あの世に行く時にされる質問がある~日本講演新聞
日本講演新聞は全国の講演会を取材した中から、為になることや心温まるお話を講師の許可をいただいて活字にし、毎週月曜日、月4回のペースで発行する全国紙です。
朗読版はこちら↓ 耳で聴くみやざき中央新聞 朗読~広末由美
最近聴いた講演で、おもしろかった話を紹介しよう。ウソのようなホントの話。心理研究科の先生が知人から聞いた話だそうだ。
その知人と言うのは、60代の男性。30代で起業し、今では年商1000億円を超え、従業員も1000人を超える会社の社長だ。その社長さん、50歳の時に心不全を起こし心配が停止、意識不明の重体になった。
救急救命士が来て必死に心臓マッサージをする。その間、その社長さんは林の中を歩いていたという。その林を出ると、きれいなお花畑に出た。そこは、人によってお花畑であったり、荒地みたいなところであったり、色々あるそうだが、その人はきれいなお花畑に出た。そのお花畑の広さも人によって異なるそうで、だいたい50メートルから100メートルほど続いている。
周りを見渡すと、いろいろなひとがお花畑を歩いていた。ある人は歩いてきた林の向こうから「おじいちゃん、死なないで」という孫の声を聞いて振り返り、「もう少し孫のために生きたい」という想念に駆られ引き返した。要するに息を吹き返したというわけだ。そうかと思えば、「あなた、戻ってきてぇ」という妻の声を聞いて足を速めた人もいたそうだ。
お花畑を過ぎると川べりに出る。その川の向こうが彼岸、俗にいう「あの世」である。その川幅も人によってまちまちで、10メートルの人もいれば100メートルの人もいる。また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人、船に乗っていく人、泳ぐ人などいろいろ。一旦、両足が岸から離れてしまうと、二度とは戻っては来れない。これだけはすべての人に共通しているらしい。
さて、お花畑にでた社長さんの耳に不思議な声が聞こえた。「あなたが今まで送ってきた人生とはどういう人生だったか、それについて質問されるから川べりに着くまでにまとめておくように」
お花畑を歩きながら社長さんは、自分の人生を振り返った。
「○○会議所の会頭もした」
「○○〇協議会の役員もやった」
「○○福祉に多額の寄付もした」
今までやってきたことを頭の中でまとめていったという。
川べりに着くと、神様の声が聞こえてきた。「では聞きます。あなたは自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?」
社長さん、はて?と困り果ててしまった。やってきた業績についてはいくらでも話せると思って、意気揚々と川べりまで歩いてきたのだが、神様が聞いたのは、「どれくらい人生を楽しんできたか」ということだった。業績など全く関心がない様子だった。いくら考えても楽しくやってきた記憶がなかった。
じっと黙っていたら、「楽しんでこなかったのですね」と神様は言った。「はい…」「じゃあ、あなたの人生は失敗です。もう一度やり直し」と言われて、息を吹き返したそうだ。その日からその社長さんは人生を楽しく生きようと思った。その時、教えられたことは、「楽しく生きるということは、自分がどれほど周りから喜ばれているか」ということだと。
なるほど、楽しい人生とは、ただ能天気に生きるのではなく、「あなたが必要だ」「あなたがいてよかった」と言われる人生を送ることなのか。確かに自分だけが楽しいと思っていても、周りの人が迷惑を被っていたらいい人生とは言えない。
私たちは日常の中にどれほど「楽しさ」を見つけられるだろうか。社会を見回すと悲惨ともいえる事件や事故が毎日のように起きている。いつ来るとも分からない自然災害は私たちに不安の影を投げかけてくる。不幸のどん底にいる人が隣にいたとして、自分だけ「たのしさ」を探していくのは気が引ける。
でも、そう考えずに、そういう中でも自分にできることを見つけることが、喜びや楽しさなのだろう。マザーテレサも、スラム街の中で自分の存在が必要とされている喜びに満たされていたのかもしれない。
「楽しさ」とは、日常の中の親子や夫婦、友だち、お客さん、同僚など、周りの人間関係に見出すものだ。そういう人たちと楽しい思い出をたくさんつくろう。いつか「この世」をちゃんと卒業できるために。
(日本講演新聞 2005年3月28日号 魂の編集長・水谷もりひと社説より)