。

みんなはどんなことで憂鬱を打破しているのだろうか。

私は今、気分を変えて一度頭をリセットしたいと考えている。

頭と気持ちのリフレッシュには岩盤浴が最適だ。汗の出方でその時の体調が分かる。なかなか汗が出ないと体内に熱がこもり、長時間はいられない。そんな時は「身体も疲れているんだな。もっと身体に優しい生活をしよう」という具合に、岩盤浴は私の心身のバロメーターになってくれている。そうして自身を客観的に見ることができ、切り替えることができるのだ。
いつもなら。

しかし今日はそんな私の救世主岩盤浴に行くことができない。
それが分かった瞬間ハッとした。

私はリフレッシュの選択肢を持っていない。
もともとそこまで落ち込むことが少ないためにその方法について考えたことがなかった、という方が正しいか。

もちろん旅行や友人と話すことで気持ちが切り替わる。しかし、これが "1人で" "今すぐに" という条件が付くとその幅が一気に狭まる。

昔こんな話を聞いたことがある。

「将来身体が動かなくなっても大丈夫なように今から歌を楽しんでいる。」
「将来声が出なくなっても大丈夫なように今から楽器を練習している。」
「将来耳が聞こえなくなっても大丈夫なように今から絵に興味を持つようにしている。」

どんな状況になっても自分を自分で楽しませる準備はできている。と。

その言葉はある人が冗談混じりで、笑いながら話してくれた言葉だ。

しかし私は今この言葉を改めて考えた。
ここ数年、頭が凝り固まって”遊び”の部分が少なくなっているように思う。

将来に対する不安を煽る情報や、周囲との比較が容易にできる環境も手伝っているのか、年齢を重ねていることでなのか、原因は一つではない。

意味のある趣味を持っているのがいいような、向上心を常に持っていないと認められないような、そんな思い込みが潜在的にある気がする。

純粋に自分が好きなもの、ほっとするもの、わくわくするもの。”私を癒してくれるもの”はどれだけあるのだろう。

まだ出会っていない”それ”を見つけたい。
まだまだ知らない色んな”初めて”に出会い、自分がどのように感じるのかを体験してみたい。心地いいものをたくさん知って、今後たまに現れる”自己嫌悪”をやっつけていきたい。

そうして穏やかな気持ちで自分の心を大切に育てていけたらいいなぁ。

今後自分はどれだけ自分を楽しませてあげられるかなぁ。

そんなことを考えた、いいことばかりじゃない人間らしい1日であった。

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