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幸せとは、相對的価値に準ずるポートフォリオ内にいること。



「精神は物質に飲み込まれている」①


精神が物質によって飲み込まれている。
そう感じているのだが、果たして精神が物質に飲み込まれる瞬間はいつなのかと考えた時、精神の成長の段階と物質を欲する段階から辿ってみようと思う。

精神性

①与えてもらう必要がある
②与えて欲しいと思う
③与えられたらお返しをする
 (与えたら見返りを求める)
④与えても見返りは求めない
⑤与えたら(与えられたら)自立はないと悟る


物質の欲求

①未発達
②利己主義
③winーwin
④利他主義
⑤悟り

やはり共依存の世界が成り立っているからか、どちらも②③が大半だと感じる。


◉繰り返される歴史

古史古伝などの歴史を読んでいると、物質の豊かな社会を築くために必須な条件は、現在も続き繰り返されている、「ヒエラルキー社会」と「専門性」だと気づいた。
分野ごとの専門性と階級が細かいほど、より豊かな社会が築かれる。

それには、トップを崇めるという態度と自身も崇められたいという意欲が必要で、専門士になりたいか、トップの権力性を持ちたいか。そのどちらかの夢を追う必要があり、個々の人間に対して、それが常に問われているのです。

専門分野が細かければ、より便利で安泰な暮らしになり、権力を持てば、自身の思うがままの生き方が出来る。といった具合に。

そうして物質は豊かになっていく。


◉物質社会の問題

物質が豊かなのはいいが、問題となるのは、より良い多くの物質を求めて、争いが起こることなのだ。

目に見えて起こっている戦争も然りだが、個々のレベルでも絶え間なく心の中で起こっていることを自覚しているだろうか。

きっと自覚さえしておらず、無意識に起こしているこの問題は、産まれた瞬間から常に二項対立を押し付けられ選択し続けてきた経緯から、それが当たり前で常識となってしまっているのだ。

「あの人は学校の校長先生をしていて頭がいいから、その息子さんはきっと、Fランの大学に通うちの子と比べると、もっといい大学に入ったと思う」

という、日常に溢れる会話。

「あの人は頭が良くて容姿は綺麗だけど、鼻につく言い方よね。見下されてる気分。でも私はみんなに優しいから、あの人じゃなくて、みんな私を頼るのよ」

「俺は、まだ係長だけど、主任のあいつより、いい車乗ってるし、子供は偏差値の高い高校に通えてる。あいつは上に媚び売るのが上手いんだ」

、、、、という戦争を、心の中や会話の端々で起こしていませんか。

どうして、このように心の中は穢れているのに、表面上は謙遜する、俗に言う「いい人」を演じているのでしょうか。

それは、産まれてすぐに欲を与えられ、どっちが良い物かと、常に選択させられ続け、より良い物を選ぶと、賞賛されて来たからです。その過去の経験から培われた「呪い」が今も活きているのです。

誰もが自分の身の回りの物質を豊かにするためと、環境に合わせて生きるための呪いにかけられ、自身の本来性は見失ってしまっているのです。

その呪いを取るのが仏教でいう、
自我をなくすことでもあります。

この呪いは、自身の虚栄心と謙遜心、支配欲を養い、自身に多くの矛盾を取り入れます。

同時に、自身での空からの思考(ゼロからの思考)をしなくなる。相對的価値観で物事を捉え、専門家に先に思考されているため、自身の思考力もなくなるのです。

ここですね。
精神が物質に飲み込まれているポイント。

自身で考えずに、自身の利益は専門家の提示するポートフォリオ内にいる。
自身の本来性の自己同一性がなくなり、
他者の評価基準で生活している。

「自身の幸せとは、相對的なポートフォリオ内にいること。」

あぁ、なるほど、相對的価値における自身の利益を幸せと感じているのですね。

若干ウンザリして来ました。

さて、この状況を脱するにはどうしたら良いか、次回考えることとします。








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