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シュペーア ヒトラーの建築家/マルティン・キッチン 若林美佐知訳 7800円+税


帯裏↓

ナチ・ドイツ時代に帝国首都建設総監および軍需大臣を務め、

戦後はニュルンベルク国際軍事裁判で禁鋼二〇年の判決を受け、

出獄後は「ナチの証言者」として活動したアルベルト・シュペーア(一九〇五〜一九八一)。
本書は「ビトラーの建築家」の真実を実証的に解き明かす研究書だ。

ビトラー政権成立後、シュペーアはニュルンベルクの党大会会場や新首相官邸などの設計を任されるが、

最も規模が大きかったのは、首都ベルリンを改造する「ゲルマニア」計画であった。

軍需大臣としては戦闘機と戦車の増産を達成する(「装甲の奇跡」)が、連合国には太刀打ちできなかった。
首都改造にあたっては、ユダヤ系市民が立ち退きを命じられ、

建設現場でも軍需工場でも、囚人、捕虜、外国人労働者らが奴隷のように酷使された。
「ナチ犯罪」に深く関わっていた。

シュベーアはこうした「ナチ犯罪」に深く関わっていた。

敗戦が近づく中、ヒトラーが出した「ネロ命令」には、戦後のドイツ再建を見据えて「抵抗」した。

敗戦後、シュベーアは逮捕され、主要戦争犯罪人としてニュルンベルク国際軍事裁判で裁かれた。
労働者の虐待やユダヤ人絶滅政策は知らなかったと主張するが、

「戦争犯罪」と「人道に対する罪」で有罪になった。しかし、ほかの被告との比較、「ネロ命令」への「抵抗」、

犯罪的な体制に仕えた責任は認める姿勢により、「狂信的なナチ」とは違うというイメージを与えた。

釈放後に刊行した「回顧録」でも、「ユダヤ人問題の最終解決」への関与をごまかし続けた。

本書は最新の研究成果に基づき、シュベーアの「善良なるナチ」像の欺瞞を徹底的に暴いていく大作だ。



↓本書とは関係ないがこちらを読み終わったところ。

こちらは1989年に書かれた本からの抜粋らしい。数日まえから読んでいて、大変興味深かった。

ヒトラーは「わかった」だけで彼自身が予言しているのではない。

言うなれば、ニーチェとツァラトゥストラの関係のような人物が彼の中にいて、“それ”を与えていた。未来が見えるとは辛いものだと思う。自分が未来を作っているのではなく、動かされているだけだ。と、自身を対自しているときはわかる。即自の時はその場面でのやりくりのみで我を忘れているが、、。

リンクの「ヒトラーの予言」にはシュペーアは出てこなかった。1905年3月15日〜1981年9月1日。

サルトルと同時期を生きている。
1905年6月21日〜1980年4月15日。

同時期というより同い年だった。
半年程しか違わず同時期に亡くなっている。

シュペーアがどんな人物か知りたくなってきたが、まず娘に渡そうと思う。誕プレだった。。

辞書より厚い。537頁+116頁


シュペーアの傑作、光の大聖堂





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